原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

政権が 180°逆戻ってこの国何処へ彷徨う?

2012年12月17日 | 時事論評
 (写真は、南米アルゼンチン 首都ブエノスアイレスに於いて 1858年創業以来150余年の歴史を刻み続けている カフェ トルトーニ の入口に立つ原左都子)


 しばらく「原左都子エッセイ集」の執筆を休止し、年末の多忙なこの時期に南米アルゼンチンへ旅に出ておりました。
 アトランタ経由で片道30時間!! 超ハードなロングフライトにも耐え抜き、無事帰国出来た事がとりあえずは何より命拾いの思いです。

 日本から見て地球の真反対側に位置するアルゼンチンであるが故に、時差が12時間! 昼夜逆転した生活を送り未だ時差ボケ気味ではありますが、本日より「原左都子エッセイ集」を再開致します。


 帰国直後の記憶が新鮮なうちに「アルゼンチン旅行記」を記したい思いは山々なれど……

 昨日(12月16日)実施された第46回衆院選挙結果の“極端さ”に原左都子としては大打撃を受けざるを得ず、帰国後初っ端から選挙関連の「時事論評」を綴り公開する事と相成りました。


 
 まずは、第46回衆院選の「投票率」から私論を展開しよう。

 今回の衆院選の投票率は59.32%。 戦後最低との総務省発表である。 前回民主党が大勝した時の69.28%を9.96ポイントも下回ったと発表されている。
 これまで最も低かったのは小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の59.65%とのことで、今回はそれさえも下回り戦後最低となった模様だ。
 12政党が乱立し投票態度を決めかねた有権者が多かったとみられるのに加え、29年ぶりの「師走選挙」となったことも影響したとのネット報道もあるようだ。

 私論であるが、今時師走が忙しい国民とは少数派ではあるまいか? 現代に於いては人々の生活行動パターンは多様化を極めている。 私のように突然旅行にでも出かけない限り、師走選挙へのさほどの影響力はなかったものと考察するのだが。
 結局、今回の投票率が戦後最低だった最大の理由とは 「投票するべき政党がなかった」 というのが国民の正直な思いなのではなかろうか?

 そうであるならば「棄権」するか、あるいは「白票」を投じるとの選択肢もあったであろうに、などとの顰蹙を買いそうな発想が沸いてしまう私なのだが、特に地方に暮らす人々の感覚とはそうではない様子だ。 
 蓋を開けてみると、前回民主党が“カネのバラ撒き公約”等により大勝した選挙同様に、今回は自民党に“理由なき大量票”が投じられたとの結果ではないのか…

 今回の選挙で民主党が歴史的大敗を記録したのは自己責任範疇と言い切れるであろう。
 野田氏が即刻党首辞任を表明するのは当然の成り行きだ。 加えて官房長官の藤村氏は元より名立たる閣僚達が落選に追いやられた事実とは、民主党政権が国民から支持されていなかった事態が浮き彫りになっただけの話であろう。
 (原左都子が個人的に支持している菅さんは危ない橋を渡り命を繋いだ…。 仙石さんなど何故地元で拒否されたの??  若手実力者である枝野さんと前原さんが生き残った事に民主党の未来を少しは感じる私だが…) 

 さらに個人的には、前回当選時より小沢一郎親分にぞっこんおんぶするしか自らの政治生命を繋げなかった“ガールズ”どもが、今回壊滅状態と成り下がった事に胸を撫で下ろしているところだ。 元タレントの蓮舫氏落選も当然の成り行きだし…


 片や、自民党において訳の分からん“チルドレン”どもがまたもや復活してしまったではないか!

 今回の選挙で294議席に達した自民党の当選議員のうち、09年に落選して返り咲いた元職は70人で、1955年の同党結成以来最多だったとの報道だ。 このうち、ほぼ半数の31人は05年衆院選(郵政選挙)の初当選組で、09年に思わぬ苦杯をなめた中堅・ベテラン勢と分け合った。 また、05年の83人を超える119人の新人議員も誕生。安倍自民党は前職105人も含めた「混成部隊」となる。
 自民党に元職が増えた要因は、小泉純一郎首相当時の05年衆院選で初当選した「小泉チルドレン」の大量復活だ。初当選組83人のうち、民主党に大敗した09年衆院選でも77人が出馬したが、2回連続で当選できたのは離党者1人を含むわずか10人だった。この時の落選組34人は今回も自民党から出馬し、32人が当選した。
 (以上、ネットニュースより引用)

 やはり突如の政権交代に備えるためには、急仕立ての“チルドレン”を擁立するしか手立てがないのであろう。


 そうとは言え、そんな得体の知れない人物に何故国民が大量票を投入するのか?? 
 いやはや、国民の選択の極端さには驚かされるばかりだ。
 確かに国民には参政権が保障されている。
 それにしても参政権にも自己責任が伴う事を、何故この国の行政は教育しないのか?


 南米より帰国直後の国政選挙結果に落胆しつつ、今後この国は如何なる方向に彷徨い続けるのやら不安感が募るばかりの私だ……

南米アルゼンチンへ旅立ちます!

2012年12月09日 | お知らせ
 (写真は、航空券のEチケットレシート、私のパスポート、ブエノスアイレスでの宿泊ホテルの地図)




 「原左都子エッセイ集」11月23日付バックナンバー 「南米アルゼンチンへの誘(いざな)い」 に於いて既に公開しておりますが、明日、私はアルゼンチンへ旅立ちます。  



 その間、しばらく「原左都子エッセイ集」の執筆をお休み致します。

 もしよろしければ、我がエッセイ集のバックナンバーなどを紐解いて頂けましたら幸いです。



 参考のため、ネット上でコンスタントに人気を博している 「原左都子エッセイ集」 バックナンバーの一部を以下にご紹介申し上げます。

 
     2008年8月公開   「料理嫌いな女」 

     2008年4月公開   「学校が嫌いで何が悪い」


 そもそも“天邪鬼気質”の原左都子として 「嫌い」 という感情のテーマを掲げ人気を狙わんがために公開した意図では決してないのですが、図らずも上記2エッセイは公開後4年以上の年月を経た今現在尚、世の反応を少なからず頂戴している事に我ながら感慨深い思いです。

 
 両者に共通点があるとすれば、“一般人が日頃常識的範疇と信じて疑っていない事象”に対して、真っ向から異論を唱えたい思いで我が正直な思いを綴ったエッセイであることには間違いないと心得ます。
 すなわち前者に於いては 「家庭を持った女性とは料理が好きであらねばならないのか?」
 あるいは後者に於いては 「義務教育現場に通う子ども達は学校が好きであらねばならないのか?」 
 そんな世間の一般常識に対し、「それは違うぞ! 人それぞれの個性こそが認められ、個々人がもっと自由であるべきだ!!」 との我が全力の思いを持って真正面から反論を呈示した内容であります。


 アウトサイダーを自覚している“へそ曲がり”の原左都子が綴ったエッセイに、市民の皆様より何年来にも渡り共感をいただき続けていることに心より感謝申し上げます。

 エッセイ表題をコピーして検索欄にペーストしていただきますと、両者共にトップページに表示されますので、是非この機会にご覧下さればうれしく存じます。




 無事帰国致しましたら「原左都子エッセイ集」の執筆を再開し、南米アルゼンチンのお土産話などを綴る予定でおりますので、何卒楽しみにお待ちいただけますように。 
 

やめる勇気 & 続ける意地

2012年12月06日 | 人間関係
 今年の12月も第2週に入り、そろそろ喪中挨拶状が届き納めのようだ。
 こうなると、いよいよ年賀状作成シーズン到来である。

 原左都子の場合、この年末は突然南米アルゼンチンへ旅立つお誘いが舞い込んで来て旅行下調べや準備で日々多忙のため、自分の年賀状に関してはアルゼンチンより帰国後作成予定である。
 ただし、数年前より我が故郷で一人暮らしの年老いた実母の年賀状作成を私が全面的に請け負っているが故に、これを旅行前に仕上げておかねば落ち着かない。
 そのため、2日程前から早速その作業に入ったのだ。


 これが実に難儀である。 何せ遠方過疎地に住む我が母であるのに加え、年を重ねる毎に老齢感が増している。
 過去に我がパソコンで作成した母の年賀状住所録リストを電話にて確認しつつ、「この人には今年は出すの? こちらの人はどうする?」と尋ねる作業が欠かせない。  一昨日電話にてそれを執り行った私だが、母からの回答とは逐一“対象人物像説明”が入る事にイライラした私が怒って曰く、 「出すか出さないかだけ言って!!」  少し酷であることは承知の上で、年寄りの長話を聞いている程私は現在暇ではない。
 「ごめん…」と電話先で謝る年老いた母を不憫に思いつつも、年寄りの年賀状作成を代行する作業の難儀さを思い知らされる。
 まあそれでも、後に届く母からの“御礼金”が多額であることを楽しみしつつ、毎年この作業を頑張っている私だ。

 それにしても、年寄りとはたかが年賀状に於いても人間関係を“やめる勇気”がない生き物である事を毎年再認識させられるのが、母の年賀状代行作業でもある。
 電話にて母の話を聞いていると、「この人は遠い過去に職場でお世話になった人だ」 さて、「この人物は(数十年前に渡米し居住している我が姉である)長女国内所有不動産売却時にお世話になった」どうたらこうたら…… 
 (そんなもん、とうの昔に礼を十分尽くしているだろうから今更年賀状など出さなくてもいいだろうに…。) 内心そうは思いつつ、私より長き年月を生きて来ている年寄り達の感覚とは私の年代とは大幅に異なるのであろう。


 私自身の年賀状に話を移そう。

 現在還暦に近づきつつある私の場合、自分が近況報告をしたいと思う人物にそれを届けさせて頂ける我が意思こそが「年賀状」の最大の意義と心得ている。
 (そんなもん、要らない!)との感覚を抱いた相手からは、おそらくもう年賀状は届かないであろう。 それで結構。  「年賀状」なる儀式など、自然消滅という形で終焉するべきと私は考察している。

 そこで我が年賀状とは、毎年私自身の近況写真を全面に打ち出したものを作成しているのだ。
 これを受け取る側としては、賛否両論である事を重々承知の上の行動である。 「この馬鹿、毎年自分の写真を印刷した年賀状を送りつけて来るが、迷惑そのもの!」と感じる人もいるであろうし、 あるいは「写真を見るとまだまだ頑張ってるね!」と好意的に捉えて下さる方も存在するであろう。
 (もちろん相手個々人の人物像を思い返して、私なりの一筆コメントを直筆で記入することは毎年忘れないよ~~。)   だからであろうか、意外や意外我が写真年賀状が多くの知人の間で許容されているとの身勝手結論に至るのだが…?? 


 今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞12月3日付夕刊「こころ」“生きるレッスン”のコラム「やめる勇気」と題する 作家 あさのあつこ氏 の記述を拝見した事による。

 その記述を紹介する前に、原左都子が少し前から感じている事を正直に語ろう。
 上記朝日新聞“生きるレッスン”は、そもそも若者からの相談コラム欄だったと私は認識している。 いつの間に著名人が私論を語る場と変貌したのであろう??
 私が推測するに、おそらく土曜日「be」の“悩みのるつぼ”に読者相談が吸収された結果、この欄が変貌を遂げたのであろう。

 正直申し上げて、朝日新聞夕刊「生きるレッスン」欄はつまらなくなった。
 「悩み」という媒体により読者と見識者が相互関係を築いていた時期には興味を持って読んでいたのだが、見識者が一方的に発するオピニオンは庶民としては大して面白くない。

 例えば今回の「生きるレッスン」の場合、 作家の あさのあつこ氏 が「やめる勇気」とのテーマの下、仕事や趣味や人間関係に於いてどう踏ん切りをつけるかに関し私論を述べておられる。
 もちろん、あさのあつこ氏とて当然ながら「続ける意地」が必須である場面も存じていらっしゃるであろう事を重々承知の上で、今回は「やめる勇気」を若者に伝授された内容であることは理解申し上げている。
 それにしても、見識者とはメディア媒体の要望に従い私論を展開せねばならない窮屈な存在であることを再確認させられる思いだ。


 最後に原左都子の私論に入ろう。
 
 「やめる勇気」と「続ける意地」。 
 どちらも人間が生きていく上で欠かせない選択肢であると心得る。
 
 朝日新聞内で あさのあつこ氏 が語っておられる「やめる勇気」は、若い世代の人間関係のみならず仕事や趣味において必須の選択肢であることはもちろんの事である。
 それに加えて「続ける意地」も当然ながら人間が生きていく上で最低限の必須条件であろう。

 特に、明日にでも死を迎えて不思議ではない年寄りにとって「続ける意地」とまでは言わないが、虚礼を承知の上で身近な「人間関係」を続行する事が生きる糧となるのであろう事に思いを馳せる私だ。
 80歳を過ぎた我が母の年賀状作成を毎年代行している立場として、その現実が身に滲みる思いである。

政府は新たな公共事業より早急のメンテナンスを!

2012年12月03日 | 時事論評
 昨日(12月2日)午前8時頃、東京と山梨・長野及び兵庫県を結ぶ国内幹線高速道路である中央自動車道の上り線笹子トンネル内で、天井のコンクリート板が崩落し、通行中の車両内で9名の死者をはじめ多数の負傷者を出す惨事が発生した。

 本日昼過ぎこの事故に関連するNHKニュースを見聞していて一番驚かされたのは、何と!昭和50年以降事故現場トンネルのメンテナンスは「目視」のみしか実施していないとの報道事実に関してである。


 今回の事故では、若い20代の男女5名も犠牲者となったようだ。

 こんな場で私事に移行して誠に恐縮だが、私も20代の若かりし頃、シンガーソングライターの松任谷由美氏(いわゆる“ユーミン”だが、当時は未だ荒井由実と名乗っておられたと記憶している)が、1976年に発表したアルバムの中の一曲である「中央フリーウェイ」に触発され、彼氏と共に中央道経由のドライブに何度か出かけた経験がある。

 参考のため、松任谷由実氏の代表曲の一つである「中央フリーウェイ」は、元々信号のない自由な道路をイメージして作られた楽曲であるらしい。 この中央道を八王子方面へ向かう道中左右に見える元在日米軍調布基地や、サントリー武蔵野ビール工場、東京競馬場等の風景が曲の中で歌われていて、恋人とのドライブ風景がまるで滑走路であるかのようなロマンチック影像的表現が印象的なナンバーである。
 原左都子にとっても、我が想い出の中で中央道にはいつまでもそんなロマンチックな滑走路であって欲しかったのに……


 話を現実に戻そう。
 そんな私の若かりし日のロマンをトンネルの崩落と共に根元から大崩壊してくれたのが、今回の事故だったとも言える。

 上記の通り、中央自動車道とは高度経済成長期に国土開発幹線自動車道として建設された道路である。
 それを管轄する大本団体とは国土交通省なのであろうが、おそらくその末端組織であろう団体の職員が本日昼間のニュース報道の記者会見に於いて消え入りそうな声で答弁したのが上記の内容である。
 繰り返すがその内容とは、「昭和50年以降事故現場トンネルのメンテナンスは『目視』のみしか実施していない…。」

 政府が執り行った公共事業建設物のメンテナンスが如何なる法的バックグラウンドの下で実施されているのかに関して私は承知していない。
 ただ一素人市民として今回のニュースを見聞して感じたのは、大規模プロジェクトであっただろう国内幹線高速道路のメンテナンスを30数年に渡り「目視」によってしか実施していないとの言及は、あまりにもお粗末過ぎないのか?と言うことだ。

 と言うのも、原左都子が居住(あるいは賃貸対象として)現在所有している2件の集合住宅物件に関してすら、定期的に“大規模修繕”を実施する事が法的に定められ、その法的基準に従い十数年毎に修繕が実施されている現実である。 このメンテナンス出費とはマンション住民(及び賃貸物件所有者)にとって月々かなりの多額積立負担ではあるものの、これを実施することにより庶民の微細な所有財産が長期に渡って保全され安心して住める事に感謝するというものだ。 (いや、もちろんマンション管理業者がその制度を利用してメンテナンス業者と癒着し、法外の経費負担を住民に課して来ないよう目を光らせるのも住民の義務ではあるぞ。  その類の事象に目を光らせるのを得意技とする原左都子だけどね。 )


 今まさに政権が移り行こうとしているが、何処の政権に移ろうが国民にとっては今後の「公共事業」に関して不安材料が盛り沢山であることは否めない事実であろう。

 そこで、現民主党政権がネット上で発表している「平成24年度国土交通省予算」について少し検索してみた。
 この報告の一部を以下に紹介するが、その予算は対前年度当初に比べ▲4,534億円、▲9.1%の減としている、 とのことだ。
 1割近い減額の大きな要因としては、平成23年8月の民自公三党確認書及び組替え基準において、「高速道路の無料化」につき24年度概算要求において計上しない(23年度当初:1,200億円)こととされたこと、一括交付金の拡充に伴い社会資本整備総合交付金から新たに2,182億円を地域自主戦略交付金等へ移行したことによる。
 大まかに予算の内容を整理すれば予算総額 4兆5,476億円 のうち、河川、海岸、道路、港湾、空港などの直轄事業や、地域の社会基盤の総合的な整備に必要な交付金などの公共事業関係費が、3兆9,346億円と全体の約9割を占めている。
         ( 中 略 )
 24年度予算においては真に必要な社会資本整備等のため、国民生活の安全・安心の確保、成長戦略の推進、地域活性化のための基盤整備といった重要施策へ重点配分することとしている。
(ア)国民生活の安全・安心の確保  ①水害・土砂災害・津波対策  ② 民間住宅活用型住宅セーフティネット整備推進事業   その他、海上保安体制に係る装備の重点整備、 国際コンテナ戦略港湾整備、ハブ空港としての首都圏空港の充実、諸々……
 (以上、財務省官僚がネット上に公開している資料より一部を引用)


 最後に、私論を展開しよう。

 上記財務省による「国土交通省関係予算」に関する記述内で “国民の安全・安心の確保” と明記しているにもかかわらず、この文書内にはまだまだ国が貧しい遠い過去の時代に、国民の血税による歳費を無駄に浪費して建設した既に老朽化している公共事業建造物の“メンテナンス”に関する一切の記述がないのだ。

 これは何故かに関して、原左都子が推測することにしよう。
 いくら政権が移り行こうが政府としては官僚との迎合の下に 「どうせ一般国民は皆アホなんだから、国際関係や災害復旧等目立つ事さえやってりゃとりあえず国民とは満足するものさ。  何だって? 国内公共事業のメンテナンスだと? そんな細部に目が届く国民などいないも同然だぜ。 ここは政権が何度移り変わろうと、私腹を肥やす事に集中しない手はないぜ。そんなもん無視無視!」
 どうせそんなところであろうと私は推測するのだ。
 
 結局は元々国家の大々的プロジェクトだったと言いつつ、建設した後は手下団体にその管理運営を全面移行して、「人が死のうがお前らの責任だ!」と言い捨て責任回避するのが政府のいつものやり方であり悪行である。

 国内幹線道である中央高速道で9名の死者を出して尚、その手が通じると思っているらしき政府や官僚どもに原左都子から言っておきたい事がある。
 公共事業とは今の時代、最新科学技術をもって維持管理を続行せずして長期存立し得ない事業である事を国民も承知の事実であるため、作った以上は後々まで政府が責任を持ってメンテナンス対応するべきと。

モンスター患者 VS. モンスター医師

2012年12月01日 | 医学・医療・介護
 最近、「モンスター患者」なる俗語が出現しているそうだ。

 学校現場に於ける「モンスターペアレント」同様、上記俗語も病院現場で医師や医療従事者に対して理不尽な要求をしてくると病院側が判断する患者に対し、それを鬱陶しいと感じる“病院側”があくまでも身勝手な観点から名付けた言葉なのであろう。

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて、幾度か「モンスターペアレント」をテーマにした記事を公開している。
 その中で、この原左都子も子どもが高校を卒業するまで、おそらく学校から「モンスターペアレント」と後ろ指を指されていたであろうとの感覚があることを披露している。 
 何分我が子が昨年高校を卒業するまで、学校が施す教育の内容や運営に関して異議を唱えたい場合、担任をはじめ場合によっては学校長宛にも数多くの意見書を提出してきた。 (私の場合は一般的な“モンスター”によく見られるごとくの電話あるいは直に会って異議申し立てをするのではなく、あくまでも「意見書」との文書形式により冷静に対応してきたつもりではある。) 
 それでも、学校現場にとっては直接感情をぶちまける保護者より、むしろ私のような一応の礼儀を心得る保護者の方が数段扱いにくく、対応に難儀する存在であろうことは想像がつく。


 さて、「モンスター患者」に話を戻そう。
 私自身が元医学関係者であることが第一の理由で、日頃体調不良があれども自己診断に頼りそもそも病院へはほとんど行かないため、近年病院現場に於いて異議申し立てを唱える機会自体がない。

 それでも若かりし頃には病院で、診察医師の医学的見解・診断に異論を申し立てた経験がある。
 今から約30数年前、私が20代前半の頃の話だが、当時はまだまだ病院現場で医師が威張り腐っていた時代背景だった。
 ある日病院受診をした時、安易な診断の上投薬指導をしようとした医師に対し、若気の至りの私は医学関連の知識を持ち出して異論を唱えたのだ。 そうしたところ、それまで比較的冷静に対応していた医師が突然怒り出し、我が見解に反論をぶちまけ始めるではないか!  (その内容とは「鉄欠乏性貧血」発症機序及びそれに対する投薬の有効性議論だった。)のだが、さしあたって診察医の突然の怒りに驚き、医師としてのプライドに触れたであろう我が無礼を反省した。 そこで、とりあえず「すみません」と謝り処方された鉄剤をもらって帰ったものの、私には(詳細説明はここでは割愛するが)「鉄剤」の有効性がない事は既に承知していたためすべてを廃棄処分とした。 

 ただこの若かりし日の病院での経験は後々まで我がトラウマとして残ってしまい、その後病院受診において自分が医学関係者であることを名乗るのを一切控える手段に出ようと決めた。 そして病院受診時には決して医師に逆らわず、医師の診断内容を自分なりに分析して対応してきている。
 その後はもっとその思いを進化させ、生命に直結する疾患ではないと自分が判断する限り医師の診断を仰ぐ事自体を控え現在に至っている。

 そんな私も娘幼少の頃よりの度重なる病院受診時には、娘の担当医ととことん話し合わせてもらっている。 おそらく時代背景的に医療の世界に於いても、医師が患者の話を聞くべきとの時代へと進化したのであろう。
 それでもやはり過去のトラウマから、親の私が元医学関係者であることを医師に告げる事は一切控えている。
 ある時、娘の病状に関して担当医と議論を重ねていた際、担当医先生の方から「前々から感じていたのですが、もしかしたらお母様は医学関係者ではありませんか?」なる質問を頂いたのだ。  これは好都合だった。 そうと分かってもらえた方が後々の娘の成長がスピードアップするというものだ! 「実はそうです。」と答えた後はそれまで以上に担当医先生との情報交換が有意義となったものである。
 それにしても現在に至って尚、患者側のバックグラウンドにまでに思いが及ぶ上記のような貴重な医師先生は、この世において極少数派であると私は感じる。
 それを慮って、やはり私は病院受診時には元医学関係者である事に関して一切言及しないことを貫き通している。 


 今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、少し古くなるが朝日新聞11月7日「声」欄の投書を見た事による。
 早速、54歳主婦による 「『現象だけ話して』という医師」 と題する投稿を以下に要約して紹介しよう。 
 「症状の現象だけを話しなさい。あなたの考えを話されると診断の邪魔になります」と、診療所の医師にひどく怒られた。 これによりショックを受けた私は結局他の病院で診断してもらうことにしたが、患者が心身の不安を訴えるのはごく普通のことではないのか。 それを聞きたくない医師にとって病とは何なのか考えあぐねる日々だ。 最近「モンスター患者」という言葉を耳にするが、医師の接し方に患者がモンスターに変わる引き金が潜んでいる場合があると感じる。
 (以上、朝日新聞「声」欄投書より要約引用)


 私論を述べる前に、ウィキペディア上で公開されている「モンスター患者」に関して、以下にかいつまんで紹介しよう。
 モンスターペイシェント(モンスター患者、怪物患者等)とは医療従事者や医療機関に対して自己中心的で理不尽な要求果ては暴言・暴力を繰り返す患者や、その保護者等を意味する和製英語である。 医療現場でモラルに欠けた行動をとる患者をこのように呼ぶようになっている。
 医学・医療技術の進歩に伴い様々な病気の治療法が見つかり治療されているが、まだ全ての病気を治癒させることができる訳ではないのに加え、現在尚死に至る病気もある。
 しかし、医療知識が乏しい一般人は「病院に行けばすぐに治る」「薬を飲めばすぐに治る」という希望ないし過度の期待を抱きがちである。自分のイメージした治癒にならない場合に病院や医療従事者に対して強い不満をぶつけたり理不尽な要求を繰り返す患者が増え始め、社会問題化している。
 また医師法第19条には医療機関に患者の診療義務を課すいわゆる「応召義務」が規定されているがその結果病院は度を越した行動をとる患者に対しての毅然とした対応をとりにくく、病院に診療拒否権がないことを盾にとる患者が増加していることもモンスターペイシェントの増加の背景になっているとの指摘がある。
  「モンスター患者」の具体例として、踵骨骨折で生命に別状はないので医師は3日後の手術を予定したが「新聞社で医療を担当している」と伝え受診当日の緊急手術を強要。  医師から兄への治療法の説明の場に同席し執拗な質問を繰り返し、医師に無料で長時間の時間外労働を強要。  緊急性のない蓄膿症で夜間に救急外来を受診し、緊急CT検査と同日の結果説明を強要する。等…
 (以上、ウィキペディア情報を要約引用。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 上記ウィキペディア内の「モンスター患者」事例は至って特異的であろうと私は推察するのだがどうだろう。
 この種の特異的事例を列挙していることから察して、冒頭で述べた通り 「モンスター○○」 との俗語とは、それに迷惑を感知している被害妄想の強い側から発せられている俗語である事が証明できると言うものだ。

 上記朝日新聞「声」欄の投書など、原左都子が若気の至りで医師相手に専門力を振りかざして喧嘩を売ったごとくの事例とは大違いで、あくまでも一般庶民からの切実な訴えと私は捉える。
 そう判断した場合、今の時代に尚「声」欄のごとく「現象だけ話して」と患者の前でのたまう医師が存在する事の方こそがやはり責められるべきであろう。

 医師の皆さん、日々ご多忙であられることは重々承知申し上げているが、それならば現在於かれている自らの職業環境改善を図るべく少しは行動してはいかがだろうか?
 今の時代、医師に限らずすべての職業においてこの経済難に際し切羽詰っているのが実情であろう。 少し前の時代に世間で厚遇された職種とて今後の展開は未知数である。
 
 医師や病院にとって実質的収入源の“顧客”である多様化した患者を敵対視するがごとく「モンスター」呼ばわりする行為とは、イコール 自身を「モンスター医師」と認める醜態でしかなく、今後の医療業界ひいては経済発展の視点からも避けるべきと私は心得るのだが…