原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

患者を「病名」で縛るより、患者の苦悩と向き合おう

2013年04月17日 | 医学・医療・介護
 近頃、メディアを通して聞き慣れない疾患名に接する機会が多い。
 それが命にかかわる病であったり、周囲よりの介助を要する程の重篤な症状が出現する病である場合、その疾患名を公にして世に広く知らしめる必然性もあろう。

 あるいは、「何となくだるい」「疲労がたまっている」「多少の不安感がある」「気分がすぐれない」 等々……   これら、疾患と言うよりも、一過性の心身体調不良症状を訴える患者をすぐさま検査漬けにした後に「疾患名」を宣告し、大量投薬を施し続けるのが、現在の医療界が安直に実施している“医療”の現状でもあろう。
 患者の問診及び指導、そして投薬のみに医療行為を頼らざるを得ない“精神神経科”に於ける「鬱病」診断など、その典型例と私は把握しているのだが…。


 もちろん、上記のごとくの“何となく”の症状から始まる重篤な疾患もある。
 それ故に何らかの不調を感じたらとりあえず病院へ出向き、医師の診断及び指導を仰ぐ事は、一般人にとってとりあえず「正しい行動」と言うべきなのであろう。

 その後が肝要だ。
 もしも自らが最初に経験した体調不良症状が軽減したならば、それで一旦医療依存を休止するとの選択肢もあるのではなかろうか。 
 ところが一般人が取る行動とはそうではない。 医療機関の指示こそが我が命を救う最大の拠り所と捉え、いつまでも病院通いを続けてしまう。
 もちろん、来所してくる一人ひとりの患者と真に向き合っている医療機関もこの世に存在する事であろう。(元医学関係者である私自身は、残念ながらこの種真意ある医療機関受診は未だに一度も経験がないのだが…) 
 ただ、現在医療機関がどれ程混み合っているかの実態を直視しただけでも、悲しいかな患者に対する対応の現実・実態が推し量れるものと私は判断しているのだが…


 私事に移るが、今朝郷里の実母より電話があった。
 何でも体調が悪いのだと言う。
 80歳過ぎて田舎で気丈に一人暮らしている母であるが、十年程前に症状が出た三叉神経痛(これとて医師の診断に過ぎず、私は今尚この診断に疑義を抱いているのだが)の放射線治療及び日々飲用している薬の副作用が出ると私に訴える。 「だから前から医療に頼るなと言ってるでしょ!」と私はいつも応えるしかない。 少なくとも母は私からの度重なる「医療指導」により、治療行為や投薬の副作用が出ることは理解できているようだが。  「それでもあなた(母のこと)は、副作用が出現することを覚悟の上で医療行為に頼る選択を自分で下しているのだから、今更私に弱音を吐かれても困るよ!」
 とは返しつつ、母の元々の「三叉神経痛(?)」発症原因も私にはお見通しである。 要するに年老いて後の一人暮らしが辛いのだ。 そんなことは重々承知の上である。
 この種の電話を受けた私は、母を喜ばせる手段も心得ている。 (母にとっては孫である)我が娘の成長の程を電話で伝えることにしている私の談話を聞いた後に、母は必ずや「痛みが軽減したよ!」と声をはずませて電話を切ってくれるのだ。
 医療の基本とは患者の真の苦悩と向き合う事であるのを実感させられると共に、まだまだ痴呆症状が出現していない実母に感謝でもある…。 


 話題を変えよう。
 朝日新聞4月9日“どうしました”との医療相談コーナーに於いて、「『全般性不安障害』の治療法は?」なる相談を発見した。
 早速、68歳女性よりの相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 3年前に精神科で「全般性不安障害」と診断された。 最近は不安で全身が震えたり、不眠や体のふらつきがあるなど一人で日常生活を送ることができない。 現在睡眠導入剤などを処方されているが、今後どうすればよいのか困っている。

 上記の相談を受けて、再び原左都子の私事に移らせていただこう。
 実は私も、“プレ更年期”時代(40代後半頃)に上記女性と同様の症状に日々困惑させられた経験がある。 その我が症状に病名をつけるならば、まさに「全般性不安障害」だったのであろう。
 ところが、高齢出産で産んだ娘は事情を抱えていた。 周囲の皆が母である私の日々の支援こそを期待している。 私自身が「具合が悪い」などと訴えられる立場には一切ない。
 幸いな事に私は元医学関係者だった。 自分が今抱えている症状に関してある程度分析可能だ。 そんな私は自分がプレ更年期症状の一端として「不安障害」に陥っていることはすぐさま自己診断できた。  そうとは言え…。 やはり我が身に突然襲ってくる不安感や心臓バクバクの「パニック障害」等々に日々耐え切る精神力とは尋常ではないものがあったのも事実だ… 
 それでも、病院嫌いの私が決して「医者へ行く」とは言い出さなかった事が、今思えば幸運だったと振り返る。  もしも私が自己の心身状態に弱気になって当時精神神経科を受診していたならば、我が子の育児力に関して周囲より大いに信頼を失っていたことであろう。
 それに一人で耐え抜けた私であるからこそ、上記朝日新聞68歳相談者女性の「全般性不安障害」の苦悩が重々理解できる思いでもある。


 一般市民の場合、受診した病院より一例として上記のごとく「全般性不安障害」なる病名を叩きつけられる事自体で、ご自身の症状が重くなるのではあるまいか?
 上記朝日新聞相談コーナーの場合、相談医師氏が親切な方のご様子で「認知行動療法」、すなわち日常において体を動かしたり趣味を見つける等々で不安を少なくする事を示唆されておられるのが幸いではあるのだが…  (まさに私の場合もその「認知行動療法」もどきの行動を日々自分に課すことにより、徐々に自分らしさを取り戻せたとも言える。)

 医療の役割とは、決して一般市民に「病名」を突きつける事ではあるまい。
 「病名」に依存する医療組織・体制ではなく、患者一人ひとりが抱える「苦悩」にこそ、医療に従事する人々が真に寄り添える医療現場であって欲しいものだ。   

夫婦間でも基本は 「独立採算制」 を採用するべき

2013年04月14日 | お金
 今回のエッセイは、前回の 「庶民ママ達は“ママ友序列化”がお好き?」 の続編の形ともなりそうだ。

 
 昨日4月13日の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”は、メーカー勤務 40代男性からの相談が取り上げられていたのだが、その題目が凄い!
 「1億円の蓄財、妻に言うべき?」 

 ちょうど前回の我がエッセイにおいて、原左都子には若い頃より自己実現目的でちまちまと「貯蓄」をする趣味がある事を少し取り上げたのだが、まさかその金額が1億円に達した事はない。 せいぜい一人暮らしが可能な住居を購入できる程度の端金の額にしか過ぎない。

 そんな私にとって、上記相談題目の「1億円」蓄財の“財源”こそが大いに気になった。
 もしもその出所が「親からの贈与・遺産」だの「宝くじに当たった」だのであるならば、私にとっては大して興味がない話題である。 そうではなく、40代男性が“腕一本”で稼いだ金額であるとすれば、尊敬と羨望の眼差しを注ぎたい思いだ。

 早速、“悩みのるつぼ”の相談内容を以下に要約して紹介しよう。

 当方、現在少々業績の厳しいメーカーに勤務する40過ぎのしがない中年男性である。 10年連れ添った愚妻に、我が家の資産を打ち明けるべきかどうか大変悩んでいる。 小生には持病があって酒も受け付けられない事もあり仲間と騒ぐことも叶わず、目立たぬよう過ごして来た。会社では上司のどんな指示にも従い真面目一筋の勤務を続けコツコツと貯蓄してきた。 その結果資産が貯まり、その半分を株式等で運用したら現在1億円を突破している。 いつ勤務先リストラの運命かもしれず、1億はなかったものとして生活し続けたいと考えている。 一方、愚妻は手元にある金を使ってしまうタイプであり、我が家では小生が一切の金銭管理を担当し愚妻は貯蓄額を把握していない。 1億円の話をすれば、海外旅行だ、かばんだ、服だと押しかけられ我が家の資産は右下がりのカーブを描くだろう。 夫婦仲は悪くはないが我が家では愚妻が上司の立場であり、資産がばれた暁には不誠実な夫とレッテルを貼られる事を危惧している。
 (以上、4月13日“悩みのるつぼ”相談内容を要約引用)


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 まずは、相談者である40代男性が「1億円」もの蓄財を自らの“腕一本”で成し遂げた事を評価申し上げたいものだ。
 しかもこの男性の素晴らしさとは、その「1億円」に満足しているところにある。 通常の素人貧乏投資家とは、一旦この額の投資に成功したならば自らの投資能力を過大評価してズルズルと更なる投資行動に走り、全てを失い“野垂れ死ぬ”のが世の常だ。

 ただしこの人物からは「1億円」を蓄財した以外の能力面や人物像に関して、申し訳ないが何らの魅力も感じられないのも事実である。
 それでも、相談者本人が「愚妻」と呼ぶ奥方とは10年に渡り夫婦仲が悪くないというのも、私にとっては不可解な部分でもある。
 もう少し気になるのは、この夫婦には「子ども」は存在しないのであろうか? というところだ。 と言うのも「子ども」の存在とは夫婦間での財産管理上、最大の費用項目と位置づけられるためである。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、評論家 岡田斗司夫氏であられる。

 岡田氏の回答とは、この夫婦に「子ども」が“いない”ことを前提として応えられたものであろうと私は推測するのだが、その回答内容の一部を以下に要約して紹介しよう。
 体の弱い相談者はとても心配性であり、起こり得る最悪の事態を考えいつも保険を用意するべく生き方をしているのであろう。 そのために妻を我慢させただろうし、そもそも浪費家の妻が頼りないから将来不安が募り節約をしたこと自体は間違っていない。 しかし「金はない」はウソで、あなたはその金をバクチの一つである株式に運用した。これ自体があなた自身のルールに反している。 妻は言うであろう。「あなたはゲームしていたのに、私は楽しい事の全てをガマンさせられてたのね!」 だからあなたは妻に全財産の半分、交渉次第では1/4を払いさっさと謝罪しよう。 妻が資産を無駄使いしようと、たとえ景気が悪くなろうと、またいつものように自分の不安にフタをし続ければ済むであろう。 あなたは1億円も稼げる「強い男」なんだから。
 (以上、“悩みのるつぼ”岡田斗司夫氏の回答より一部を要約引用。)

 もしもこの相談者夫婦に「子ども」が存在しないのであれば、確かに岡田斗司夫氏がアドバイスされる通りであろう。 
 「子ども」という“かすがい”なくして10年間もの長きに渡り二人の関係を築き上げ連れ添えているのであるならば、その回答で十分と私も判断する。


 ところがこの夫婦に「子ども」がいるとなると、話は大きく違ってくるのではあるまいか?

 前回の我がエッセイでも紹介したが、子どもを持つ「庶民ママ」達の最大の関心事とは夫の職業、社会的地位及びそれによる収入であり、双方の実家の財産なのだ!
 「それらの要因によってママ達の間で私と子どもが序列化されているのも知らずに、何でアンタは今まで1億円もの蓄財を貯め込んでいることを私に言わなかったのよ! 早く言ってくれたら私も息子(娘)もママ友上位カーストに君臨できたのに、今更言ったってもう遅い!!」  「それに言っちゃ悪いが株で大儲けした、っていうのは(岡田斗司夫先生が言うところの“バクチ”でしかなく)、息子(娘)の顔に泥を塗るだけだよ!!」

 まあそれにしても、繰り返すがこの男性夫婦に「子ども」が存在しないのならば、10年続いている夫婦関係は「1億円」蓄財を妻に暴露する事により、結構何とかなるのかもしれない……


 最後に表題に戻ろう。

 世の夫婦が健全で良好な夫婦関係を築き続けるためには、やはり両者が「平等」「対等」であることが欠かせない条件なのではないかと私は常々考えている。
 それは財産面においても例外ではなく、出来得る限り夫婦間で「独立採算制」を施行してはどうかとも思うのだ。
 とは言えども「子ども」が存在する家庭においては、庶民である以上やはり夫婦のどちらかが主体的に育児に専念せねばならないであろう。 その期間を通過した後(あるいは「子ども」が存在しない家庭)に於いては、「独立採算制」を余儀なくされる運命にあろうし、そうする事がベストかと今の時代背景下において私は捉えているのだが。

 「ママカースト」にこだわる現役ママ達に今一度提言したいのだが、子どもが育った暁には亭主や実家に頼るでもなく自分自身が一人の人間として社会的に機能するためにも、今現在から老後は「独立採算制」で生き抜こうとの意気込みを持って欲しいものだ。

 そうでもしないと株で1億円稼げる亭主などこの世に滅多には存在しないし、いわんやこの国の社会保障制度の未来など当てにできるはずもないよ。

庶民ママ達は “ママ友序列化” がお好き?

2013年04月11日 | 時事論評
 表題に於いて「庶民ママ」なる表現を用いたが、原左都子自身も当然ながら庶民である事を自覚している。

 前政権の某首相経験者のごとく、年老いた母親から兄弟共に何百億円の生前贈与を受ける事が叶うリッチ層とは、この世において1%未満の一握りの存在であろう。
 その他99%以上の人民は皆「庶民」、と私は捉えている。

 私の場合、特に数十年前に上京し職業人として独り立ちして以降、庶民である事を楽しむ人生を歩み続けているとも言える。 
 自分自身の努力と能力(要するに“腕一本”)で“カネ”を稼ぎ、あくまでも細々とではあるが財産を蓄積し、それを元手に不動産物件を購入したり、自分の夢を次々と実行していく事が我が自己実現の一環として何とも面白かった。
 (当エッセイ集バックナンバーにおいて、私には若き頃より「貯蓄」の趣味があること、及びそれを投資資本として諸活動を実施してきた事実に関して再三再四公開している。

 独身時代はそんな自己実現意欲に駆られるままに突き進み、「結婚」や「子育て」にはさほどの興味を抱かずに過ごした後に、晩婚・高齢出産に至った私である。


 さて最近のネット情報によると、近年「ママ友カースト制度」なる新語が庶民ママ友達の間での流行り言葉となっている様子だ。

 ネット上で見つけた「ママカースト」に関する情報の一部を、以下に紹介してみよう。
 4月は子供達の新しい友達関係ができるのと同時に、ママ友が増えるシーズンでもある。 そのママ友のコミュニティには「ママカースト」と呼ばれる格付けがあるという。なぜ母親たちは“格付け”を意識し、“格差社会”を作り上げてしまうのか?
 ママ友間の会話で競争心を刺激して「ママカースト」のテーマになりがちなキーワードとは、“夫の職業や収入”、“実家の資産”、“子供のルックス、学力、運動神経”、“どこのブランドの靴を履いているか、服を購入する場所はどこか、何の化粧品を使っているか”、などなど。 大きくは生活レベルと子供の能力だが、ありとあらゆる基準でママ友同士が比較し合うようになる…  こうした会話の中、ママ友間では上層、中層、下層とグループが分かれ、さらにそのグループ間でも細かく序列が定まっていくようになる。
 各ママ友グループをまとめるのは、いわゆる“ボスママ”といわれる存在だ。「スーパーのレジでベテランがすぐにわかるのと同じで、ママ友のなかでも自信満々にしている人が大抵そのグループのボス。上層グループにいる人は、おおむね自己主張が強く、回りより抜きんでているものがある。 例えば、外車に乗っているとか、夫がいい会社に勤めているとか。 行動や言動に自信があふれている。 逆に中層、下層グループのママ達には自信が見られない。
 例えば、子供が地域の野球チームに入っていれば、「エースで4番」の子供のママが自ずとボスに君臨する。 エースで4番のお母さんには誰も逆らえない。 試合の応援に行く時も、『ピッチャーの○○くんのママはいちばん前の見やすい席で』のように自ずと応援場所が決まる。
 (以上、「ママカースト」に関するネット情報よりその一部を要約して引用。)


 原左都子自身も、現在大学生の娘を持つ“現役ママ”である事には間違いない。
 ただし子どもが既に大学生にまで成長すると、もはや“ママ友”との付き合いは皆無となるのが自然の成り行きではなかろうか。
 私自身に関して述べるならば、過去に於いて娘の“母親”としてお付き合いがあった女性達との友好の機会は今現在皆無状態だ。 (いや、こちらがお会いしたい女性はいるものの、どうもあちらが私に会いたいとの意思がないようだ…。 母としての私は、何らかの理由でよほど嫌われていたのかなあ??

 私の場合、高齢出産したその直後より“ママ友”なる女性達との付き合いをなるべく回避するべく行動してきた母親である。 (当エッセイ集バックナンバー 2009年5月「ママ友付き合いの過酷な試練」、2011年5月「ママ友達は新時代をどう渡る?」等々を参照下されば幸いです。)

 それでも、「ママ友付き合い」を回避できない場面が子を持つ私にも多々あったものだ。
 上記ネット情報の「ママカースト」のキーワードとして上げられている項目を反復しつつ、我が“苦難の”ママ友付き合いを振り返ろう。

 我が子が幼稚園児の頃、母である私が元教員である事を何処からか“ママ”連中が察知していて、私自身の意向を無視し不本意に「謝恩会」の司会を任された経験がある。
 多少の事情を持ってこの世に生まれ出た娘自身が、幼稚園で日々楽しく過ごせるはずもない事にやきもきさせられていた母である私が、当時決して「謝恩会」の司会など引き受けたくもなかった。
 要するに、(母は元教員との事だけど、娘は単なる馬鹿じゃないの?)とでも言いたげな(娘が持って生まれた事情を知るすべもない)「ママ友」達と距離を置き続けた私に対する、一種のイジメ行動とも受け取れる措置だったのだ。  それでも表向きは快く謝恩会の司会を引き受けた私の司会ぶりを、我が娘こそが一番喜んでくれたのが何よりの収穫だった。
 少しテーマがずれたようだが、要するにママ友達にとっては、「母親の“職業”」に関してもプラスマイナスの意味合いで「カースト制」の基準としたい様子であるとの事であろう。
 
 私にとって思い出深い「ママ友」どもとの確執の場は、我が娘を「クラシックバレエ教室」に入れた時の事である。
 (バックナンバーでも記述しているが)、どうやら「クラシックバレエ教室」へ娘を通わせる事とは、「ママカースト」の頂点にありたい庶民ママ達がそれを実践する場であったようだ。 それはそれは、物凄いものがあった。 “夫の職業や収入”“実家の資産”…… 世間知らずのママ達が身の程知らずに恥ずかしげもなくこれらを平気で暴露し合う姿に、私はただただ驚かされるばかりだった。 
 これに辟易としつつ、我が娘が私立中学校へ合格を決めた後は、プロのバレエ団が併設する“母親出入無用”の教室へすぐさまレッスンの場を移したものだ。 


 最後に私論でまとめよう。

 「ママ友カースト制度」にこだわるママ達とは、私に言わせてもらうと(原左都子も含め)社会の底辺に位置する「庶民」でしかあり得ない。
 要するに「ママカースト」とはそんな庶民間で“どんぐりの背比べ”をしたいとの、せせこましいばかりの連中達の悪あがきに過ぎないのだ。

 冒頭で掲げた元首相の鳩山氏がどれ程の資産を先祖から受け継いでいるのかに関しては、庶民の想像の域をはるかに超えていよう。
 そんな桁外れの資産を手中に出来る人物が、庶民として生きる自分の身近に存在するはずもない事にまずは気付こう。

 その辺に着眼して、今後は狭い意識でせせこましくも「ママ友カースト制度」などにこだわる事無くもっと自由に子育てをしつつ、亭主や実家の力ではなくママ自身の努力と能力で(“腕一本の実力”を育みつつ)、子どもと共に大きな心でいろんな人との付き合いを育もうではありませんか!!

「回転寿司」とは、回ってこその役割存在!

2013年04月08日 | その他オピニオン
 原左都子が一番最近「寿司屋」を訪れたのは先月のことである。

 娘が来年1月に成人式を迎えるにあたり今冬既に振袖一式を仕立て、それが届いて早々写真館を予約し、3月初旬に早くも成人式の前撮り写真を撮影した。

 撮影が終了し、さてお昼を何処で食べようか?との段となり私が提案したのが「寿司屋」である。
 「せっかく振袖を着たのだからやっぱり和食だよね。 それにしても来年の成人式までに振袖を汚されては大変!  汁物やソース物を振袖に飛ばしてシミでもつけられたら目も当てられないし…  一口ずつ上品に食べられるお寿司がいいよ。」 「回転寿司の場合、カウンターからお皿を取る時に長い袖を汚す心配があるから、今日は普通の寿司屋のテーブルに座っておしとやかに食べようね。
 
 そんなこんなで「回転」ではないお寿司屋さんを訪れたところ、娘の振袖姿を一見した受付担当の方が、「今日は何かのお祝いですか? よい席を準備しますので少々お待ち下さい。」との歓待を受け、店内の特等席に案内された我々である。
 結果として、慣れない振袖を着た娘は胃袋を帯に締め付けられいつものようには食が進まなかったようだ。 せっかく歓待いただいたのに、美味しいお寿司を残してしまい実に恐縮だった… 


 原左都子の私事を続けるが、飲兵衛人生を貫いている私としては“独身貴族時代”に「寿司屋」(もちろん「回転」ではない)で飲むのが至極の幸福だった感がある。
 その時々の連れ合いと共に二人で“カウンター席”に座るのが外せぬ条件だ。 まずは好きな酒を注文し、カウンターの前のガラス陳列ケースに置かれている魚介類を指差して「これ、つまみで頂けますか?」などと注文する。 それを海藻類等と共に美しく盛り付けたお皿がカウンター越しに寿司職人より差し出される。 その注文を何度か繰り返しつつ最後に握り寿司とお椀物をラストオーダーして、まずは“一次会”をお開きとしたものだ。 (その後も、居酒屋、カラオケ、云々と酒のはしごは続くのだが…) 

 婚姻後娘を産んで以降、世の中は「回転寿司」が主流の世界と相成る。

 これも存分に利用した(している)私だ。
 我が娘は元々食べ物の好き嫌いが多く寿司ネタの好みが激しいものの、「回転寿司」を大いに好む子どもだった。 幼き頃は席の前でカウンターが「回転」している事自体が興味深いのか一生懸命カウンターテーブルを観察しながら、「これ、取って!」と私に訴えたものだ。

 「回転寿司」とは“おひとり様”の身でも通い易い事を利用して、私も昼食時に一人身で幾度か訪ねている。
 私の場合、混雑している場をそもそも好まない。 かと言えども、確かに空いている「回転寿司」店現場では客が手にしない寿司皿が何周もする光景にも遭遇するが、それも見るに耐えない。
 そんな折、私にとっては寿司職人が握っている現場が見えない席に案内され、そこのインターフォンで自分が欲する寿司を注文して回してもらえる「回転寿司」に感激したものである。


 そんな我が回転寿司屋への思いと一致するのか、現在に至っては「回転寿司」が大いに進化(?)を遂げているとのネット情報である。

 以下に、今現在の「回転寿司」の現状を報道しているネット情報を少し紹介しよう。
 
 「これ握って」、回転寿司で注文派が急増 回転レーン全廃、「回らない」店も出現… 回転寿司をめぐる、興味深いデータが出た。最近はレーンで「回っている」寿司を取らず、店員に「注文して」好きな寿司を食べる人が多数派になっているという。 こうした流れを受けて回転寿司店側も、注文システムの充実を進める。最近増えているのが、客席にタッチパネル式の端末を備え付け、画面上から好きなネタを頼めるタイプの店だ。 ここまで来ると、もはや「別に回っている必要がないんじゃ……」という気さえしてくる。 実際、「回らない回転寿司」はすでに存在する。12年にオープンした渋谷の店舗は回転レーンを全廃し、代わりに3列の高速運搬レーンを設置、端末から注文を受け付け次第即座に客の眼前に寿司を届ける。 「好みの寿司が新鮮な状態で早く届くのが、好評のポイントです」と担当者は話す。
 外食不況の中で数少ない成長ジャンルの一つが、105円均一の回転寿司チェーンだ。 これに対し数百円の高級ネタも出すグルメ系回転寿司や、中堅チェーンは生き残りを賭けて新業態を展開。回転寿司業界は今、かつてない激変期に突入している。
 とある寿司チェーン店の常務は、「105円均一という切り口では満足できない層に対して、より優雅な空間で少し贅沢な寿司を食べてもらう提案。105円均一はヤングファミリーやカップルが客層の中心だが、ここでは熟年層や主婦のママ会などをターゲットにしていく」と話す。 店内では職人が目の前で握るカウンター席も用意され、一般の寿司店のように個別注文ができるなど、これまでの回転寿司とは明らかに異なる雰囲気だ。
 (以上、「回転寿司」店の現在の動向に関するネット情報を要約引用。)


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 私もお寿司が大好きである。
 だからこそ、我が栄光の独身時代から現在に至るまで「お寿司屋さん」を外食の一場面としてずっと利用して来ている。

 そんな私にとって「回転寿司」とは、産業(飲食)界における一大革命だった記憶がある。
 和食を好む日本人には「寿司」とは時代を超越して外せない食材であろう。 にもかかわらず、ひと昔前には「お寿司屋さん」とは概して高額で、庶民がそこを訪れ外食として堪能するには気軽に手が届かない分野だった。
 それを“庶民レベル”にまで引き下げた一外食産業である「回転寿司」が、我が国の食文化界で果した役割は大きいと評価するべきであろう。

 それにしても、「回らないお寿司」は従来のお寿司屋さんに任せてはどうなのか?
 
 「回転寿司」屋は現在いつ訪れても混雑している。 それだけでも顧客にとっては実に鬱陶しいが故に、いつまでも“安値多売販売”を余儀なくされる一要因と私は解釈している。
 そうであるとは言え、かつては外食分野に於ける新鋭産業だったであろう「回転寿司」業界が、顧客側の要求に翻弄され中途半端な改革を志す事は危険性が高いのではあるまいか? 
 それよりも、「回転寿司」屋がこの世に生まれ出た使命を今一度鑑みて、やはり寿司を“回し続け”る事により、安価で美味しいお寿司を食したい庶民の要望に応え続けるべきではなかろうか。

 「アベノミクス」とは、庶民を支えている末端事業者を支援するべく機能し得ないと私は展望しているのだが、それでも「回転寿司」は今後共に回ってこそ役割存在を果せると信じたい。

“勘違い勝者”よりも“コンプレックス敗者”でありたい。

2013年04月06日 | 時事論評
 当該「原左都子エッセイ集」とは、たかが一庶民の素人が発信している単なる一ブログに過ぎない。
 とは言え、一応「原左都子エッセイ集」をネット上に公開している著者の立場上の責任として、我がエッセイが世間にもたらしている諸動向の確認作業をする機会を時々持つべきと心得ている私だ。

 この作業が以外や以外、筆者である私に新たな刺激や感動を呼び起こしてくれたりもするから、ネット世界も捨て置けない。

 例えば「原左都子」でネット検索すると、当然ではあろうがまずは主に「原左都子エッセイ集」に関する項目がズラーーーッ と何ページかに渡って検索可能だ。
 その中には、本エッセイ集のバックナンバーが少なからず取り上げられている。 検索する日により移り行くバックナンバーが多い中で、ネット公開後ずっと皆様にご覧頂いているのか、何年来にも及んで常に検索上位に位置しているバックナンバーが多い事に驚かされる。   (一例を挙げると、「別れて下さい」 「ふ・り・ん考」 「サンバクラブリーゼンシー」 等々、やはり恋愛ものエッセイは年月が経過しても人気のようだなあ。


 そんな中、先だって「原左都子」ネット検索により自分で読み返してみても“唸り”そうな力作とも言えるバックナンバーを発見した。

 それはちょうど1年程前の2012年4月に公開した 「一体 誰と争っている?」 と題するエッセイである。
 このバックナンバーは一見すると当時東京都知事であられた石原慎太郎氏を論評したエッセイのように見えて、実は 原左都子 自身の生き様を今一度振り返るべく我が深層心理にまで考察が及んでいる内容であることに気付かされるのだ。

 そこで本日は再び上記エッセイを取り上げる事により、我が深層心理に関して今一度確認作業を施すこととしたい。
 以下に、バックナンバー「一体 誰と争っている?」の内容を要約引用させていただく。

  「一体誰と争ってる?」

 朝日新聞2012年4月18日付夕刊「素粒子」欄に何とも絶妙な表現があった。以下にその全文を紹介しよう。
    そろそろ黄門様の役回りのお年だろうに。 自ら物議を醸す石原氏。
    「政治に吠え面かかす」と。 一体誰と争ってる?
 原左都子が補足説明をしよう。
 石原氏とはもちろん、4期という長きに渡り東京都知事に当選し続けている 石原慎太郎氏 の事であろう。 そして今回の「素粒子」の文面は、東京都知事である石原氏が突如として尖閣諸島を買い取るとの「奇策」を示した事を受けての論評であろう。 
 それにしても、とにかく石原氏とは実によく“吠えて”いる人物であられる。
 例えば東京にオリンピックを誘致する計画を公開するに当たっても、何年来に渡り日本に世界に“吠え”まくっている感覚がある。 ただ、この人物が今尚吠え続けねばならない背景として、東京都知事を引き継ぐ後継者が一人として存在しない現実が辛いとの事情もあろう。 しかしそれは黄門様の年齢に至るまで石原氏本人がその地位を死守せんとしたがために、本気で後継者を育て上げなかった責任も大きいはずだ。 
 石原氏の“吠え”の対象とは、朝日新聞「素粒子」が「政治に吠え面かかす」との文面で指摘している通り、それは「国政」でしかあり得ないのではなかろうか。
 原左都子の私論を続けるが、 上記のごとく、若き時代に国政にこだわり続けた石原氏にとっては、東京都知事として4選を達成しているとはいえ、結果として都知事の現在の立場は「敗北」でしかなかったのではあるまいか? だからこそ石原氏は「政治に吠え面かかす」と宣言し、今尚闘い続けておられるのであろう。 故に氏が歳老われた現在に至って尚、国政が掲げた施策に真っ向面より抵抗する事とならざるを得なくなる。 尖閣諸島問題とてそうだ。国が買い取ると言えば、自分こそが買い取る!と言い出して抵抗する。 都民の迷惑を考慮する余裕も無く…… 
 原左都子の立場として、表題に戻ろう。 読者の皆様の応援に支えられつつ、この私がたとえ非営利であろうが数年来“辛口論評集”とも表現可能な「原左都子エッセイ集」を日々綴り自己のオピニオンをネット上に公開できている事に感謝申し上げたい思いだ。
 その根底には、 「一体誰と争ってる?」 との課題が我が脳裏に常々横たわっている事も重々認識し続けている。 既に人の上の立場におられる石原慎太郎氏はともかく、人間とは心理面で何かの対象と争いつつその生命を全うする存在であり続けることを余儀なくされている感覚が私にもある。
 それはこの世で成功を修めたか否かの如何にかかわらず、人それぞれの人生の経験則に基づく一種の“コンプレックス”に端を発ているのであろう事も想像がつく。  決して現在は人の上に立つ存在ではない原左都子のごとくの一庶民であれ、その社会心理学的側面を視野に入れつつも、今後も我が心の内面で誰か(何らかの対象物)との “争い” を全うし続けるのが、人生に於ける一つの美学なのかもしれない……
 (以上、「原左都子エッセイ集」昨年4月のバックナンバーより引用)


 原左都子の私論で締めくくろう。

 まず石原慎太郎氏に関してだが、皆さんもご存知の通り、石原氏は昨年末に東京都知事の地位を事実上“後進の猪瀬氏に譲る形”で都知事職から退かれた。
 何故ならば石原氏が残りの人生をかけて成し遂げたかったのは、私の想像通り、やはり“国政を揺るがす”事に他ならなかった故であろう。
 ところが大阪の橋下氏をそそのかして無理やり結託し新政党を打ち立てたものの、現在高齢故に闘病中であられるのだろうか??  その種のメディア情報もあるが、残念ながら石原氏が衆院議員に返り咲かれて後は、氏が「政治に吠え面かかす」姿を最近メディアで見聞する事がない…

 最後に原左都子自身の現状分析に話を戻そう。

 わずか1年前の昨年同時期にこれ程政治家に対する批判精神旺盛だったはずなのに、現在は何だか私らしいその意欲が少し欠けている様に自己分析するのだ。
 それは何故だろう? 我が娘が大学生として順調に今後の自立の道を歩んでくれているお陰で、我が「お抱え家庭教師」任務が緩和されているせいか?  あるいは自分自身が年齢を重ね諸感覚が鈍りつつあるためか?? 
 (我が周囲を見渡しても、子どもが成長し旅立った暁に親とは急激に老け込むもののようだけど……)

 周辺環境に翻弄されず今後も我が自己実現人生を貫き通すためには、表題のごとくみっともなくも“勘違い勝者”の姿を世間に晒す立場であるよりも、自分が抱えている“コンプレックス”を一生に渡り分析・克服しつつの敗者でありたいものだ。