原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

放射能に悪臭があれば原発利用を回避できたか?

2013年09月07日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞9月4日付漫画 しりあがり寿氏作「地球防衛家のヒトビト」を転載したもの)


 明日(9月8日)早朝5時に、アルゼンチン ブエノスアイレスでの国際五輪委員会(IOC)総会にて2020年五輪開催地最終結果が発表される。

 早速私論だが、私は元々2020年東京五輪開催反対派である。

 その理由に関しては「原左都子エッセイ集」5本前のバックナンバーに於いても記述済みだが、私はそもそも世界規模のスポーツ祭典とは、国家間の経済格差等の条件を度外視してでも、世界各国で満遍なく施されるイベントであるべきと解釈している故である。
 その観点から、2020年夏季五輪開催地としてイスラム教圏より初めて名乗りを挙げた、未だ五輪開催経験のないトルコ・イスタンブールに決定するのが妥当と私は心得えていた。
 しかもここにきて、日本国内では東日本大震災に伴い2011年3月に勃発した東電福島第一原発の汚染水漏れが国際的に表面化した。 この汚染水漏れ事故に関しては、ずっと以前から国内専門家筋から指摘されていたにもかかわらず、東電のうやむやな対応、及びすべての後処理を東電に任せ切り一時のアベノミクス経済バブル指標活況に浮かれ“我関せず”の立場を貫いていた安倍政権の責任が今になって問われる事態と相成った。

 安倍政権の放射能漏れ対応が遅れた失態に関して、私は上記5本前のバックナンバーで痛切に批判している。  もしかしたら、安倍政権は2020年五輪開催による経済効果を狙う目的で、あえて福島原発汚染水漏れ事故を“ひた隠し”にしようとの政策魂胆ではなかったのかと。
 どうも我が思索通りだったようだ。 いよいよ五輪開催招致レースの本番直前となり海外から日本の放射能漏れの実態をバッシングされて初めて、安倍首相が苦し紛れにメディアを通じて発した言葉を、私は信じ難い思いで聞くしかなかった…
 安倍氏曰く、「日本国内には現在原発汚染水漏洩問題がありますが、五輪開催の7年後にはまったく問題はありません。」

 ここで一旦、朝日新聞9月6日付夕刊「素粒子」から2文を紹介しよう。
 「『7年後はまったく問題ない』と安倍首相。魔法使いか予言者のごとく。それならばまず、福島で言って欲しい。」 ついでに紹介するが、「汚染水地下へ。地球の反対側にも届いたか。アルゼンチンから見れば東京も福島も指呼の間。離れて知る復興の現実。」(以上、朝日新聞紙面より引用。)

 まさに朝日新聞「素粒子」が表現している通りだ。

 原左都子の私論に戻るが、まさか政権を操る安倍首相が放射能の“半減期”を知らぬはずはない。 にもかかわらず、何故子どもにも嘘がバレる「7年後はまったく問題ない」などとの科学的根拠を度外視した発言を、東京での五輪開催に向け世界各国に向けて発信してしまったのか?
 この安倍首相の発言が命取りとなる以前より、世界各国ではレベル3東電福島原発の汚染水漏れに関する脅威感が広がっていたのは歴然の事実である。


 さて、冒頭に掲げた しりあがり寿氏作「地球防衛家のヒトビト」の漫画の内容をここで再現しよう。
 「原発の汚染水って、そうとう大変なんだ?」 
 「例えばウチで言えば…」
 「トイレで使った水を下水に流せなくて」 「とりあえずタンクに溜めてあったけど」
 「今や家の中でいっぱい増え続けてるってカンジかなー」
 「ぞ~~~~~」

 再び、原左都子の私論に入ろう。
 しりあがり寿氏の原発汚染水を取り上げた上記朝日新聞掲載漫画表現たるや、実に的を射ていて素晴らしい!!の一言である。
 上記漫画を一見すれば、国民の誰しもが放射能汚染が環境に及ぼす悪影響の程を自分自身の問題として理解可能と私は判断する。

 ところが実は、「トイレの下水に流せずに家内に溜め込んだ汚水」よりも、原発汚染水の方が格段に世界に恐怖の汚染を撒き散らす現状をここで原左都子なりに説明しよう。
 トイレの下水に流せず溜め込んだ汚水は、悪臭を放つという決定的特質がある。 この性質により、世界各地域の文明とは古代の過去から上水に加えて下水文明をも発達させたと私は心得る。 同じくガス被害なども、その悪臭により人々が早期に危険に気付くが故に早々にその危険状態から逃れられるのが特徴でもあろう。
 悲しい事に放射能は無味無臭だ。それ故にその脅威の程が計り知れない不気味さなのだ。
 まさに表題に掲げた通り、もしも放射能に悪臭が伴っていたならば、誰しもこれを原発に利用しようとの発想が出なかったであろうと悔やまれるのだ… 
 しかも付け加えると原発汚染水は海流に流され、時間の経過と共に世界各国の海水や地下水までをも汚染し尽くす恐れが高い。  すなわち、放射能の破壊力とはトイレ汚水やガスによる被害とはまったく比較にならない程の次元と年月を超える強大さを備えているいう話だ。

 そこで放射能の特質を逆利用しようとの魂胆の国の強者たる立場の輩は誰しも思うのであろう。 放射能が無臭である事を利用すれば莫大な利益が上げられると…
 安倍首相には、どうやら子どもがいないらしい。 それ故に次世代にまで及ぶ放射能汚染が及ぼす危険性に思いが及ばないとは想像したくはないが…。  それにしても、一国の首相が7年後には放射能汚染問題が解決していると世界相手に幼稚に叫ぶ実態とは、一体どうしたことか???


 ネット情報によると、福島で甲状腺癌と診断される子供が増え続けているとのことでもある。
 福島県では、福島第一原発事故による放射能被曝の影響を調べる「県民健康管理調査」が、原発事故発生当時18歳以下だった子供たちを対象に行なわれている。この調査では、子供の喉にエコーを当てて甲状腺の異変がないかを調べる甲状腺検査が行なわれており、検査結果は定期的に発表されている。 8月20日、福島市で開かれた県民健康管理調査検討委員会の席で2012年度の検査結果の中間報告がされ、前回6月には12人だった甲状腺がんと確定診断された子供の数が、今回、新たに6人増えて計18人になってしまった。
 この人数が意味するものは、一体何なのか。
 「子供の甲状腺がんの罹患(りかん)率は、100万人に1人といわれています。福島県の人口が約200万人、そのうち今回の調査の対象となっている子供たちは約36万人です。これだけ見ても明らかに人数が多く、何か異変が起きていると判断するのが普通の考え方ではないでしょうか」
 ところが、検討委員会の席上で、調査の主体となっている福島県立医大の某教授は、「2、3年以内にできたものではないと考えられる」と話し、これまで一貫して原発事故と18人の甲状腺がんとの関連を否定している。
 
 う~~ん。 

 原左都子の私論だが、この種の健康管理調査に当たり、政府や自治体との癒着が疑われる医学関係機関を指定から外すべきなのは自明の理であろう。
 ここは国との癒着が一切ない民間機関にその調査を一任してどうなのか? とも言いたくなるのが一庶民の感覚だ。


 とにもかくにも国民の皆さん、これ程までに放射能を世界に撒き散らし迷惑を掛けている国家に於いて、2020年東京五輪開催など夢物語に過ぎない事を自覚して諦めようではないか!
 そんな事よりもこの国が抱えている原発事故後処理との重大課題こそを、今こそ見つめ直す事が先決問題との自覚を国民皆が肝に銘じるべきだ。

 その上で、IOCが一番適切と選択決定した海外の地域へ将来共に五輪出場選手達を送り出し祝福する事こそが今現在我が国民がやるべき課題と私は心得るのだが、如何だろうか!

大歩危舟下りと 石のミュージアムショップ

2013年09月05日 | 旅行・グルメ
 (写真は、大歩危“駅の道”「ラピス大歩危」ミュージアムショップにて買い求めた原石装飾のイヤリング3点。 左はシトリン、アマゾナイト装飾、中はタイガーアイ、赤サンゴ装飾、右はインカローズ装飾。)


 さて、我々親子の大歩危・祖谷の旅も終盤を迎える。

 西祖谷方面タクシーツアーの後「ラピス大歩危」にてタクシーを下車した我々は、夕刻になる前に大歩危舟下り観光を優先しようと、舟乗り場に急いだ。
 吉野川中流域に位置する渓谷での舟下りで、さほどの急流箇所はなく比較的緩やかな川下りとの情報を、あらかじめタクシー運転手氏より入手していた。
 
 約30名程の観光客が乗船可能な中型の舟に靴を脱いで乗船し、救命胴衣を着用後ゴザの上に座り込む姿勢となる。 舟の後ろには手漕ぎ用のオールが装備されてはいるが、オールを使用するのは舟の回転場面のみ、後は動力による30分間の舟下りである。
 そして、オールを握る船頭さん(とは言え洋服姿だが)が一人で観光案内を担当していた。

 大歩危地域の地質は、変成岩類で構成されているとのことだ。
 以下はウィキペディア情報によるが、大歩危は砂質片岩および黒色(泥質)片岩を主体として構成され、吉野川沿いは砂質片岩が多く露出する。変成岩中に礫(れき)の原型を留めた礫質(れきしつ)片岩が含まれているものもある。 大歩危の礫質片岩は含礫片岩として徳島県天然記念物に指定されている。
 そのような説明を、船頭さんも随時しておられたと記憶している。

 観光客20名程を乗せた大歩危渓谷舟下りの行程は、(顰蹙は承知の上で)原左都子にとっては多少“退屈”とも表現できる舟旅だった。
 途中、水鳥が生息している地も観察可能だったのだが、後は上記の変成岩類以外にはこれといった見所がない。 ただただゆったりと舟は吉野川中流を下り、そして乗船場所まで引き返して行く。
 “退屈”などと表現するのは、あくまでも何らかの刺激を求め過ぎる原左都子の歪んだ感想に過ぎないことを承知の上であり、ゆったりと渓流を観察したい旅人の皆さんにとってはさぞかし有意義な舟下りであろう事も考察可能だ。
 (参考のため、大歩危舟下りの乗船料金とは、1名に付き ¥1050-也 である。)


 などと言っているうちに、山岳渓谷に夕暮れが迫り来る。

 日本の地方に旅した方々はご存知であろうが、国内の大体の過疎地方観光地とは周辺の店舗も含め午後5時には全てを閉館とする。
 「うわ~~。 急がなくちゃ!」 などと言い合いつつ、娘と徒歩で最後の観光先である「ラピス大歩危」に走るように舞い戻る。
 
 「ラピス大歩危」には「石の博物館」と称する観光施設があることを旅行前からネット情報で仕入れていた。 ここを一見したかったものの、既に時は閉店前の17時近い。 まさに時間切れ状態だ。  仕方なく、我々はミュージアムショップのみを見学させてもらう事とした。
 そうしたところ、素晴らしいまでの原石を装飾したアクセサリーが所狭しと陳列されているではないか!
 娘と共に閉店前のミュージアムショップをほんの15分程度で取り急ぎ一覧した結果、上記のイヤリング3点を買い求める結果と相成った。
 広いミュージアムショップ内では、他にも原石アクセサリー類が数多く展示されているので、興味がある方々には是非共大歩危当地を訪れて欲しい思いだ。
 (参考のため、原石を少量で作成可能なイヤリングは、「ラピス大歩危」では想像を絶する安価だったことを最後に伝授しておこう。)


 大歩危・西祖谷の旅も終焉し、我々親子は原左都子の実家に帰省する段となる。

 土讃線の鈍行乗車の後、阿波池田駅より徳島線に乗り換えた後の道すがら日が暮れ行く。
 すぐに風景は真っ暗闇! 何だか日頃経験している東京メトロの地下構内風景が我々親子に蘇る。
 こんな真っ暗の中、若い女性がどうやって自宅に安全に帰宅できるというのか!?? 最近は全国各地で若い女性が変死を遂げる事件が多発しているが、これが地方で勃発するのは必然なのか??? なる恐怖心のみを募られる地方JR路線の午後6時以降の“真っ暗闇”の現実である。  我が子を都会で産んで育ててよかったと考察するべきか!? それとも、こんな田舎でも若き娘達が気丈に生きている姿を讃えるべきか??

 などと“真っ暗闇”状態のJR車窓を見つつ複雑な心境だった私も、目的地であるJR徳島線牛島駅に到着した。 ドアの開閉が自動ではなく、自らボタンを押して開ける事に関しては道中車掌氏に確認済みだったため、無事に下車することが叶った。 
 ここからはタクシーに乗って我が実家へと向かう。 ところが牛島(うしのしま)駅は無人駅。 駅の前にはタクシーの1台すらおろか何もなく、ただただ駅内の電気の明かりを目がけて蛾等の虫類が飛び交っているのみだ…

 それでも牛島駅まで迎車を依頼して訪れて下さったタクシーの運転手氏の対応は、都会のタクシー運転手に勝る我々顧客歓迎ぶりだ。(参考のため迎車料が無料扱いだった。都会では考えられない…)
 田舎で商業を営む人々も、都会の商業経済システムの模倣をしつつそれを上回るべくサービスを志さねば、成り立たない田舎での観光事業続行の姿勢を実感させられる思いだ。


 日本国内に於ける地域差「格差」を承知しつつの度重なる我が郷里訪問なのだが、いつもいつも接待の心を持って我々親子の旅を支援して下さる郷里の皆様に、今回も心より感謝申し上げる次第である。 

秘境大歩危・西祖谷タクシーの旅 (Part 2)

2013年09月03日 | 旅行・グルメ
 (写真は、祖谷のかずら橋。 重さ約5トンのシラクチカズラで作られている。  長さ45m、幅2m、水面上14メートル。 昔は深山渓谷地帯の唯一の交通手段として活躍していたが、現在では観光専用。 3年毎に架替工事が実施される。)


 JR土讃線大歩危駅に到着後、お昼ご飯(祖谷そば)を駅前直ぐの立食処で地元のご婦人達の手厚い接待の元に済ませた我々親子は、いよいよ「タクシーツアー」開始と相成る。

 前回のエッセイでは、大歩危・祖谷観光の一環を担っている「タクシーツアー」の存在自体を認識していない、JR徳島県内主要駅での駅員氏の対応に不安感を抱いた事を綴った。
 ところがやはり、こと観光の詳細に関しては地元の方が格段に詳しいのは自明の理であろう。
 大歩危駅前に停車していた小型タクシーの運転手氏にタクシーツアーチケットを差し出したところ、「承知致しました!」の快諾である。 しかも運転手氏がおっしゃるには、「外国人の方々もよく利用されています。」との事だ。 お陰で大船に乗った気分で、娘と共に2時間のタクシーツアーに出発する事が叶った。

 ここで参考だが、我々が利用した「祖谷のかずら橋と祖谷渓谷コース」のタクシーツアーの費用は、¥5,600-也 。 (これに対しボンネットバスツアーは1名に付き¥5,200-也。 5時間の旅程で昼食も付いていて観光目的地もタクシーツアーよりも数多い。)  ただあくまでも原左都子の感想に過ぎないが、クーラーのないバスで5時間団体行動で引っ張り回され疲れ果てるよりも、2時間のコンパクトに凝縮されたタクシーツアーを利用して、後は個人行動をする方が経済面でも心身面でも有意義な旅行が可能との気がした。
 更なる参考のため、大歩危駅から祖谷のかずら橋までの片道タクシー運賃が¥3,100-也 であることに鑑みて、今回のタクシーツアーが激安である事を認識いただけるであろう。 しかも4名まで乗車可能との事も参考として公開しておこう。

 さて、今回の小型タクシーの運転手氏が何とも要領を得た、観光地に関する知識も豊富な素晴らしい案内人でおられたのだ。
 タクシーツアーとは密室であるが故に、この条件を外すと至って窮屈な旅となろう。 ところが我々親子は何ともラッキーとしか表現できない程に、運転手氏に恵まれた。


 まず運転手氏が誘(いざな)ってくれたのが、祖谷渓谷である。
 30年ぶりに見るその絶景に唸っていたところ、運転手氏がおっしゃるには「私にはこの風景が中国の山岳地帯と交錯します。」 私は中国を訪れた事は未だ無いのだが、日本にもこのような絶景を観光できる地が我が郷里に大自然の形で残されていることに今更ながら感動である。

 その後、祖谷渓谷「小便小僧像」を訪れるに当たり、運転手氏が面白い談話をして下さった。 何でも、ジャニーズ事務所“嵐”の一員が民放テレビ番組収録のため、つい先だって秘境祖谷に訪れた時の渓谷の車の混雑ぶりは尋常ではなかったとのことだ。 (くだらない番組制作のために秘境の大自然を破壊するなよ!)と憤ると同時に、(過疎地に住み日々変化に乏しい人々の一時のサプライズも考慮するべきか…)なる複雑な感覚を抱かされる運転手氏の談話だった。

 そしていよいよ、祖谷のかずら橋を渡る時が到来した。
 ここではタクシー運転手氏には待ち合わせ場所に待機していただき、我々の単独行動となる。 
 この橋の特徴とは、上記写真には撮影されていないが足元の板の間隔が大きいことにある。 上記写真をご覧下されば分かるが、大の男の大人でも手すりをしっかりと握って慎重に渡らねば、足を板の間に落とし込む危険性があるのだ!
 タクシーの運転手氏も忠告しておられた。 「この橋から落ちた人はいません。 ただ、足を太股まで落とし込んで多少の怪我をした人はいますし、靴やサンダルの片方や、ポケットや鞄の中身の財布等の持ち物を落下させた人は大勢いますのでお気をつけて。」
 私自身は30年程前の若気の至りの頃、この橋をハイヒールにひらひらロングスカートのいでたちで渡った経験がある。  それはそれは恐怖感を苛まれたものだ。 今回はその時の反省から娘にも運動靴を勧め、親子共に十分な安全対策を練っての再挑戦である。 そうしたところ、大した恐怖心を抱く事も無く難なく橋渡りを終了した。
 
 祖谷のかずら橋を渡り終えると、我々の「タクシーツアー」も終盤を迎える。

 
 その後、タクシー運転手氏に「ラピス大歩危」と称する“道の駅”複合施設に停車していただいた後に、我々の大歩危観光も個人旅に入る。

秘境大歩危・西祖谷タクシーの旅 (Part 1)

2013年09月02日 | 旅行・グルメ
 (写真は、徳島県三好市西祖谷のJR土讃線大歩危駅前の立食処にて撮影したもの。 参考のため、大歩危駅と隣の土佐岩原駅との間が徳島県と高知県の県境。)


 今回の私と娘の夏の終わりの旅は、徳島県と高知県の県境に位置する秘境大歩危・西祖谷方面を訪れる事を主たる目的としていた。

 私自身は徳島県北東部の海に近い地に生まれ育っている。 そのため、県西部山岳地帯の西祖谷地方を訪れる機会は数える程であった。 思い起こすに、小中学校の遠足や高知への修学旅行の道中や、大学の合コン、あるいは上京後帰省した折に家族旅行で訪れた場面が記憶に蘇る。 その後30年程の年月を経ての当地再訪問である。
 片や娘は東京に生まれ育っているため、今回が初めての西祖谷観光だ。 生まれてこの方山らしい山がない関東平野で生を営んでいる娘に、山岳の絶景を一目見せたい思いで県境付近の旅に誘った。


 さて山岳地帯の秘境を旅するに当たり、如何なる交通手段で移動するかが一番のキーポイントである。
 マイカーあるいはレンタカーを利用して旅するのが一番手っ取り早いのは承知だが、原左都子の場合車の運転から距離を置いて既に10年足らずの年月が経過している。 もはや車の運転席に座る事自体に恐怖感を抱くのは元より、山岳地帯の厳しいルートを運転する行為こそが命取りだ。 (私はともかく、明るい未来が待っている娘を犬死させてはなるまい。)  ここは公的交通機関に頼る選択をするのがベストであろう。

 そこで出発前に入念なネット調査を施したところ、二案が浮上した。

 その一つは「ボンネットバス」利用による団体観光ツアーだ。
 これに乗車すれば、5時間に渡り西祖谷の各所名所に誘(いざな)ってくれそうだ! 早速予約の電話を入れたところ、思わぬ落とし穴に遭遇した。 予約担当者曰く、「ボンネットバスはクーラーがありません。 当地でも猛暑日には乗車客の皆さんが相当暑い思いをされるようです。それをご承知の上での予約をお願いしております。」  以下は我が印象だが、(そうだったんだ…。だとしたら猛暑日には普通のクーラー装備観光バスを代替してくれたらいいのになあ~。) そう思いつつもまさかそんなことを提案できる訳もない。 結局、熱中症予防のため「ボンネットバスツアー」案は却下した。

 次なる候補は「タクシーツアー」である。
 こちらに関しては、前回郷里を訪れた際にその情報パンフレットを入手していた。
 航空便にて徳島到着後、上記パンフレット内に記載されている販売指定場所であるJRターミナル駅の“みどりの窓口”で上記タクシーチケットを入手しようとしたところ、係員氏がおっしゃるには「このタクシーチケットを取り扱うのは初めてです。」との事だ。  多少驚かされたものの、係員氏はパソコン画面をいじくりつつ何とか発券してくれた。  
 (このタクシー券、ほんとに現地で使えるのかなあ…)なる不安感を煽られつつも「これを大歩危駅でタクシー運転手に見せたらいいのですね?」と尋ねる私に、駅員氏は我が不安感の上塗りをする…  「もしかしたら、タクシー運転手自身が『タクシーツアー』の存在を知らない恐れもありますので、その際はお客様から手持ちのパンフレットを見せて説明して下さい。」

 地方の田舎って、そうだからこそ旅の醍醐味だよなあ。
 などと善意に解釈しつつ、徳島到着の次の日に我々親子はJR線を利用して西祖谷の旅へと向かった。

 
 JR鈍行便を利用して大歩危駅に到着したのがちょうど昼過ぎ。 
 予想以上に大歩危の地とは何もない田舎だったのと平行して、元々ネットで調査済みだった「蕎麦屋」を訪ねようとしたところ、その姿すらない…

 無人駅である大歩危駅の窓の掃除をしていた女性に、私は尋ねた。
 「この辺に、昼の食事ができる処はありますか?」 そうしたところ返ってきた答えに驚いた。 「手前味噌ですが、私が関与している店舗で立食をしているのでよろしければ訪問下さい。すぐそこです。」  その親切な言葉につられて行ったのが、上記写真の立食処である。
 これが感激なのだ!
 何処から来たかも知れぬ我が親子に、従業員の皆さんが懇切丁寧に対応して下さる。 そもそも立食処であるにもかかわらず我々二人に軽椅子を提供して、我々が見ている直前で“一食わずか350円”の「祖谷そば」を作って下さるのだ! しかもお茶は無料との事で、祖谷で取れ立てのお茶を臼で引いて何倍もお替りを勧めて下さる。
 極めつけは、目の前で作られた「祖谷そば」の何とも美味だったこと…  その味の感想を述べるならば、徳島出身の私ならではの特異性を承知の上で、我が母が過去に作ってくれた「うどん」の風味と共通項があり、薄味でまろやかだったことが実に印象深い…

 
 何はともあれ、大歩危駅到着直後に今回の我が旅行のプランにはない想定外の駅前地元の人々の人情に触れる事が叶った我々母娘の西祖谷方面旅行談は、次回に続きます。