原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

愚か者は「都知事選」を目指す!?

2011年03月05日 | 時事論評
 昨日(3月4日)の報道によると、前宮崎県知事である東国原英夫氏が東京都知事選への出馬を表明する見通しのようだ。

 片や、石原慎太郎都知事が4選不出馬を表明しており、その正式表明を受けた後に東国原氏は都知事立候補理由を明示するとのことである。
 東国原氏は東京・築地場外市場業者や地元住民らのNPO法人「築地 食のまちづくり協議会」で講演する等の動きを見せ、「東京に何年か住んだ。東京に恩返ししたい。東京で汗を流したい」と熱弁したとのことである。 「築地市場移転問題」は都知事選争点の一つであり、「現場の意見を十分聞き、費用対効果を検討しないといけない」としつつ、広報体制を整え、ボランティアを募集するなど着々と都知事選出馬の準備に励んでいる様子である。


 東国原氏と言えば、2007年に宮崎県知事選に無所属の立場で出馬に打って出たことは皆さん記憶に新しいことであろう。 
 何と無謀、まさかまさかと思っていたところ当選し、就任直後には鳥インフルエンザ対策に追われ、その後も作業服姿を売り物に知事として着実に実績を重ねていく中で県民からの高支持率を獲得するに至っている。
 ところが、2008年には既に衆院選出馬騒動を起こし、2009年には自民党よりの衆院選出馬要請を一旦引き受ける(その後撤回)等、宮崎県民の支持を裏切るかのごとくの野心を暴露している。
 そして結局は宮崎県知事を一期のみで切り上げ、本年初頭にそそくさと任期満了により退任することを選択したのである。
 東国原氏に関しては、宮崎県知事選当初より“知事は一期で退任する”ことを公約としていたような記憶があるのだが、その時の公約の趣旨とは一人の人間が長期に渡って一県を自治する弊害を回避するためだったのではないのか?  ところが、今回の東国原氏の知事任期満了退任は、4年前に自らが公約した一期退任の趣旨とは大きく変貌して、単に自らの“野心”が全面に出ているところが、端で見ていて辛い思いの原左都子である。


 一方、神奈川県知事である松沢成文氏も同様に都知事選への出馬を表明している。
 こちらは神奈川県知事2期目の現職中でありながら、それを放り投げて4月の東京都知事選への立候補の意向を固めたそうである。
 この方も、知事の任期を3期までとする「多選禁止条例」を成立させた等の功績があるようだ。 ところが、同時に松沢氏は東京都知事である石原慎太郎氏と親交があり石原氏のブレーンでもあるらしい。
 今回、石原氏の後継含みで都知事選へ擁立される動きがあったとの報道である。 これまた“野心”丸出しで神奈川県知事を中途で放り投げるとしか捉えられず、東国原前宮崎県知事同様に、一般市民感覚としては嘆かわしいばかりである。

 その他、ワタミ創業者の渡辺美樹氏も今回都知事選に立候補するらしいのだが、この人もどうやら“石原ブレーン”であるらしい。
 (結局は石原ブレーンを跡継ぎにさせたいとの石原都知事の意向のみで、次期都知事選が動いていると言うことか???)


 ここで、高知県知事を4期に渡って勤めた橋本大二郎氏を取り上げることにしよう。
 橋本大二郎氏はバリバリ政治家の一族に生まれながら、大学卒業後NHKに入局した。 どうせその後は国政を視野に入れているのかと思いきや、な、な、なんと1991年に日本きっての過疎地である四国高知県知事選に出馬し、2007年までの長期間に渡ってその地の知事としての人生を貫いたのである。
 同じく過疎県である高知県の隣県を郷土とする原左都子としては、その過疎地で4期にも及ぶ長きに渡り知事を全うした橋本大二郎氏とは、私なりの“一部”の観点において賞賛に値するのだ。  その“一部”の観点とは、20代前半に上京して以降東京暮らしの長い原左都子は、もはや過疎県である郷里では決して暮らせない感覚があるのだ。 たとえそれが知事という立場にあろうとも、あの過疎地で日々を送ることの“けだるさ”を思うと、やり切れない思いなのである…
 その後、橋本氏も高知県知事退任後衆院選に出馬するという醜態を晒しながらも、それに落選した後は、東京に於いて大学教授等に携わりながら民間人としての人生を送られているようだ。


 原左都子の私論に入ろう。

  何故に地方の知事をある程度こなせた知事達が、あえてその地の知事を退任してまでも激区であろう都知事選を目指すのか??
 東京都知事選には、ダイヤモンドでも転がっている程の魅力があるのだろうか?
 そうではなくて、原左都子同様に地方の過疎地での日々の人生に“けだるさ”が否めないのであろうか? それは東国原氏には共通項があろうが、氏は決してその種の理由で都知事選に立候補したいのではあるまい。 それは東京都の隣県であり同じく大都会の神奈川県知事である松沢氏にとってはそれ以前の問題であることは明白である。
 結局は「野心」この上ない話なのであろうが、日本の首都である都知事選とは野郎どもの野心を叶える魅力がそれ程にまであるのだろうかと、やはり不思議な感覚の原左都子である。


 最後に2月26日朝日新聞社説 「これからの東京の話を」 と題する記事を、以下に要約して紹介しよう。

 メガポリス東京は、これからどこへ向かおうとするのか?
 石原氏が知事に就いたのは、1999年。 東京はこの間、世紀をまたいでハード面の変容を遂げてきた。
 地方で過疎が深刻化するが、東京には若い世帯の流入が続く。都の人口は12年で1割近く増え、1300万人を超えた。ところが“独り立ち”を続けてきた東京に陰りが見える。リーマンショック後活気が薄れ、若者は安定した職に就けず独居の高齢者も増える。高度成長期以前に備えられた都市インフラも老朽化が来る。
 成熟か衰退か、岐路に立つ都市、東京。 日本全体が政治・経済の転換期にある中、「東京から日本を変える」と豪語した石原氏は舞台を降りようとしている。
 改めて、東京の役割をどう位置付けようとしているのか。 東京の未来予想図を争う時だ。

 まさにその通りである。
 自らの“野望”にがんじがらめになっている輩に、その視野があるのかどうか??
 今後東京都知事に与えられている使命は、そう甘くはない。 
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沢尻エリカ  vs. 岩崎夏海

2011年03月02日 | 自己実現
 表題のお二人は著名人とは言えどもジャンルが大きく異なる故におそらくお互いに面識がないであろうし、何の脈絡もなさそうな御両人を「原左都子エッセイ集」において勝手に取り上げ、比較論評する失礼を何卒お許しいただくことにしよう。


 何故私が今回この2人を取り上げて論評しようとしているのかの理由は、至って安直である。

 昨日(3月1日)午後、スポーツジムにてランニングマシーンに乗っている時、4チャンネルの「ミヤネ屋」において沢尻エリカ氏が取り上げられていた。
 沢尻エリカ氏に関しては、実は「原左都子エッセイ集」開設直後のバックナンバー「朝日新聞 池上彰の『新聞ななめ読み』論評」(2007.10.16)、 及び「池上彰氏は釈明の仕方を誤った」(2007.10.30)に於いて既に取り上げている。 (それに付随して沢尻エリカ氏に関するトラックバックも送信されているので、左欄トラックバックの最下段共々ご参照下さい。)
 これら我がバックナンバーの趣旨は、池上彰氏による朝日新聞記事内容を私論が批判しようと試みたものである。 決して沢尻エリカ氏ご本人について触れた内容ではないのだが、私はこの記事を綴ったことにより、当時女優にあるまじき悪態を晒して世間に物議を醸した沢尻氏の存在を再認識したのだ。
 沢尻氏はその後婚姻し、しばらく芸能界には姿を見せなかったようだが、昨年某エステ会社の専属モデルとしてCMでカムバックし現在に至っているようだ。

 片や 岩崎夏海氏 であるが、こちらは本日(3月2日)たまたま見ていた午後1時過ぎから始まるNHKテレビ番組「スタジオパークからこんにちは」のゲストだったのである。
 岩崎夏海氏の著書 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」 が昨年230万部を超過する大ベストセラーを記録し、今や著者である岩崎氏本人は公演にひっぱりだこ、その著書が既に漫画化されており、NHKにおけるアニメ化、そして今後映画化も予定されているとのことである。
 岩崎氏によるこの著書を残念ながら未だ読んでいない原左都子である。 だが「経営法学修士」を取得している我が身としては当然ながら“現代経営学の父”と称されるピーター・ドラッカー氏の存在は熟知している。
 この岩崎氏の著書に関しては、著者である岩崎氏の名前(夏海)とブックカバーのミニスカ女子高校生の漫画イラストのデザインのせいか、実存する女子高生が著者であるとのデタラメな情報が過去においてメディア上で流れていなかっただろうか??  そんな記憶がある原左都子としては、(まさか現役女子高生に“マネジメント”が語れる訳もないよな~~。 一体どういう内容なのだか知らないけど“人寄せパンダ”的な手法で“売る”ことを全面に出した書物の範囲内としか言えないのではなかろうか???) 等々、意地悪く捉えていたからこそ、著者である岩崎氏には申し訳ないが読む気もしなかったのが実情である。


 話が戻って、昨日の「ミヤネ屋」における沢尻エリカ氏の扱いとは、氏のエステCM新バージョンに際しての記者会見影像を取り上げて、それに対する専門家(?)達の分析コメントを流すものだった。
 早い話が民放昼間番組によくある通り一遍の“くだらない極み”の内容でしかないのだが、上記のごとく「原左都子エッセイ集」で沢尻エリカ氏を取り上げたこともある縁から、画面とテロップ(耳はウォークマンで音楽を聴きながら身体はランニング中)でその番組を垣間見た原左都子である。
 臨床心理士と名乗る“専門家”氏は、その会見における沢尻氏の言動を細かく分析しつつ、「これは演技だ」やれ「これは本心だ」はたまた「この涙は本物だ」等々のコメントを述べるのだが、そんな事は何も専門家による分析に頼らなくとも視聴者は誰だって見え見えであろうと、アホらしいことこの上ない。

 一方、NHK「スタジオパーク」ゲストの岩崎夏海氏。
 こちらは番組の冒頭しか見聞していないのだが、その冒頭での氏の言及が原左都子にとって結構面白かった。
 「230万部のベストセラーの後、何か変化がありましたか?」 との司会アナウンサーの問いかけに、 「何も変わりませんね。 それによって友達や親戚が増えた訳でもなく、自分のライフスタイルは一切崩れていない。 仕事の依頼だけは増えて、それを断るという経験をしていることだけが新しい感覚だ。」


 さてさて、それでは原左都子なりの両者の VS.(比較)を始めよう。

 沢尻エリカ氏に関して十分把握できていない私であるが、この人、女優(あるいはタレント)と名乗っている割には、その種の仕事はほとんとせず、稚拙な醜態やスキャンダルのみで芸能界を渡っている女性と表現してよいのではなかろうか??
 確かに外見的には至って美しい女性であり、その美しさ故にCMのオファーは来るし、その美しさを賞賛するファンも多いようではある。
 それで本人が満足できるならば本人の勝手ということなのであろうが、実際問題はそうではなくて、利潤目的の所属事務所等に操られているだけの話であろう。 未だ25歳という若さの彼女であるようだが、他人事ながら今後どのように身を振って生きていくのだろうとの“無責任な興味”だけは抱く。

 片や、230万部を売り上げた岩崎夏海氏であるが、こちらは今現在まだその実感を得られていないことであろう。
 そうであるとしても、大ベストセラーを記録した作家にして“日常生活にさほど変化がない”とのコメントは、原左都子も多少理解できる気がする。  と言うのも、この原左都子とてあくまでも素人の立場ではあるがこのように日々エッセイをネット上に公開し、読者の方々に恵まれている。 それでも確かに我が日常生活は至って“いつも通り”の域を超えてはいないのだ。 
 それは当然そのはずで、原左都子があくまでも“素人一般庶民”であるからに他ならならい。
 岩崎氏の場合おそらく今後第二段、第三段を出版する事を要請されるであろうし、それがまたベストセラーになりメディアを通じて世間がもっと騒ぎ始めると、自ずと自らの人生が“一見”華やかに移り変わるのを実感せざるを得ない時期が必ずや到来すると言うことではあるまいか?


 今回、原左都子が表題に掲げた御両人の “VS戦” はいずれの勝利となるかは不明であるが、どのような立場にあろうと、周囲の安直な評価になど流されず自分らしい人生を歩みたいものであるよね~~~ 
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