原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

離婚って、そんなに辛い事象かなあ??

2014年07月11日 | 人間関係
 つい先だってのNHK昼の番組「スタジオパークからこんにちは」のゲストは 西川史子氏 であられた。

 実は、原左都子はこの人物に関してさほど認識していない。
 医師免許取得者であるにもかかわらず、テレビタレントとして特に“民放で言いたい放題の発言”等々でご活躍との事だけは心得ている。


 その西川氏がゲストとして出演されたNHK生放送を通じて、開口一番「現在離婚後の痛手を背負っている…」云々とおっしゃるではないか。
 それを受けて司会者側の女優 戸田恵子氏が、「私などバツ2ですが、そんな事何ともないですよ。」と返答したのが印象的だ。

 ここで、原左都子の意地悪視点が頭をもたげる。
 ははあ、西川史子氏とは現在テレビ業界での出番を失いつつあるのではなかろうか?  そうした場合、現在の自分にとって利用価値があるのが4月に離婚したとのプライベート事象だ。 これを売り物にして、もう少しテレビ業界で収入を得たいものだ… 
 何と言っても自分自身が医師免許を取得しているとはいえ、元々専門分野だった整形外科分野は既に挫折している。 整形外科医である父も癌に倒れてしまった。 ここは医師免許を持つ私がテレビ業界タレントとしてのみの貧弱な身で、うつつを抜かしている訳にはいかない。 美容皮膚科医に分野を変更してでも、勤務医として家庭を支えねばならない。  
 それにしてもせっかく玉の輿に乗ったはずの結婚が、ここで破局を迎えるとは想定外だった… 何でこんな結末になったの? 
 (以上、先だってのスタジオパーク ゲストであった西川史子氏のトークから、原左都子の裏心理を交えて一部をアレンジして引用したもの。)


 さてここで、原左都子自身の私事を公開しよう。
 (既に時効が成立しているとの解釈で公開するが)、実は我が夫婦も遠い過去の時代に別居に至った時期がある。(別居と表現したが、実は亭主側からの要望で「離婚届け」を役所に提出している。)

 その時の感想を述べるならば、別居後よりも別居に至る前過程の方がよほど私にとっては辛かったものだ。
 未だ娘は義務教育課程の中学1年生。 そんな娘に対する親としての責任を放棄してまで何故相手が離婚したいかの理由に同意し兼ねる事態だった。 それでも、亭主が提示した「離婚条件」が意外と美味しい内容だった事に同意して、我が夫婦の離婚は成り立った。

 亭主が去った後も、娘を持つ母親としての日々の任務は続く。 
 それでも元々晩婚だった私にとっては、亭主がいない家庭とは日々の家事労働が極端に短縮されるし、何と開放的なのだろう! と感激の連続だったものだ。
 ところが、そんな我が感激の日は長くは続かない。 単身で家を出た亭主より「家に戻りたい」との切実な訴えが届く日は直ぐに訪れた。   自宅を出てわずか2週間が経過しないうちに、亭主から「家に帰りたい」との切実な訴えメールが日々我がパソコンに届くはめとなった。
 それに対して、私側も頑張った。  「私と娘の戸籍を汚しておきながら、たったの2週間で我が家に帰りたいとの要望を受け付けられるはずもない!  私側もあなたと一旦離婚した事により、自治体から一人親支援資金を受け取れる段取りとなっている。 それを受け取った3ヶ月後頃に、あなたとの復縁を考慮するからそれまで独り身で耐えなさい!」
 その要望に沿った亭主は離婚後3か月の後に我が家に帰って来て、その後戸籍上も復縁と相成ったものだ…。

 いやはや、原左都子過去の失態をこの場で公開して誠に恐縮である。


 ただ、そのような経験があるからこそ、上記西川史子氏の離婚騒動に関して思う事があるのだ。

 西川氏の場合、離婚相手との間に「子供」を設けていなかったのであろう。
 そして、おそらく「スタジオパーク」番組内で2度の離婚経歴がある事を披露した戸田恵子氏も、同じく相手男性の間に子供を設けていなかったのであろう。

 そうだよなあ。 結局夫婦間に子供がいない場合、離再婚を勝手に好き放題繰り返せば済む話であろう。
 ところが一旦夫婦間で子供を設けた場合は、「離婚」の意味合いも大きく違ってくる事と理解する。


 まあそれにしても、先だっての西川史子氏ゲスト出演NHK「スタジオパーク」は、西川氏が離婚仕立ての相手方男性の立場にも思いが及んでいるのかとの、一視聴者に過ぎない庶民の私が懸念するほどの西川氏側擁護に偏った内容だった。

 決して西川史子氏側からは「相手こそが悪い」との見解は出なかったものの、西川氏がタレントであられる事実を勘案すると、まるで今回の西川氏離婚に関して離婚相手側こそが悪人であるとの印象を抱かせる内容だった事態を憂慮する私だ。

白いご飯にのっけるお菜も蓋が開かねば食せない

2014年07月09日 | 時事論評
 7月5日朝日新聞別刷「be」“RANKING”のテーマは、「白いご飯にのっけたいもの」だった。

 そのランキング結果を以下に紹介しよう。

  1位  生卵        2位  辛子めんたいこ     3位  のり(乾燥のり)
  4位  納豆        5位  ふりかけ        6位  梅干し
  7位  のりのつくだ煮   8位  たらこ         9位  ちりめんさんしょう
 10位  とろろ      11位  さけフレーク     12位  しらす
   (以下略)

 何処のご家庭にも白いご飯のお伴である常備菜として、冷蔵庫内や食品棚等に保存されているであろう食材の数々が、ズラリとランクインしている。


 このコラム記事を見た私の脳裏に真っ先に蘇ったのが、4月中旬の骨折直後の“悲惨な状況”である。 

 自宅ベランダで転び負傷し、左鎖骨鎖骨骨折(全治2ヶ月)右手首骨折(全治1ヶ月)の診断が下ったのは今から遡ることおよそ3か月前の4月半ばの事である。
 医師の指示として「絶対安静」と宣言されたところで、一応一家の主婦(この言葉は嫌いだが)の立場にして安静になどしていられるはずもない。 料理嫌いな私とて最低限可愛い娘の朝食準備ぐらいは母である私の責務との使命感は強い。  骨折中にも激痛に耐えつつ、娘が起床するまでに何とかテーブルの上に形のみの朝食を繕い続けた。 (参考のため、定年退職後の亭主に関しては起床時間が一定していないため、自主朝食制度を採用している。)

 日々の私自身の朝食行動に関して記すと、まず一家の先陣を切って朝起きる。(これが朝に滅法弱い私にとっては死ぬ程辛いのだが…) そして大学へ通っている娘の朝ご飯の準備をするのと並行して、私自身は“ビュッフェ形式”で台所で朝食を採る。
 上記“ビュッフェ形式”について説明するならば、要するに娘に出す朝食の残り物や白いご飯のお菜を頼り、娘が起きてくる前に台所に立ったままでそそくさと朝食を済ませるとの事だ。

 ところが骨折直後は、いつもなら白いご飯のお菜として食している常備菜数々の蓋が“開かない!”
 (それ以前の問題として、布団から起き上がる動作も命がけなら、トイレに入っても紙を手に巻き取れないし、パンツもまともに上げられない。  死に物狂いでそれをこなして台所に立ったとて、食器棚や冷蔵庫を開ける動作もままならない。)
 それでも我が命を持たせるためには、とにかく「食わねば!」と決死の覚悟で摂食行動に挑んだものだ。


 両腕骨折被害に遭う事とは、食事との何でもない動作すら難儀な事態に陥るものと一番に思い知らされたのが、我が起床間際の“ビュッフェ”朝食時の無念さだった。 

 例えば朝日新聞調査1位に君臨した「生卵」。  両腕骨折状態で左手は当初腰までしか上がらず右腕は箸を持つのがやっと状態で、卵を割る動作すら叶わず断念した。
 3位に位置付けている「のり」。  やはり特に右手首の細かい作業が不能なため、これを包んでいる袋の封も切れない。
 私が一番好んでいる6位の「梅干し」。 郷里の母が毎年漬けて送ってくれてはいるが、そのタッパーを開けるには程遠く断念…。
 7位の「のりのつくだ煮」に関しても、市販品のビンの蓋が開けられない始末…。
 ずっと飛ばして、11位の「さけフレーク」も上記と同様の利用で蓋が開けられない…。

 そうだとしても、早朝に未だ睡眠中の家族を起こすとの迷惑など掛けたくはない。 何とか白いご飯のお菜となる食材はないものかと台所内を探索し、私はそれを冷蔵庫内に発見したのだ!

 それは “マヨネーズ” だった!

 現在市販されているマヨネーズとは蓋が二段構造になっていて、上の蓋をプチッと片手で開けると少量のマヨネースが出る仕組みとなっている。 これを骨折した右腕で持ち上げ、前日の晩娘が焚いて冷蔵庫で保存してくれている御茶碗一杯のご飯をレンジでチンして、マヨネーズをかけて食する決断をした。
 何だか泣く泣く苦し紛れの決断だったとはいえ、この判断で骨折直後の我が朝食が叶った事実こそを、「マヨネーズ様様」と感謝申し上げたい思いだった。

 もう一例を挙げると、醤油も痛い右手で何とか白いご飯の上に垂らすことが叶ったため、それも利用した。

 片や御茶碗が鎖骨骨折左手で持ち上がらないため、台所の調理台に置いた状態。 右手もお箸やスプーンを持つのがやっとこさ状態で口の位置まで手首でねじる動作が不能なため、「マヨネーズ飯犬食い」状態がその後2週間ほど続いた。

 その間、我が家族に「できたら常備菜の蓋を軽く閉めて欲しい」との要求は提示した。

 ところが、自分自身が“不自由な身”になってみないとその辛さが理解できないのであろう事態に直ぐに直面させられる…
 次の日起きてみても、やはり常備菜の蓋は固く閉めらているではないか!
 「私が昨日言ったことを覚えいる?」 と日々尋ねてみれば、若き娘からは「覚えているよ!」との返答が来るものの、亭主からはくる日も来る日も「あっ、忘れていた…。ごめん。」との返答に、体が健全な人には身体的弱者の苦悩など一生理解し得ないものと改めて悟る始末だ…

 そして白いご飯をレンジでチンしたものにマヨネーズと醤油をかける私の「犬食い」朝飯は、その後もしばらく続くはめとなった…。


 お陰様で私の骨折後の予後は比較的良好で、現在では右手首関節に多少の後遺症を残すのみとなっている。
 昨日整形外科医を受診したところ、右手首の後遺症も(私のリハビリ努力によれば)日々快方に向かうであろうとの担当医の診察結果だ。

 それにしても日本人にとっての朝食に於いて、白いご飯にお菜をのせる事は欠かせない習慣であろう。

 ある日そのお菜の蓋が開けられない日が訪れる事態とは、大袈裟に表現するならば、安倍政権による「集団的自衛権」が与党内で身勝手に合意され発令されようとしている事と同等の危機感が漂う程の恐怖心を国民に及ぼす惨劇ではあるまいか!?
 今現在国民からの支持率を大幅に下げようとしている安倍政権も、今一度頭を柔らかくして、国民から放出している「集団的自衛権」行使絶対反対意見に耳を傾けられないものなのか!?
 国民からの反対世論に配慮して、安倍政権は少しは「蓋をゆるめられない」のだろうか。  悲しいかな、それが不能な事態にまで与党政権は「蓋を固く閉めた」まま、現在がんじがらめ状態なのか…?

 私自身にとって両腕骨折とは突然の予期せぬ事故であった。
 そんな不自由な現状を経験してみて、理不尽な要求を国家政権より突然課される事実こそが如何に辛いのかを、我が身にして人生世観が揺らぐ程に学ぶ思いだ。

 そんな我が思いを、今回のエッセイで少しだけ公開した。

高齢者“らしさ”って、一体何?

2014年07月06日 | 自己実現
 昨日(7月5日)の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、原左都子に言わせて頂くと、一見“理想的な”老後生活を送られている一婦人の「恋愛」に関するご様子が紙面で公開された内容だった。


 それでは、早速「この年で恥ずかしながら」と題する70代女性よりの相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 70歳に足を踏み入れた女性だが、5年前に夫に先立たれ一人暮らし。 2人の息子も家庭を持ち、孫もいる。 貞淑な妻として近所付き合いも円満、友達にも恵まれている。 半年ぐらい前に趣味の会で会った同じく一人暮らしの同年代の男性と茶飲み友達期間を経た後、現在は帰りにホテルに誘われる仲に至っている。 お恥ずかしい話だが最高の満足感にまでは至らずとも、とても幸せな気持ちで相性もいい。
 もちろん、この男性との関係は誰にも話せないし、いつか誰かにバレてしまいそうな不安もある。 何よりも、この年齢でこんな事を続けておかしいんじゃないかとの後ろめたさもある。 相手からはプレゼントも届くし、一泊旅行に連れて行って下さる事もある。 このままではお断りする事ができなくなるようで日夜心配だが、これでいいのか。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容より一部を要約引用したもの。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 ははあ、この70歳になったばかりのご婦人は、現在何処かの殿方に愛され体を求められている“幸福感”を、何れかの手段によって何処かへ公開したかったものと推測する。
 ところが、まさか周囲のご近所や友人に公開するのは気が引ける。 まさかまさか、息子や孫達にもこんな話を持ち掛けられる訳もない。  そうだ! 新聞投稿でもして我が幸せ感を公開しよう。 それにはこれを「悩み」に位置付けるのが手っ取り早い。 そのためには高齢者であるとの我が身を利用して「自責の念」を持ち出すといいだろう。
 (以上は、原左都子が70代投書女性の裏心理を推測した内容に過ぎないが。)


 今回の“悩みのるつぼ”相談者であられる 経済学者 金子勝氏はとても優しい人物のようだ。
 以下に、金子氏による回答内容の一部を紹介しよう。
 相談女性は「この年齢で」と言いますが、70歳を超えてから恋愛をするのは恥ずかしいことでしょうか。 今は平均寿命が短かった時代とは違います。 高齢者が「老人らしく」生きて行かねばならなかった時代は既に終わっています。  「失楽園」で有名な作家渡辺淳一氏は以下のように述べている。「若くなりたければまず恋愛をすること。 これこそが他の如何なる若返りより薬よりも有効だ。」
 金子氏私論の結論とは、「好きな人が出来て心ときめき、貴方の生きるエネルギーに火が付いたのです。 幸いお子さん達にも迷惑をかける事のないあなたは、何はばかることなく、現在の恋愛関係を楽しまれては如何でしょうか。
 (以上、“悩みのるつぼ”回答より一部を引用。)


 再度、原左都子の私論に入ろう。

 どうやら私は作家の渡辺淳一氏や経済学者の金子勝氏よりも、現在の庶民高齢者の「恋愛」に関してずっと詳しいようだ。

 以下に我が身近な人物の実体験に基づき、上記“悩みのるつぼ”70歳恋愛中女性のその後の事態に関して、原左都子から“悩みのるつぼ”へ再び相談を持ち掛ける内容を想定して記述しよう。

 私ども、70歳の年齢でとある男性と恋愛をした女性です。 恋愛当初は相手方男性と上手くいっていたのですが、合う回数が重なるにつれ双方の関係がギクシャクし始めると同時に違和感を抱いております。 当初相手は我々のセックスに関して最高の満足に至らなくていいと言っていたにもかかわらず、やはり年老いた女の私に対し不満感を訴え始めました。 しかも、相手はどうしても私と同居して自分の世話をして欲しいとも言い始める始末です。 そんなことが私に実行できるすべもありません。 私の方は、立派に育った息子達や孫たちとまみえながら余生を送りたい思いです。
 私にとって現在に至っては恋愛相手が大きなお荷物状態なのですが、今後如何なる方策を採ればいいのでしょうか??
 (以上、原左都子の推測に頼ってその後の女性よりの悩みの相談を提案したもの。) 

 “老いらくの恋”の顛末とは所詮こんなものだろう。
 高齢者達の恋愛とは、高齢であるが故の数多くの“しがらみ”を抱えて成り立っていると私は推測する。
 恋愛初期段階で上手くいっている時期は「花」だろうが、若き世代間の恋愛同様、その段階が進むにつれお互いに越えねばならないハードルが待ち構えているのが実情ではなかろうか。
 それでも、若き世代間ではいくらでも恋愛のやり直しがきくであろう。 ところが、これが一旦高齢者同士の恋愛ともなれば、そのハードルの大きさを慮った場合「やり直し」との言葉が死語として私の心に響くのだ…。

 それでも尚、高齢域に達して「この人と添い遂げたい!」なる感情を相手に対して抱けたならば、短い期間でも相手と会いまみえそれを堪能すれば済む話だ。

 ただ私論としては、高齢者とは“体関係”ではなく“高齢者なりの恋愛形態”を楽しめる方が関係が長続きするのではないか、なる若輩者にしての今後の展望を抱いているのだが…


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私など今尚若気の至り範疇人物であり、「ヤングジェネレーション」に位置していると自分自身では判断している。
 それでも、家族という“しがらみ”を抱えている自分の立場を十分に客観視出来てもいる。
 そんな現状ではあるが冒頭の朝日新聞相談者のように、突然見知らぬ相手と恋愛関係に陥る場面も何となく想像可能でもある。
 ただ私の場合は未だ家族と言う“しがらみ”がある故に、とりあえずその“しがらみ”を優先して生きる事が得策である事など計算済みだ。


 それでも高齢域に近づきつつある私は、「高齢者らしさ、って何?」と時々問いたく思う事がある。

 いろんな高齢者が存在していいだろう。
 ただ、自分の生き様には出来得る限り自分自身で生涯責任を持つことを信条にしたいものだ。
 その覚悟が出来ていて初めて、何歳に至ろうが恋愛にうつつを抜かす事が許されるのではあるまいか。

下村大臣が発した「女性議員は議場の花」発言もセクハラだよ。

2014年07月04日 | 時事論評
  東京都議会の本会議で6月18日、みんなの党会派の塩村文夏議員(35歳らしい)が、女性の妊娠・出産を巡る都の支援体制について一般質問をしていた際に、男性の声で「早く結婚しろよ」「子供もいないのに」などのヤジが飛んだ。 同会派は、議員席からだったとして「公の場でセクハラ発言を受けた」と反発。 発言議員を特定し、注意するよう議会運営委員会に申し入れた。
 (以上、ネット情報より引用。)

 上記事件が発覚して以来、日本国内のみならずこの事件が世界中に波及した模様だ。

 以下に、上記事件の顛末に関してネットから得た情報を紹介しよう。
 東京都議会で塩村文夏(あやか)都議(35)が「早く結婚した方がいい」とヤジを浴びた問題で、朝日新聞とテレビ朝日が当時の音声を分析し、複数議員が立て続けにヤジを飛ばしていたことを報じた。
 18日の都議会では、晩婚化対策を質問した塩村都議に鈴木章浩都議(自民会派を離脱)が「早く結婚した方がいい」とヤジを飛ばした。塩村都議が苦笑した後、「自分が産んでから」「がんばれよ」とヤジが続いて聞かれた。
 (引き続きネット情報より引用。)


 この問題が原左都子の私論と行き違うかのように、現在未だ各方面で議論が交錯している事実に違和感を抱く私だ。

 私自身が、決して女性蔑視の立場である訳もない。 そして、私本人がこの世に女性として生を受けている事実にも感謝している。

 ところが、何故私がこの「事件」に関して違和感を抱かされるのかに関して説明しよう。

 上記都議会“みんなの党”塩村氏は“一応”都議の身分を選挙で得てその議会に登板しているとの解釈でいいだろう。 
 その議会の場で「女性の妊娠・出産」を巡る支援体制を塩村氏は熱弁していたらしい。 その途中で如何なるヤジが飛ぼうとて、ご本人の主義主張を議会で述べる事を優先するべきだったと私は判断するのだ。
 そんな場で「おまえこそ、結婚して子供を産め!」なる暴力的なヤジが飛んだとて、「うるさいよ、お前ら! とにかく私の議論を聞いて下さい!」と返して済んだ事態ではなかろうか??
 その場で何故塩村氏は泣き崩れるの??  そんな塩村氏の軟弱対応こそが同じ女性である私には受入れ難いのだが…

 この問題が世界規模でバッシングされ始めた後、ヤジを飛ばした都議会自民党議員が処罰される事態と相成った。


 原左都子の私論に入ろう。

 一般社会に於けるセクハラと、国家や自治体議員間で投げかけられたセクハラとは、分けて考察されるべきではあるまいか。

 一旦、市民から選挙で選出されるに至った女性議員達から、今更議会内でセクハラに遭ったと訴えられても、私はその女性議員のキャパを疑うばかりだ。
 「えっ。そんな事が辛くて何で議員に立候補したの?」 「えっ。そんな馬鹿げたヤジなど一蹴出来る実力があるからこそ、貴方は庶民女性の味方代表として議員に成ろうと志したのじゃなかったの??」

 地方議員として立候補した立場で、何で今更男性低能周辺議員にろくでもないヤジを飛ばされた事態を泣いて済ませようとしてるんだ!!
 誰が東京都議会議員としてあなたを選出したと思ってるの??  私は貴方の事は露知らないが、貴方の都議会議員としての任務こそ貫徹しなさいよ!

 原左都子としては、そう言い放ちたい思いだ!


 ところがこの問題は、未だ世界規模で“発展”を続けているようだ。
 
 本日昼間のNHKニュースにて、下村大臣が発した「失言」を私は聞き逃していない。
 その失言を以下に紹介しよう。
 「女性議員とは議会に於いては『議場の花』である。 そんな「花」である女性議員に対するセクハラ発言は慎むべきだ。」

 この下村氏の発言こそが、「セクハラ」発言と私は結論付ける。
 女性議員は「議場の花」?? へえ~~。 自民党閣僚の中では若手と認識していた下村氏とて、女性議員に「女性」であることを期待していた事実がこの発言で実証されたとも言えよう。

 女性に「花」であることを期待して許されるのは、私的場面に限られるのではなかろうか。
 私自身の感覚や周囲との付き合い実態に於いても、女である我が身に「花」を期待されるのは個人的付き合いに限定されると表現可能だ。 
 
 まさかまさか国会や地方議会内で男性議員が、女性議員に「女」であることを期待していないと信じたい。
 女性議員どもも議場で「女」であることを期待される以前の問題として、もっと議員としてしっかりとしたポリシーを持てよ! と再度言いたい思いだが…

 が、もしかしたらその様な場面で尚、悲しいかな男性議員が女性議員に「女」であって欲しい事を期待したが故の今回の“都議会との狭い世界内”でのヤジ不祥事と結論付ける私だ。

小保方氏って、未だ理研から給与貰ってたの??

2014年07月02日 | 時事論評
 そうだとすると、許し難き話だ。

 数々の捏造に満ち溢れた「STAPネイチャー論文」のすべてが取り下げとなり、早期に理研から「懲戒免職」の辞令が下りると思っていたのに、理研側より何らの発表もない状態が続いている。

 小保方氏に関して言うならば、あれだけの捏造・改ざんの数々をご自身の論文内で世に提示しておきながら、今更「科学者として未熟でした…」などとうそぶいていられる訳もないだろうに……。  関係各方面から論文捏造の責任を問われている真っ只中、小保方氏は民事のみならず「刑事責任」を問われても不思議ではない事態に陥っていると私は解釈している。
 にもかかわらず、もしも理研が国民の血税から小保方氏に未だ給与を支払い続けているとすれば、これは国民側としては到底許し難い忌々しき事態だ。


 と言うのも、本日(7月2日)小保方氏が神戸市にある理研発生・再生科学総合研究センターに“出勤”したとのニュースである。
 以下にそのニュースに関して、ネット情報より引用して紹介しよう。
 STAP細胞論文問題で理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーが2日、STAP細胞が存在するかどうかの検証実験に参加するため、理研発生・再生科学総合研究センターに出勤した。
 小保方氏が報道陣の前に姿を見せたのは4月9日の記者会見以来、約3カ月ぶり。小保方氏の参加で、検証実験が本格化する。 理研は7月1日~11月30日までの5カ月間、実験をビデオで記録するなど透明性を確保した上で、小保方氏が検証実験に参加すると6月30日に明らかにしていた。 初日の7月1日は「健康状態が良くない」として出勤を見送っていた。
 (以上、ネット情報より引用。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 何故、理研側が本日小保方氏を理研に招き検証実験に参加させたのかの理由など、私にはお見通しである。
 理研側はSTAP論文疑惑が発覚した当初より、「小保方氏本人は検証には同席させない!」意向を貫く意思を発表し続けていた。  ところが、どうしたことか“科学ド素人”自民党政権文科省下村大臣が「理研は小保方氏も検証に参加させるべき」などとホザき始めたのだ。 
 要するに安倍政権下の大目玉 成長戦略の最大武器「アベノミクス(アホノミクスとの異名もあるが)」の一環として国内では名立たる(?)研究所である「理研」を特別扱いして巨額の血税をブチ込む政策を公表していた。 これをどうしても実行に移したい安倍総理の意志に従い、下村大臣が素人考えでホザいた発言が「小保方氏も検証に参加させるべき」である。

 国民の税金で成り立っている「理研」側とて、政権からのこんな美味しい話に好意的に反応しない訳もない。
 たかが貧弱存在である一研究者小保方一人の扱いなどどうでもいいが、独立行政法人「理研」の立場としては、今後政権が巨額の税金を投入してくれると言うなら、それに従った方が得策に決まっているのだ。
 そして「理研」は今後も更なる政府よりの巨額税金投入をあてにして、小保方氏をSTAP細胞検証のため理研に“出勤”させるに至ったのだ。


 遡るが、上記STAP不祥事に関して朝日新聞6月20日記事に、理研再生研センター長によるインタビューが公開されていたためそれを以下に要約して紹介しよう。
 
 その理研センター長が発したという題名からして特異的である。 「STAP有無 結論まだ早い」
 まずは、この題名に関する原左都子の私論を述べる。
 上記理研センター長とは、小保方氏が所属している神戸理研の長であるようだ。 その立場からはもっともな見解であろう。 まさか自ら率いてきた研究所が解体されてはとんでもない。少なくとも「再生」の機会を与えてくれたら… との一抹の希望感覚は理解できる。

 別問題として「STAP有無 結論まだ早い」に関する私論も述べよう。 
 これに関する私論としては、STAP細胞が実際存在する事は確率的には0とは言わないが、“至って低い”と結論付けたい。 その理由としては、小保方氏がネイチャー論文に於いて数々の捏造を披露している事態に加え、小保方研究室内で既にES細胞容器が発見されている故だ。 これに関する小保方氏の弁明力が弱過ぎる。
 そのような弱き立場に於いて、もしも今だに小保方氏を筆頭として神戸理研周囲研究者達がSTAP細胞実存を信じるならば、今後は血税投入ではなく是非とも「自費」にてその探求研究を実施して欲しいものと、一国民として結論付けたいのだ。


 元医学関係者である原左都子自身が一時ではあるが「理研」に身を置いていた時期がある故に、“あの研究所体質レベルの(低さの)程”を少し把握できる部分がある。

 その感覚で物申すならば、実態のない世界的「トピックス」等風評に依存して名を売ろうとする“似非科学者”に国家政権が依存する事など、ご法度である事態は私が言うまでもない。
 とにもかくにも国家には今後将来のお国の発展のため、自らの実力一本で未来の科学を支えていける真の実力ある科学者の育成を望みたいものだ!