原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

頭がハゲてて、何が悪い!!?

2010年11月16日 | 医学・医療・介護
 冒頭からお断りしておくが、今回の記事はいわゆる“男性のハゲ”について論評するものではなく、癌等の疾患により毛髪を失わざるを得ない実態に触れる内容である。


 少し古くなるが、朝日新聞10月1日夕刊一面下欄“人脈記”は「脱毛ごとき気にするな」と題し、癌治療の副作用により頭髪が失われる実態とそれにもめげずに生き延びる女性達の強さが報告されたものだった。

 この記事の中で、今は亡き女優の夏目雅子氏が、妖艶なまでに美しい27歳という女優そして女の盛りに急性骨髄性白血病と闘いつつ抗癌剤の副作用で丸坊主になった後、肺炎を患い息を引き取るまでのエピソード等が綴られていた。

 このエピソード記事は、同じく癌を患った経験がある原左都子にとってある点で辛く悲しいものであった。
 何故に私が辛く悲しかったのかと言うと、この記事によれば雅子氏のお母上が女優である雅子氏に配慮したが故に抗癌剤治療が遅れてしまったとのことのようなのだ。 「髪は女の命。まして(雅子は)女優なんだから(抗癌剤治療により頭髪が失われるなんて)冗談じゃない。」と判断したとのことだ。
 その背景として、この頃はまだ本人に癌告知をしない時代であった。 雅子氏の場合も本人には癌である事を告知しておらず、家族が治療方針を決断していたようである。  ところが回復が遅い雅子氏にやっと新しい抗癌剤(本人には新薬とのみ話したらしいのだが)を使うことを決意したお母上が脱毛の副作用を雅子氏に告げたところ、「ママ何言ってるの。三蔵法師役で坊主頭が色っぽい等言ってもらえたでしょ。」と本人が軽く笑い飛ばしたとのことである。
 「しまった。もっと早く使っておくべきだった…」とお母上は自分の判断が誤っていた事を雅子氏他界の後々まで悔やみ続け、脱毛ごときで治療を控えたり辛い思いをする患者を救うべく、かつらを無料で貸し出す「夏目雅子ひまわり基金」を1993年に設立したとのことだ。


 私が15年前に癌を患ったことに関しては、本ブログの3年程前のバックナンバー「癌は突然やってくる」において公開している。

 私の場合、頭部の皮膚癌であった。 それ故に上記の夏目雅子氏の事例と頭髪を失う医学的機序がまったく異なる。
 そもそも癌を手術により摘出する場合、癌の発生部位の如何にかかわらず既に癌が周囲に転移していることを想定して、癌発生部を中心に周辺組織も含めて切除するのである。(現在の医療は進化してそうではないかもしれないが)  私の皮膚癌の場合、癌が既に3cm程の大きさに成長していたのだがその周辺部を含め直径6cm程の頭皮が(当然ながら毛髪と共に)切除された。 その切除部に自分の足から皮膚を切り取り植皮して、頭蓋骨を保護するという手術が施されたのである。
 今回ずい分と手術施策の詳細まで述べたが、要するに私の癌の場合仮に抗癌剤治療をせずとて(実際には抗癌剤治療もして一時期頭髪全体が薄くなる被害も被っているのだが)、頭に直径6cmのハゲをその後一生抱えることが手術前から決定していた訳である。
 元々医学関係者である私は当然ながら当初より自分から望んで癌を告知してもらい(と言うよりも既に癌をある程度自己診断しており、組織診直後に病院から呼び出された私は、こちらから医師に「悪性でしたよね?」と切り出したものである)、その後家族など一切交えず自ら医師団と意見交換しながら上記の治療に当たった。


 そんな私の経験上の実感を交えて述べるが、やはり癌患者とは皆、周囲の誰が何と言おうが“助かりたい”思いが一番なのであろうと私は察する。
 そうではなく、頭が一生ハゲになる治療など命に替えても回避したいって??? 
 確かに、この気丈な私とてもちろん手術前にはそれは大いに気に掛かったものだ。 それ故に前もって手術後のハゲ対策を医師に相談したのである。 そんな私の“女心”に医師も大いに応えてくれたものだ。 「今の時代、いくらでも対処法はあります。かつらを使用するのはもちろんのこと、頭髪移植等々…」

 私がいよいよ頭皮切除の手術に臨むにあたり、癌周辺部の頭部毛髪を広範囲に剃り落としてきた(哀れな)姿に直面したいつもは気丈な義理母が、手術直前の私の目前で一瞬涙ぐんだことを今尚よく憶えている。 おそらく夏目雅子氏のお母上と同じような情感だったことであろう。
 ところが癌患者である私本人としては、頭部の細胞組織が不気味にみるみる増殖していく過程の方がよほど恐怖だったものだ。(皮膚癌とは体の表面の癌ですから、自分で癌が増殖していくのが手に取るように分かるのが怖くもあるのです…)
 とにかく早く切除して欲しい思いのみで手術に挑み、手術後一生ハゲを抱えて生きていくどうのこうのよりも、術後はとにもかくにも“ゾンビのごとくの災い”を我が身から取っ払えた気分で清々したものである。


 今現在、癌は本人に告知することが一般的な時代に移り変わっていることであろう。
 そんな時代に尚、癌を告知されることを恐れる人が存在するのであろうか? もちろんそうであるならば、本人のその意向も尊重されるべきであろう。
 それも尊重した上で、癌患者とはとにかく“助かりたい”というのが何よりも本音ではないのだろうか?? その思いこそが“ハゲ頭”を一生貫く辛さなどという取るに足りない事よりも、ずっと重いのは当然のことである。



 話のついでに、この私が癌の置き土産である“頭部のハゲ”を今どうやってカバーしているのか読者の皆さんにこっそり教えましょうか??
 私の場合、結局ウィッグで対応しています。

 ここで少しだけウィッグを使用する悩みをお聞きいただいていいですか?
 実はこのウイッグが完全オーダーの場合、超高額なのですよ! (1個数十万円のウィッグの寿命が約3年です。過去15年間に既に9個のウィッグを作り数百万円の費用を計上していますが、今後一生私の“ハゲ頭”にかかるウイッグ費用は一戸家が建つ程の巨額になるのです…)
 この分野にも医療保険が適用されるといいのですが、現状はすべて実費で賄っている実態です…。 せめて所得税の医療費控除対象にして欲しいものですね。

 多少の経済力がないと癌にも罹れない後々の実情を少し披露しましたが、それでも命があってなんぼの話ですよね~~。
 癌患者の皆さん、ハゲ頭など一切気にせず癌を克服しましょう! 
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コミュニケーションが息づく街 狛江

2010年11月15日 | 人間関係
 30ウン年前に上京した原左都子が都心から程近い東京都狛江市を訪れるのは、今回開催された「狛江市民祭ディスコ大会」に参加するのが初めてのことであった。

 
 何故に私が「狛江市民祭ディスコ大会」に参加するに至ったのかについては、本ブログのディスコ関連記事で幾度か述べている。 ここでそのいきさつを今一度繰り返すと、何ヶ月か前のことであるが「原左都子エッセイ集」の3年程前のバックナンバー「70年代ディスコサウンドで踊ろう!」のコメント欄に、狛江市青年教室の指導者でいらっしゃる mito氏 よりコメントを頂いた事に遡る。
 原左都子が70年代当時にディスコガール♪を堪能していたのと同様に、当時ディスコボーイであられたmito氏が是非共「70年代ディスコ大会」を開催したいとコメント欄で述べておられたのに同調した私であった。
 その後mito氏より「狛江市民祭」協賛でディスコ大会を開催するとの追加コメントを頂いた私は大いに感激し、先月末に狛江市青年教室でのリハーサルの場に参加させていただいたのだ。


 そして、いよいよ昨日(11月14日)が「狛江市民祭ディスコ大会」の本番だった。

 東京新宿駅から発着している小田急線(東京メトロ沿線に住む私の場合、地下鉄から小田急線に乗り入れるルートなのだが)の狛江駅(新宿駅から約20分程度の所要時間であろうか?)に降り立った私は、10月末に訪れた時とは異なる何やら街が活気付いている雰囲気を既に察知していた。 それもそのはずである、今日は周辺で「狛江市民祭」が開催されているのだ。

 駅から程近い狛江市役所に到着すると、そこはお祭りの屋台や各種バザールの出展と共に市民が溢れ、身動きが出来ない状態である。 中央公民館の「ディスコ会場」へ急ぎたい私は人波をかき分けつつ、ちょうど特設ステージから発せられる来賓(もしかしたら狛江市長さんだったかも??)と思しき人物の祝辞のような挨拶を見聞した。
 「狛江市とは首都東京に位置し都心から近いにもかかわらず、自然にも恵まれ市民活動が活気付いている市です。こんな自治体は大都会東京において貴重な存在です。我が市が大き過ぎない規模であり恵まれた立地条件であるからこそ毎年毎年市民祭を開催でき、大勢の市民が集まってくれます。こんなこと、今や大都市の自治体では実施不可能でしょう。」(原左都子の記憶で綴っていますので、多少アレンジされているかもしれません…)
 
 まったくその通りであろう。
 我が子が小さい頃一時埼玉県に住んでいたことがあり、その折に自治体が開催する市民祭に訪れたことはあるものの、その後都心に転居して以降はこのような自治体祭は経験していない。 現在居住している区においても区民祭は実施されているようではあるが、今となっては参加するきっかけも機会もないのが現状である。


 今回の「狛江市民祭ディスコ大会」に参加させていただいたことにより、私は上記のmito氏をはじめ、狛江市青年教室主宰者の社会教育主事であられるI氏やそのメンバーである狛江市の青年の皆さんより大いに刺激を頂いたのだ。
 
 mito氏は長年社会生涯教育を研究して来られた人物であり、現在は首都圏に位置する某大学の生涯教育分野の教授でいらっしゃる。 そして狛江市青年教室責任者兼社会教育主事のI氏も、同様にその分野の専門家であられる。 そんなご両人に導かれつつ成り立っている「狛江青年教室」は、実に今狛江市に息づいている実感を私に与えてくれるのだ。

 在籍している青年層を主体とした「狛江青年教室」のメンバーの皆さんも、まるでひと昔前の若者に遭遇したのごとく活き活きと青年教室の諸活動に取り組んでいるのである。

 
 大都会暮らしが長く、加えて人間関係が希薄化した今の殺伐とした世の中の現状に染まり過ぎて、ある意味ではそのマイナスの免疫力を得そうになっていた原左都子にとって、都心に程近い場所に確かな生命力を宿している「狛江青年教室」という一コミュニティが息づいている現状に今回触れることが出来た思いはまさに新鮮そのものである。

 首都東京に「狛江市」という自治体が存在し、そこで市民が集う祭が開催され、今回その一部に参加させていただけたことに心より感謝申し上げたい思いである。
                    

「狛江市民祭ディスコ大会」 内容変更のお知らせ

2010年11月13日 | お知らせ
 「原左都子エッセイ集」4本前の11月6日付記事におきましてお知らせしました 「狛江市民祭ディスコ大会」 の実施内容と時間が変更されました。


 以下は、上記ディスコ大会の指導者でいらっしゃる mito氏 より昨日「原左都子エッセイ集」コメント欄にいただいた変更内容を、そのままコピーしてお知らせします。




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スケジュールが以下のように変更となりました。

何かあれば、公民館の岩崎さんまで連絡ください。
03-3488-4411

終わったら飲み会も予定しています。
皆さんの参加をお待ちしています。

11月14日(日曜)

11時~12時 公民館視聴覚室(地下)で練習

12時30分 公民館受付前集合→会場(道路?)へ移動しディスコタイム

13時10分~20分 第1回ディスコタイム

13時45分~55分 第2回ディスコタイム

14時15分~    ディスコ講習会(公民館視聴覚室)

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 大変申し訳ありませんが、原左都子自身も現在のところ変更事項の詳細に関しましては把握できておりません。


 参加をご予定されている場合、お手数ですが 狛江市中央公民館の岩崎さん(上記の電話番号) まで直接お問い合わせいただけましたら、確実な情報が入手可能なことと存じます。



 P.S.
 その後、変更内容の詳細やその理由等につきまして、バックナンバー「続 70年代ディスコサウンドで踊ろう!」のコメント欄で指導者の mito氏 とやりとりをしておりますので、そちらをご参照いただけましたら幸いです。(11月14日記)


            
 
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学校における 「好きな子グループ」 考

2010年11月11日 | 教育・学校
 「原左都子エッセイ集」の4本前のバックナンバー“学校・教育カテゴリー”のいじめ関連記事に引き続き、学校におけるいじめ問題を別観点から綴るのが今回の記事の趣旨である。


 ところで、その後群馬県桐生市の小6女児の自殺事件に関連して、この児童が所属していた小学校が事件発生から2週間以上も経過した今頃になり、自殺女児に関して学校内でいじめ行為があったことを認める見解を表明している。 ところが、「そのいじめと女児の自殺との関連性については不明」とのあくまでも責任逃れの中途半端な表明である。
 しかも、この女児がフィリピン系のハーフであったことや、それ故に「きもい」「くさい」「うざい」等の罵声を級友から浴びせられ続け孤立していたことに関しても、今頃になってメディア報道において表面化しているようだ。

 今回の記事の趣旨からはずれるが、もしもこの女児がフィリピン系ハーフであったがために地方の公立小学校においていじめに遭っていたとするならば、この女児の自殺は今の時代多国籍化している児童生徒を受け入れるべく我が国の義務教育現場においてより深刻度が増す問題である。 その観点からも尚さら学校は早急な対応と報告を要したにもかかわらず、まさかとは思うが“死んだのがフィリピン系だから日本の生徒からいじめがあって当然であり、対応は後回しでいいだろう”とでも学校責任者が安易に捉えていたとするならば、これはとんでもない勘違いであり大問題である。

 私の推測が当たっていると仮定して、愚かな義務教育現場である学校責任者に個人的に言っておきたいことがある。
 国際競争力をすっかり失っている今の日本の現状を客観的に把握出来ているのか? 過去の一時の勘違いバブルに浮かれた感覚でアジア諸国を馬鹿にすると、今後痛い目に遭うぞ。 今時アジアへ旅に出ても中国、韓国、インド等新進経済国の話題で持ちきりで、日本の事が口にされることなど皆無と言っていいのが実態で寂しい思いすら抱くものだ。  我が国の義務教育学校に運良くアジア系の児童が在籍しているのであれば、それを大いに利用して、現在のアジア諸国の政治経済力の躍進ぶりこそを日本の児童に伝えるべきではないのか!? それこそが生身の国際理解教育というものであろう。 そうであるにもかかわらず、アジア系ハーフの女子を自殺に追い込み、尚且つその報告が遅れている責任は重いものがあるぞ。」 と私は学校に伝えたい思いである。


 さて、本題である「好きな子グループ」に話題を移そう。

 この「好きな子グループ」とは、上記桐生市の女児が自殺に追い込まれたと推測する公立小学校における“いじめのキーワード“なのである。 
 この女児が所属していた小学校のクラスでは、給食時に担任から「好きな子同士で一緒にグループを作って給食を食べましょう」との指示があったらしいのだ。 級友にとって「うざい」「きもい」存在であったという自殺した女児は、いつも不本意にも給食を一人で食べることを強いられていたのである。 (この現状を慮った場合、担任こそがいじめの先導をした元凶であるとも考察できるのだが……)

 ここで私事になるが、実は我が子も小学生時代から高2に成長している今に至るまで学校が言うところの「好きな子グループ」に“入れない人材”である。
 「原左都子エッセイ集」において再三綴っているように、我が子は若干の事情を持って産まれてきており、幼い頃ほどその特質が表面化していた。 おそらく我が子は級友にとって“異国人”のごときの存在であったことだろう。
 小学校低学年までは担任の指導に従ってグループ行動を楽しんできた娘も、高学年になってから学校における自主性の指導の一環であると思われる「好きな子グループ」に入れなくなっていることに私は気付いた。
 そんな私は娘に次のごとくアドバイスしたものだ。  「あなたがもしもいずれかのグループに入りたいのであれば、それが叶うべく少しは努力しなさい。 そうではなくて、入りたいグループがないかあるいは単独行動が心地よいのであれば、一人でいることを全うしなさい。 実はこの母とて昔から今に至るまで集団行動が大の苦手だよ。  ただし、クラスという集団内において皆がグループ化している中で年端もいかないあなたが一人でいることとは大いなるプレッシャーがあると思うよ。それに耐えられる勇気と力量があることこそが“集団内”で一人を貫くことの条件だよ。」

 上記において、我が子のことを「好きな子グループ」に入れない“人材”と表現したのだが、まさに我が子は集団内にいて尚単独行動が可能な希少なマイペース“人材”を貫いているようなのだ。 (参考のため、我が子は指導者からグループ行動を強制された場合、それに素直に従えるキャラの持ち主です。 この点において、あくまでもグループ行動を回避したい私より人間が出来ています。)


 最後に私論でまとめよう。

 日本の義務教育課程において、とかく「集団」や「グループ」が強調され過ぎるきらいがあることを、幼き頃より集団行動よりも個人活動が得意な私は、ずっと以前より懸念し続けている。
 ましてや、これ程国際化が進展し文化が多様化した今の時代に、公教育現場である公立小学校が年端もいかない児童を捕まえて、「好きな子グループ」に分かれて給食を食べよ、とは一体どうしたことか??  もちろん、子ども達が自主的に自然発生的に生じたグループ活動を楽しむ分には何ら問題はない。 指導者の立場から全生徒に「好きな子グループ」に分かれよ、と強要するところに大きな誤りがあるのだ。そこには生徒一人ひとりの個性や多様性を尊重しようとの発想がまったく欠けているのである。
 
 もちろん、公教育とは子どもの「社会性」を育てるのが使命であろう。
 ただ、「社会性」とは何なのかの原点に立ち戻って欲しい思いの原左都子である。 確かにその中には“集団行動”が得意な子どもを育成する主眼もあろう。 ところが、「社会性」とは決して集団(特に“好きな子”)に迎合することではないのも明白である。
 そうではなく「社会性」の本来の意味とは、人間集団の中で一個人としてうまく機能しつつ社会の中で能力を発揮していくことではなかろうか?
 
 公教育現場の勝手な解釈により、年端もいかない児童に「好きな子グループ」を結成させることを強要するべく歪んだ教育を施し、子ども達を傷つけたり個性を押し潰す過ちを繰り返さないで欲しい思いの原左都子である。
      
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野田聖子さん、産まれて来る子どもの人権に思いが及んでいますか?

2010年11月09日 | 時事論評
 「原左都子エッセイ集」9月18日のバックナンバー記事「50歳で子どもを産むということ」宛にまるで返答をいただいたかのごとくの、野田聖子氏に対するインタビュー記事を、11月6日付朝日新聞夕刊において発見した。

 もちろん決してそうではなく、今回の野田聖子衆院議員の50歳にしての体外受精妊娠騒動が世の物議を醸しているため、朝日新聞が現在妊娠7ヶ月の安定期に入っている野田氏本人に現在の心境をインタビューしたまでのことであろう。


 ここで我がバックナンバー「50歳で子どもを産むということ」で綴った私論の趣旨を少し復習しておくことにしよう。
 元々不妊治療という人工的措置を施してまで子どもを設けることに関して、原左都子は基本的には肯定的に捉えていない。 そんな私は、親であるご本人が子どもを産みたい意思をあくまで押し通して体外受精に踏み切る場合、自分の希望を優先する以前の問題として、必ずや生まれてくる子どもの一生に渡る人権こそに思いを馳せるべきであると強調した。
 体外受精等人工的措置を施してまで子どもを設けることにこだわる人種とは、ややもすると親本人のエゴが優先されているきらいがあることを私は懸念しつつ、ご自身のエゴよりも、産まれて来る子どもの人権の方がはるかに尊いとの私論を展開したのが「50歳で……」の趣旨である。

 何故に上記のごとくの私論を展開するのかと言うと、これについても本エッセイ集の不妊関連の複数のバックナンバーで再三既述しているのだが、世の中には何故に自分が子どもが欲しいのかに関してとんでもない勘違いをしている人種が必ずや存在するためである。 
 例えば(子どもを産めない女は女性として機能不全であると後ろ指を指されたくないから何が何でも産みたい…)等の自己の存在正当化であったり、 あるいは(子どものいない人生は寂しい)等、産んだ子どもに依存する他力本願人生を送るのが目的だったり、 はたまた今回の野田聖子議員のように(?)世襲の跡継ぎが欲しいがためだったり???……
 とにかく、私が今まで身近に経験している体外受精をしてまで子供を設けることに躍起になっている人種とは、どうも自分のエゴばかりにがんじがらめになるが故に客観的な思考能力を失ってしまい、生まれてくる子どもの人権に思いが及んでいない場合が多々あるのである。

 その結論が惨めである事例も私は身近に経験しているのだ。
 ある女性は高齢にしてやっと子どもを授かったものの、産まれて来た子どもを“育てる”という観点が自分には全く欠如していたことに産んで初めて気付き、結局産んだ子どもが育てられず(母親としての自覚が持てず)にご亭主に子どもを預けて離婚に及んだ事例がある。(すなわちその女性は産んだ子どもを“捨てた”訳であるが、今尚自分が“出産”した事実を誇りとして平然と生きているようだ。) 
 あるいは、他人からの精子提供により子どもを設けたものの、子どもの成長と共にご主人が自分とはDNAの異なる子どもが育つ姿を受け入れる事が出来なくなったため、離婚に及んだ家庭があるとの報道に関してもバックナンバーで紹介している。


 冒頭に戻って、今回の朝日新聞のインタビューに応えた現在妊娠7ヶ月目に入っている野田聖子議員のコメントを以下に要約して紹介しよう。
 
 おなかの中の子は男の子で、元気に動いている。 一般の人から見ると奇妙なのかもしれないが、私からするとようやく“産み時”が来たのだ。 私は法律を作る立場の人間だからこそ、国会議員として(今回の体外受精を)まさに命をかけてやっている。 普通の妊娠が出来ない場合、人工的妊娠のステップがいろいろある。  私が一石を投じたいのは、体外受精を何度もやる必要があるのかということ。これは私自身が14回もやって傷ついたからこそ、これからの女性にはこんな私を反面教師にして欲しいのだ。 だから子どもを産むことを先延ばしにしないで欲しいが、高齢出産でも頑張れと言いたい訳でもない。ただ、この国には子どもが欲しい人にチャンスがない。 私の(生まれてくる)子はハーフだ。 家庭は多様化しているし、これが私たちの家族である。新しい親子の姿を見ることで許容してもらいたい。


 う~~ん、 う~~ん。
 野田聖子さん、このインタビュー回答を見た原左都子はやっぱり辛い……

 あなたが自民党国会議員として活躍(?)していたがために子どもを産み遅れ、その後体外受精に14回も頼って子どもを設けようとした意図はよく理解できた。 その間、ご亭主をとっ替えて現在のご主人をパートナーとした後に今回の米国での卵子提供体外受精妊娠により“ハーフ”の息子さんをまもなく出産しようとしていることもよく分かった。 今の時代家庭が多様化しているのだから、(国民の)皆さんこんな新バージョンの親子の姿を受け入れて欲しい、とのあなたの今の願いも分かった。

 ところで、このインタビュー回答を読んだ一国民として、大いに気になった部分がある。 それは野田氏が海外での体外受精強行を決意したきっかけが、自民党が野党になっていろんな制約から解き放たれたから故と表明している箇所である。(野党議員とは、海外での体外受精が容易に遂行できる程に、自由な時間が保障されているのですかね???)


 そして、いよいよこの記事の本来の趣旨に戻ろう。

 野田聖子さん、この記事によると、あなたはもうすぐ産まれて来る貴方のDNAを継いでいない子に「君は私が10ヶ月間私の血をあげたから私の命よ。欲しくて欲しくて頑張って誰よりも望まれて生まれてきたのよ。」と伝えるらしい。
 その子育ては誰がするのだろう? きっと国会議員のあなたが四六時中育児をする訳ではないから、このような発言が可能なのだと推測する。 おそらく、多大な国会議員歳費特権から優秀なベビーシッターを雇用してその人物に子育てのすべてを任せ、あなたは時折その成長を見ては「いい子に育ってるね」と微笑めば済む立場の“お気軽母親”を全うするつもりなのであろう。
 ここで、産まれて来る野田氏の息子さんの立場になって推測発言するに、「僕は母のDNAを受け継いでいないし、僕を育ててくれるのも見知らぬベビーシッターだよ。 まるで僕は昔の封建制度の下でこの家を継ぐべく養子に来た犠牲者のごとくだ。僕の存在って一体何なの?……」 との悲痛な叫びが聞こえてきそうである。

 今の時代、あの“天皇家の愛子ちゃん”とて小学校での“いじめ”に苦しむべく世が退廃している現状を、子どもを産むことのみに躍起になっている野田氏は自身の問題として実感できているのであろうか?
 子育てとは(たとえ自分が国会議員という恵まれた立場にあると思っていようが)そんなに甘い時代ではないとアドバイスしたくもなる。
 
 子どもを産んだ達成感など、産んだ瞬間にぶっ飛んでしまうものである。 その後の親に課せられるのは、産んだ子どもの人権を一生かけて守り抜くことのみである。

 国会議員であれ如何なる立場であれ、子を持つ親の果すべく使命とは共通であるはずだ。
 自分のDNAを受け継いでいない子どもの誕生、加えて“超高齢出産”となれば親である自身の老後に及んで尚その使命が続く訳であるが、その現状をどれ程自己責任として捉えられた上で人工授精に及んだのか……
 大変失礼かつ老婆心ながら、3ヵ月後に産まれて来る野田氏の息子さんの成長の行く先に暗雲が立ち込めている感覚がどうしても拭えない思いの原左都子である。
           
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