原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

いたずら電話

2008年01月10日 | 雑記
 パソコン、携帯電話のメールによる通信手段が発達した現在、どこのご家庭でも電話の使用頻度が極端に減少しているのではなかろうか。
 時代の趨勢であまり利用されなくなった電話ではあるが、その機能自体も多様化し、留守電機能はもちろんのこと、ナンバーディスプレイ、ネームディスプレイ機能装備も今や常識の時代である。
 社会的背景も様変わりし、個人情報保護法の施行により個人情報保護に対する社会の意識も高まり、その濫用の回避が常識化した時代ともなってきている。
 このような電話をめぐる諸状況の大きな変容と共に、いたずら電話の類は激減しているように見受けられる。(残念ながらセールス電話や振り込め詐欺の類の迷惑電話は未だ世にはびこっているが。)

 リアルタイムの双方向性の通信手段が電話しかなかった時代は長いのであるが、私が一人暮らしを始めたころはまだ、ダイアル式の“黒電話”しかなかったレトロな時代である。黒電話なんて見たこともない方も多いであろうが、相手方の電話番号をダイアルを回してかけるという電話本来の機能しかない至ってシンプルな電話機である。その後、電話機はカラフルになり、プッシュ式電話に移行し、留守電機能が標準装備となってくる。そして、ずっと最近になってナンバーディスプレイ機能が登場する訳である。

 このレトロな黒電話の頃から、一人暮らしが長かった私は“いたずら電話”にずっと悩まされ続けてきた。社会的背景としては個人情報も垂れ流しの時代である。
 いたずら電話にもジャンルがある。無言電話、エロ電話、個人誹謗中傷電話、等々…。長い独身時代に私はすべて経験してきている。
 いたずら電話はかけてきている方はもちろん名前は名乗らないし、自分の正体がバレないと思っているのであろうが、かけられた方はある程度犯人が特定できるものである。少なくとも犯人をある程度絞り込める。特に分析力のある(?)私は大抵は犯人のめぼしがついたものだ。
 ところが、一番不気味なのは“無言電話”である。なんせ、相手はじゃべらない。 若かりし頃の私は負けん気が強く(今でもか…)無言電話ごときに負けたくはない。私の対処法は“無言には無言を”である。決して、取り乱して「どなたですか」「何の用ですか」とまくし立ててはいけない。「もしもし」と言った後反応がないとこちらも押し黙り相手と根競べである。30分位無言勝負をしたこともある。 この無言電話もその頃の人間関係で何となく犯人が絞り込めるものなのだが。
 悪質なのは、夜中の嫌がらせ電話である。呼び出し音が鳴るので出たら切られる。これを一晩に何度も繰り返す。しかも何日もこれを繰り返す。寝られやしない。やむを得ずコードを引き抜いて寝るしかない。
 訳のわからないいたずら電話もあった。「けい子さん、いますか?」と電話をかけてくる。私は“けい子”ではないので「我が家にはそういう名前の人はいません。」と応えると「すみません」と言って切る。これが毎日繰り返されるのだ。
 一時期流行ったいたずら電話に、いかにも心細そうな声で「死にたいんですが助けてください。話を聴いて下さい。」というのがあった。私のところにもかかってきたのだが、その情報は既に入手していたため、「適切な相談機関へ電話してね」とはぐらかした。

 例を挙げればきりがないのだが、私は敵を作る人間だったのであろうか?私を恨む人物が多かったのであろうか?

 それはともかく、“振り込め詐欺”はまだ社会から撲滅されていない様子である。 私は今やほとんど電話を利用しないので、現在は悪質電話の被害はないが、電話を主たる通信手段とされている方々、どうかくれぐれもいたずら電話にはお気をつけて。 

   
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自費出版の時代の終焉

2008年01月08日 | 時事論評
 昨日(2008年1月7日)の朝日新聞朝刊一面記事によると、自費出版大手企業の「新風舎」(本社・東京都港区)が負債額約20億円で民事再生法の適用を申請したらしい。
 同社は、持ち込み原稿の募集や著者発掘のコンテスト開催、自費出版物を流通にのせ各地の書店に並べる手法なとで急成長してきた出版社である。最盛期の05年、06年には出版点数で講談社を抜き、連続1位を記録している。
 
 実は、この私も昨年7月に新風舎の出版賞ノンフィクション部門にエッセイ作品を応募した。私は十数年前より、投書投稿、意見書提出をライフワークとしており相当数の原稿を書き溜めていたため、その原稿の中から応募作品としてふさわしいものをエッセイ集としてまとめ直し応募したという経緯である。(当ブログのバックナンバーにその応募作品も掲載しているのであるが。)新風舎の出版賞の場合、入賞作品数点は会社の費用負担での出版化という特典付きのため、あわよくばと考えての応募であった。世の中そんなに甘くないことも承知の上での応募であり、案の定、入賞は逃がしたのであるが。

 この私の出版賞応募に前後して、自費出版をめぐる自費出版本の著者と出版社の間のトラブルの話題が新聞を賑わせていた。例えば、コンテストの最終選考まで通過し最終的には落選したのだが、出版社からの自費出版のしつこい勧誘を受けおだてに載せられて自費出版したものの騙されたような気がするという著者の話、また例えば、出版社との自費出版契約内容とは裏腹に製本化した後の販促活動を出版社がまったく行わない等、契約内容に誤解を生む要素があったとして著者が出版社に損害賠償を求めて提訴したという話、等を私は目にしていた。

 上記のようなトラブル情報を既に入手していたため、私は出版社側のだいたいの手口は予想できていた。応募後はまさに上記の騙されたのかと思って後悔している著者とまったく同じで、案の定私の場合も出版社から入賞者発表直前に最終選考まで通過しているという連絡が入るのである。そして落選後に応募作品を褒めちぎった評価と共に“出版化推薦作品認定証”が届き、是非自費出版しましょう、とくるのだ。断った後も、再三自費出版を促す連絡が来るという段取りである。

 私の場合、身内が既に某社より自費出版本を出版していたこともあり、自費出版とは如何なるものかを既に把握していた。費用としては200万円程かかる。出版後の出版社からのフォローはないに等しい。そのような条件でも自己満足が得られるならば200万円の価値はあろう。自分の著作物が製本化されること、売れることは期待せずとも少なくとも身内や近親者には配布できること等に価値が見出せるならば、200万円も惜しくはないのであろう。(我が身内も惜しくなかったから出版したらしい。)
 私もほんの少し自費出版化も考慮した。私の場合は既にこのように「原左都子エッセイ集」をブログにて展開している訳であるが、本にはブログとはまた異なる趣があることは事実だ。日々更新の世界で日々通り過ぎ、はかなく流れ去ってゆくブログとは異なり、本には蓄積性があり確固とした実質的な存在観がある。 だが、結果として私は自費出版に対して我が身内ほどの思い入れはなく、やはり出版は取り止めた。

 若い世代の人間とのかかわりの希薄化現象や引きこもり現象、あるいは団塊の世代の定年等により(?)、活字や写真、映像、等の形での自己表現の場を求める人口が急増している今の時代を、ブログを開設したお陰で私も実感する日々である。
 今回のこの新風舎の民事再生法適用申請は、それらの人たちの自己表現の場のひとつである自費出版が早くも終焉を迎えていることを実感する出来事である。

 
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法の適用と解釈(その2)

2008年01月06日 | 左都子の市民講座
今回は“左都子の市民講座”「法の適用と解釈」の後半、「法の解釈」について解説しよう。



Ⅱ 法の解釈


 ①法の解釈とは?

   法文の意味や内容を明らかにすること。
   具体的事実に対し、法を適用するときにその解釈が必要となる。

 ②法の解釈の意義

  ○抽象的表現の具体化、明確化
    例:民法1条の3「私権ノ享有ハ出生ニ始マル」
       では、「出生」とはいつなのか? 学説は分かれる。
        ・陣痛開始説
        ・一部露出説 ← 刑法の通説
        ・全部露出説 ← 民法の通説
        ・独立呼吸説 
     ※ 刑法においては人名尊重の観点から「出生」を早期に解釈するのが
       通説の立場
       胎児であるか、人であるかにより適用される条文が異なり、刑罰の
       重さが異なってくる。 → 人を殺した場合は殺人罪
                      胎児を人工的に流産させた場合は堕胎罪

  ○法律の非流動性と社会現象の流動性とのズレを埋める
    法 … もともと最高に強力な社会規範
         この最高に強力な社会規範が流動的であったならば、人々は
         何を基準に生きてよいのかその方向性を見失ってしまう。
         そこで法とはそもそも非流動的な存在である。
        解釈により非流動的な法と流動的な社会現象とのズレを埋める。


 ③解釈の方法

  ★有権解釈
    国家の各機関により与えられる解釈

  ★学理解釈
    学理に基づいて法文の意味を明らかにする解釈

   A.文理解釈
     法文の文字や語句の意味、及び法文を文法に基づいて明らかにする解釈
     文字通りに解釈すること
      欠点:融通が利かない。
         杓子定規な解釈となり、法の目的が損なわれることもある。
          例:“車馬通るべからず”
             本来の意味は“乗り物は通ってはいけない”
             これを車と馬は通ってはいけない、と解釈するのが
             文理解釈。

   B.論理解釈
     法文の文字や語句にこだわらず、論理体系的に解釈すること。
     すなわち、法の制定の目的、他の法令との関係、法典全体の組織、
     社会現象の変化、その他を考慮して解釈すること。
     法的安定性、法的妥当性、論理一貫性、具体的妥当性を追求しながら
     解釈すること。

    a.拡張解釈
      文字や語句の意義を、それが本来もつ意義よりも拡げて解釈すること
       例:刑法第129条1項にガソリンカーも含めた例
          刑法第129条は汽車、電車、艦船について定めた条文であ
          るが、これにガソリンカーも該当すると拡張解釈した。
                 ↓
       ただし、刑法における拡張解釈は人権侵害に結びつく危険性あり
                 ↓
       なるべく避けるべきというのが通説。
       学説によっては刑法における拡張解釈を禁止する説もある。

    b.縮小解釈
      文字や語句の意義を、それが本来もつ意義よりも縮めて解釈すること
       例:民法第86条と刑法第235条の財物との関係
          民法第86条においては物を不動産と動産と定義しているが
          刑法第235条の財物には不動産は含まないと解釈する。

    c.反対解釈
      法文が規定している事項の反面から、法文に規定されていない事項を
      理解して解釈すること

    d.勿論解釈
      法文にはっきり定められていない事項でも、法文の趣旨からしてその
      法文中に含まれるのはもちろんであると解釈すること

    e.類推解釈
      よく似た事項A、Bにつき、Aに規定がありBに規定がない場合に
      Aの規定をBに適用して解釈すること
       例:“車馬通るべからず”
           牛も通ってはいけないと解釈する。
      
      刑法における類推適用の禁止
       = “罪刑法定主義” の原則に反する
            司法権の立法権への侵害となる。 

   C.目的論的解釈
     法は一定の目的をもって制定されているから、その目的に合うように
     解釈すること
      例:民法第739条と内縁関係について
         婚姻は戸籍法の定めることろによりこれを届け出ることによる           
          と定めているが、判例は内縁関係を婚姻に準ずる関係と認めた。

  ★利益衡量論 (新しい解釈法、帰納的方法)
    結論が先にあり、それに基づき法律構成をする、という考え方
    論理的解釈よりも、実務家の勘による。
     (実務家はその実務経験により、極端に言うと、どちらが善でどちらが
       悪かが直感で判断できることもあるらしい。その判断力でとりあえず
      結論を先に導いておいて、後から法律構成をするという方法。)
      
     欠点:制定法規範を無視する恐れがある。
             ↓
        法の秩序が危険にさらされる恐れがある。
    法適用の際のひとつの手段としてこの方法を用いるならば妥当性はある。
    
   

法の適用と解釈(その1)

2008年01月04日 | 左都子の市民講座
法律は解釈論が面白い。
元々理論派の私は法解釈の“理屈っぽさ”にはまってしまい、学業の中途から経営法学へ方向転換したといういきさつがある。

さて、今回の“左都子の市民講座”では、「法の適用と解釈」を取り上げる。
まずはその前半、「法の適用」から解説しよう。


 Ⅰ 法の適用

  ①法の適用とは
    具体的事実、例えば殺人事件などに 法 をあてはめて、合法的な判断を
    下すこと。

    法的三段論法 
                         具体例:殺人
     大前提 … 具体的事実  : AがBを殺したという事実
     小前提 … あてはめる法 : 刑法第199条 殺人
     結論  … 合法的判断  : Aが死刑または無期懲役もしくは3年
                        以上の懲役に処せられる。
       ※参考 法律用語における「または」「もしくは」の位置づけ
              甲 または (乙 もしくは 丙)

  ②法の適用の方法

   A.事実の確定とは
      法を適用するために、その適用の対象である具体的事実の存否、内容
      を正確に認定すること

     事実の確定の重要性
      例:殺人事件
         事実の内容により適用される刑法規定、刑罰の種類、重さが
         異なってくる。
          殺意をもって殺した場合→刑法第199条(普通殺人罪)
          頼まれて殺した場合  →同第202条(嘱託殺人罪)
           ※過失により死に致した場合 →同第210条(過失致死罪)

   B.事実の確定の種類

    a.立証
      事実の確定は原則として証拠に基づいてなされる。
           = 証拠主義
              刑事訴訟法第317条、民事訴訟法第257条
     ○刑事訴訟:実体的真実発見主義
       被告人の自白がある場合も、事実の認定は証拠によることを要する。
     ○民事訴訟:口頭弁論主義
       当事者が口頭弁論で相手方に主張した事実を争わないときは、
       自白したものとみなされる。
    
     立証責任(挙証責任)
      証拠は原則として事実を主張するものがあげなければならない。
       民事訴訟 →当時者
       刑事訴訟 →検察官

    b.推定 「…ト推定ス」「…と推定する」
      周囲の事情や事物の道理から考えて、一応の事実の存在、または、
      不存在を認めること。
      反証可能。反証がない以上、法が一定の事実の成立を認める。
       例:民法第762条2項(夫婦間の財産の共有の推定)
         民法第772条(嫡出の推定)

    c.擬制 「…ト看做ス」「…とみなす」
      法が事実の存在、または不存在を確定すること。
      反証不可。

       例:民法第1条の3(権利能力の始期)と、
         民法第886条1項(胎児の相続能力)との関係
          私権の共有は出生に始まるのが原則であるが、胎児は相続に
          ついては既に生まれたものとみなす。

       例:民法第85条(物の定義)と、
         刑法第245条(電気)との関係
          民法において物とは有体物をいうが、刑法における窃盗及び
          強盗の罪において電気は財物と看做す。

       例:民法第3条(成年期)と、
         民法第753条(成年者としての能力の取得)の関係
          満20年をもって成年とするのが原則であるが、未成年者が
          婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす。
         その根拠
          婚姻とは社会の基本的な一単位をつくる行為であるため、
          人格の成熟が前提である。そのため精神的、社会的成熟、
          経済的能力が必要とされる。ゆえに、未成年者が婚姻を
          すると成年者とみなされる。
          では、離婚した未成年者は成年者とみなされるか?
          民法上学説は分かれているが、成年者とみなすのが有力説

        ※参考 学説とは法律学者の打ちたてた理論
              通説 …おおよそ8割以上の支持を得ている説
              多数説…おおよそ6割以上の支持を得ている説
               有力説…(いい加減で根拠はあまりないらしい…)

         
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今年はラデツキーが聴けるか?!

2008年01月02日 | 音楽
 我が家の元旦の夜の恒例行事は、NHKの「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」を聴くことである。
 毎年世界的に著名な指揮者が、音楽の都ウィーンの“ウィーン楽友協会大ホール”においてウィーンフィルを指揮するこのニューイヤーコンサートを聴くことなくして、我が家の1年は始まらない。

 個人的には大トリの「ラデツキー行進曲」が大好きである。(いつもいつもド素人好みで恐縮ですが…。)アンコールのクライマックス「ラデツキー行進曲」で最高に盛り上がり、“ブラボー!!”の歓声が会場中にこだまして幕を閉じるラストシーンを観ては毎年涙を流している。

 ところが、この「ラデツキー行進曲」が演奏されない年があった。2004年12月26日に起きたスマトラ島沖巨大地震による津波のため、30万人にものぼる尊い命が失われた。あの大惨事のあおりを受けて、2005年のニューイヤーコンサートでは「ラデツキー行進曲」が指揮者の判断で犠牲者の冥福を祈るために割愛されてしまったのだ。あの大惨事の直後に、まさか快活な行進曲を演奏して一部の人間が盛り上がる訳にはいかない。それは十分理解しているし不謹慎であることも重々承知ではあるが、「ラデツキー行進曲」を聴けないニューイヤーコンサートほど欲求不満を募られるものはない。
 そういう経過もあるため、またまた不謹慎ではあるのだが表題の通り“今年はラデツキーが聴けるか?!”昨年末に相当気をもんだ。なぜならば、昨年末にパキスタンでブット元首相暗殺事件が起き、現在パキスタンは内紛で多数の犠牲者が出ているだめだ。 パキスタン国民の皆さんには大変申し訳ない思いであるが、今年は「ラデツキー行進曲」を堪能できた。

 ニューイヤーコンサート歴代指揮者の中で私の一番のお気に入りは、2001年、2003年のオーストリアのニコラウス・ハノンコート(アーノンクール)氏である。この方、ご年齢にもかかわらずとってもお茶目な指揮者でいらっしゃる。そしてサービス精神旺盛で客席との一体感がいいのだ。指揮に抑揚があるのが特徴だが、ハノンコート氏の「ラデツキー行進曲」は脳裏に焼きついている。観客席に向かって観客のために手拍子で指揮をしたのは、未だかつてこの方だけであろう。

 さて、昨日放送された2008年ニューイヤーコンサートを振り返ろう。
 今年の指揮者はフランスの名匠ジョルジュ・プレートル氏であった。フランス出身の指揮者は歴代初めてのことであるらしい。83歳の高齢でいらっしゃるにもかかわらず、精力的に指揮をされていた。
 まず、第一部。「ナポレオン行進曲」からの快活なスタートである。「オーストリアの森つばめ」「ラクセン・ブルク・ポルカ」「パリのワルツ」「ベルサイユギャロップ」「天国と地獄のカドリーユ」「ギャロップ小さな広告」と続く。さすがにフランスの指揮者だけあって、フランスにゆかりの選曲が目立つ。
 そして、第二部に入ると毎年バレエも楽しめる。「ワルツ人生を楽しめる作品340」では宮殿風の建物の中の部屋や回廊を舞台にして、そこを移動しながら繰り広げられるバレエが圧巻であった。そして、太陽の下の屋外でもバレエが繰り広げられるのであるが、これは普段はなかなか観ることができない。 その後ポルカが続き、「ポルカパリジェンヌ」では白馬数頭がすばらしいダンスを披露した。そして今年開催される北京オリンピックを意識した「中国風ギャロップ」、アンコールの「スポーツポルカ」、前後するが超有名な「皇帝円舞曲」と続き、毎年恒例の「美しく青きドナウ」では歴代初めての試みとして会場内でダンスが披露された。あの狭い会場のどこで踊るのか興味を持っていたのだが、観客席の通路や階段がダンスの舞台となった。これがまたすばらしく粋な演出であった。 そしていよいよ大トリの「ラデツキー行進曲」であるが、今年のラデツキーはややゆっくり目のテンポであったが無事演奏され、会場のブラボーの歓声の渦の中、今年のニューイヤーコンサートは無事幕を閉じた。

 この1年も何とか平和に経緯して、来年のニューイヤーコンサートでも「ラデツキー行進曲」が演奏されることを祈りつつ、本年は第一本目の当記事から「原左都子エッセイ集」を開幕しよう。
   
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