原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「ハッチポッチステーション」、私もはまっていました♪

2015年07月06日 | 音楽
 「原左都子エッセイ集」に於いて、2年5か月ぶりの“音楽カテゴリー”エッセイを綴ろう。
 しかも、その内容は十分に“異色”だ。


 表題に掲げた「ハッチポッチステーション」とは、かつてNHK教育テレビにて平日夕刻に放送されていた子供向け番組である。
 あれから20年程の年月が流れ、私自身がもう既に忘れ去っていた当該番組だが、これを我が脳裏にフラッシュバックするきっかけをもらったのは、本日(7月6日)午後の時間帯に放送された「スタジオパークからこんにちは」のゲストが、グッチ裕三氏であったからに他ならない。
 グッチ裕三氏こそが、番組の総合司会者として活躍されていたのだ。


 それでは「ハッチポッチステーション」をご存知ない方々のために、番組に関するウィキペディア情報の一部を以下に紹介しよう。
 『ハッチポッチステーション』(英称:HOTCH POTCH STATION)は、1995年から2005年にかけてNHK衛星第2テレビ (BS2) とNHK教育テレビで放送された子供番組である。
 パペットと人間の掛け合いで展開される一種の人形劇で、めったに列車が来ない架空の駅「ハッチポッチステーション」で起きる日常生活のドタバタを描くコント風の番組である。 
 1996年4月1日から教育テレビでの放送が開始された。このときの主たる出演者がグッチ裕三氏であり、グッチ氏の芸風を交えた音楽バラエティ的な要素が強まった。 番組の合間合間に繰り出されるギャグやパロディの中には、子供に理解できるとは考えにくい明らかに親世代向けのものも時折混じっていたが、これによって子供と一緒に番組を見ている親たちにも好評を博し、教育テレビを代表する人気番組となった。 NHKの海外向け放送を通じて世界50か国で放送された。 2003年、第11回スポニチ文化芸術大賞優秀賞受賞作品。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用。)


 ここから私事に入ろう。
 1993年に娘を出産した私だが、娘幼少の頃にはNHK教育テレビにて放映される子供向け番組を、育児補助の目的で朝夕の時間帯に大いに活用していた。
 その中で一番インパクトがあったのが、もしかしたらグッチ裕三氏司会による「ハッチポッチステーション」だったと言って過言でない。 おそらく1996年4月以降の放送版を熱心に見た記憶がある。
 上記ウィキペディア情報内にも記載されている通り、この番組とは明らかに“親受け”を狙ったのだろう。 そうだとしてその視点こそが大成功だったのではなかろうかと、私も高評価申し上げる。 
 子どもとは親の背中を見て育つものだ。 当時の我が幼き娘もこの番組を私の隣で見つつ、傍らにてノリノリで一緒に歌い踊る私と一緒に本人自身も一番面白がっていた記憶がある。

 その「ハッチポッチステーション」の中でも、私が一番ノリノリに見たのが、番組最後の時間帯に放映された(後に言う)「ハッチポッチMTV」なる音楽コーナーである。

 これに関してもウィキペディア情報を発見したため、以下に一部を紹介しよう。
 毎回1曲音楽クリップを流すという構成である。  その大半が日本の童謡と内外の大物アーティストの楽曲を組み合わせたもので、左に書いているのが童謡のタイトル、右に書いているのが元ネタの楽曲のタイトル、曲名の上に書いているのがアーティストのパロディ名である。
 (原左都子の記憶に残っているバージョンを中心に以下に羅列しよう。)

どんぐりころころ : プラウド・メアリー
村祭り : プラウド・メアリー
手をたたきましょう : 旅立てジャック
おもちゃのチャチャチャ : ジャンピン・ジャック・フラッシュ
うさぎとかめ : ホンキー・トンク・ウィメン
一週間 : スモーク・オン・ザ・ウォーター
アルプス一万尺 : ハイウェイ・スター
かたつむり : 恋の終列車
おなかのへるうた : デトロイト・ロック・シティ
おはなしゆびさん : デトロイト・ロック・シティ
母さんのうた : 宇宙のファンタジー
あのこはだレイラ(※「あの子はだあれ」と「いとしのレイラ」との組み合わせ)
いぬのおまわりさん : ボヘミアン・ラプソディ
やぎさんゆうびん : 今夜はビート・イット
ふしぎなポケット : サタデイナイト
クラリネットをこわしちゃった : ステイン・アライヴ
ごんべさんの赤ちゃん : アイム・セクシー
おおブレネリ : クロコダイル・ロック
おはなしゆびさん : ダンシング・クイーン
あのこはたあれ : ラヴ・ミー・トゥナイト
ふしぎなポケット : コパカバーナ
山口さんちのツトム君 : ホワッツ・ゴーイン・オン
山寺の和尚さん : 恋のナイト・フィーヴァー
雀の学校 : シェリーに口づけ
かもめの水兵さん : ロコ・モーション


 上記列挙の中で、本日(7月6日)「スタジオパーク…」内で再放映されたのが、クイーンによる「ボヘミアン・ラブソティ」をグッチ裕三氏が童謡「犬のおまわりさん」とドッキングした作品である。
 これを20年近く前に視聴した記憶が、我が脳裏にも確かに存在した。

 本日再視聴して、その“レベルの高さ”こそが実に感激ひとしおである。
 何分、「パロディ」の世界だ。  そうであるにもかかわらず、原曲を尊重しつつ子供も大人も喜ぶ一映像完成型に繋げるのはスタッフ・出演者共々大変な作業だった事であろう。 しかもパペット人形も存在する中司会者であるグッチ氏と共存した形で子供をも喜ばせねばならないとの使命…
 (余談だが、医療界に於いて「小児科」こそが一番厳しい現実と、放送界に於いて「子供番組」の厳しさが、元医学関係者である我が脳裏に同列で浮かんでしまう気もする…)

 参考ではあるが、「ハッチポッチステーションMTV]内での原左都子の一番のお気に入りは、ディープ・パープルによる「スモークオンザウォーター」を、グッチ裕三氏が童謡「一週間」とコラボアレンジした作品だった。
 歌詞の最後「a fire in the sky」を、(我が空耳によれば)グッチ氏が「それでいいんですかい?」(ネット情報によると「休んでいいんですかい?」との説もあるようだが。)と日本語でパロディ化していたのが20年経過した今も印象的だ。

 これぞ「秀逸な番組」である。
 子供番組と言えども、家庭内大人と子供が共に楽しめてこそ子供の脳内活性化が成就するというものだ。

 最後にNHKさんにお願いがあるが、グッチ裕三氏による「ハッチポッチステーションMTV」の特集再放送番組を今の時代に組んでもらえないだろうか?
 おそらく当時より私も含めて子供の親だった世代の大人のファンが多いと推測するため、夜の時間帯の再放送など如何だろう。

老いては自らが心身共健全であり続けたい

2015年07月03日 | 人間関係
 我が実母ほど、自分が産んだ子の心配をしない人間はこの世に存在しないのではなかろうか??
 と、郷里に帰省する都度痛感させられ、今後の母の介護に向け重い課題を突き付けられる気がする。


 いえいえ正確に言えば、母は長女である姉(現在米国在住)の心配は常にしている。
 これは昔からだ。  生来的要因か?性格に大いなる偏りがある姉に関しては、幼少の頃より現在に至るまで十分に手がかかった(かかっている)ようだ。 それ故母の視線は常に姉にある。

 そんな母が昔幼き私に向かってよく言い放った言葉がある。 「○子(私の事)は放っておいても育つから助かる。」

 その言葉通り、幼少の頃よりほとんど親の手がかからず放置されて育った私が、今に至っては母老後の格好の介護人ターゲットとなっている。
 母は身勝手にも、姉には一切の老後の介護を期待していない。 何故ならば、姉はその生来的性格の歪み故に特に介護対象者等弱者補助等の分野では“一切使い物にならない人材”故である。(要するに自分の事にしか関心がない我が身息災人間である。) それに関する“同意”感覚は母と私間にある。

 ただ母は、姉に老後を依存しない理由を表向き「長女は米国在住故に滅多には帰国出来ない」と近隣や親戚筋に吹聴しているのだ。
 これが私には許し難い。 私としては、正直に「長女は使い物にならないから次女に頼っている」と宣言して欲しいものだ。  
 実際問題、地球規模で世界が国際化を遂げている現在、東京から我が過疎地郷里へ行くのも、米国西海岸都市から行くのも、時間的・感覚的に母が言う程に大差はない時代だ。  にもかかわらず、一応の母のプライド及び長女を慮る心情で、長女の弁護に当たっている始末だ。  しかも周囲の過疎地郷里の人々がそれを鵜呑みにしている様子であるのも、私にとっては不可思議なのだが…
 まあそれにしても、姉である長女自身が「日本の地を踏むつもりは金輪際無い!」と母相手に高らかに宣言し、それを母が認めている(と言うよりも実際母は「あんな奴が帰国したら鬱陶しい」と考えている。)のだから、自ずと次女の私が母の介護を担当するはめとなるのだが…

 それにしても実母の次女である私に対する現在に至って尚の傍若無人ぶりは、おそらく読者の皆様の想像範囲を超えている。
 おそらく、母としては家族内で一番“扱い易い”存在の私に精一杯甘えたいのであろう。(と言うのも、突然死にて60代でこの世を去った父にも妻として手こずった故だ。 我が考察に於いても父と姉のDNAがマイナス面でピタリと一致している。) その両人に耐え抜く人生を歩んだ後、自分にとって一番扱い易い次女の私が(東京在住と言えども)比較的手元に残ってくれ、母としてはこれぞラッキーなのだろう。


 そんな実母が抱える心情を理解しつつも、高齢化と共に更に老いゆく母の我儘ぶりを帰省の都度実感させられる。

 何とももの悲しいのは、次女である私が地元大学卒業時点で“親と郷里を捨てて上京した事実”を高齢化した母が“自分に都合よく”解釈・認識している事実だ。
 今回帰省時にもその話題が出た。
 私としては、母も含め総合判断での実家が抱えている瑕疵・困難を振り切るために上京したにもかかわらず、年老いた母としては自分だけは善人と評価されたい意向の様子だ。 (この感覚が高齢化と共に増強していくのが子供にとっては実に厄介で対応困難なのだが。)
 そうじゃないだろ! 母親の貴方こそが娘である当時の私の心情を真っ先に察することが出来たならば、もしかしたら私は上京を中止したかもしれない事を伝えても、既に聞く耳を持たず虚しいばかりだ…。


 今回の郷里帰省の第一目的とは、実母に対する「有料介護付きケアマンション」への入居を勧めることにあった。
 とにかく郷里にて我儘・愚痴言いたい放題の実母である。
 その現状に関しては、親戚筋からも苦情を含め情報を得ている。
 周囲の皆さんが寛大に対応して下さる事を利用して、どういう訳か我が母は「自分(及び娘達)こそがこの世で一番優秀だ!」と恥知らずに吹聴している始末だ。
 狭い世間の過疎地にてそんな醜態をあからさまに晒したならば、当然寂しい人生を送るはめとなろう事など私にはずっと以前よりお見通しだ。

 が、母はそれを認めない。「周囲こそが馬鹿だ!」と私に訴える程に醜くも老化の一途を辿ってしまっている…。

 ケアマンション入居に関しては、次女である私が暮らす東京都内の施設入居を望む母だが、一体全体、これ程までに老化が進んでしまい周囲に醜態を晒す事しか知らない実母を、快く受け入れてくれる施設が東京都内にあるのかどうか??

 そんな実母を反面教師として、郷里へ帰省する都度、こんな風には年老いたくない、自らの努力・精進で心身共に健全であり続けたいと我が老い先を展望する私だ。

一瞬にして崩壊した新幹線安全・確実・快適神話

2015年07月02日 | 時事論評
 去る6月30日に発生した 新幹線内焼身自殺事件 報道に触れた瞬間、“これ、実に参った…”なる衝撃的感覚を抱かされたものだ。

 と言うのも、つい先だっての「原左都子エッセイ集」4本前のバックナンバー 「列車を乗り継ぐ旅に出ます」 内で、新幹線を含めた列車旅の確実性・快適性に於ける(航空便に比しての)優位性に関し綴り、鉄道旅を褒め称えだばかりだからだ。

 しかも、6月23日(火)に新幹線のぞみ号にて旅に出た私だが、おそらく今回焼身自殺火災事故が発生したのぞみ225号とは、私が利用した博多行の1本前に東京駅を発車した車両であろうと推測する。
 もし旅程が一週間ずれていたならば(出発は火曜日と決定していた上に、娘の就活の都合次第では6月30日出発の可能性も十分あった。)、必ずや火災事故に巻き込まれ、おそらく新横浜辺りで足止めをくらっていた事だろう。

 そんな理由の下に、まったく他人事ではない感覚で6月30日の新幹線火災事故の実況中継をテレビニュース報道にて見守った。


 既に皆さん、当該事件の事は十分ご承知であろうが、ここで今一度新幹線内火災事件に関して各種情報を引用しつつ振り返ってみよう。
 東海道新幹線の車内で男が焼身自殺をして乗客ら30名程が死傷した事件で、国土交通省は1964年に東海道新幹線が開業して以来初の「列車火災事故」と認定した。 警察は7月1日、火をつけた男の自宅を殺人と放火の疑いで家宅捜索する方針。
 事件があったのは6月30日午前11時半頃。 神奈川県小田原市内を走行中の東海道新幹線「のぞみ225号」の車内で、男が油をかぶり焼身自殺をして火災が起きた。 容疑者は71歳職業不詳の男性。 
 同じ新幹線に乗り合わせ巻き添えになって亡くなった横浜市の女性は、容疑者とは無関係とみられる。
 小田原市消防本部によると、ほかに1歳から65歳の乗客乗員26人が負傷、中には重傷者もいる模様。

 更に、本日(7月2日)付ネット上情報より引用すると…
 東海道新幹線の放火事件で焼身自殺した容疑者(71)が車内に持ち込み火を付けた液体はガソリンだったとの検査結果が出ていたことが2日、消防関係者への取材で分かった。 神奈川県警は密閉された車内で引火性の強い液体に着火した行為には、乗客が巻き添えで死んでも構わないという「未必の殺意」があったとみている。
 容疑者男性は始発の東京駅から、ポリタンクをリュックに隠して乗車。 県警は2日、ポケットに入っていた乗車券は通過駅の掛川(静岡)行きだったことを明らかにした。


 ここから、原左都子の私事及び私論に入ろう。

 6月30日昼頃、ちょうどNHKテレビの画面を付け、天気予報と昼のニュースを確認しようとしていた時に、その前のバラエティ番組内でニュース報道が入った。
 その速報及び実況映像によると、どうやら新幹線のぞみ号内で火災が発生しているとの事だ。 確かに映像内では白い煙が新幹線から出ている様子が確認出来るのだが、当時の私見としては「恐らく老朽化している新幹線のぞみ号内の電気系統か何かが故障し、少しばかり発火したのだろう」との印象を受けた。
 その後直ぐのNHK昼のニュースでも、新幹線火災事故に関する扱いは手薄だった。 おそらく私見同様、単に新幹線内でのちょっとした設備トラブルとして処理したのだろう。

 ところが、その直後にニュース内容が一変するではないか!
 なんと、新幹線内で男女二人が心肺停止状態との事だ。 しかも男性の方は油を被り自身で火を付け、女性の方は後部トイレにて大音量が響いた後心肺停止との報道だ。

 そのNHKニュース報道を見聞した私は咄嗟に、国内幹線動脈である新幹線を利用しての「自爆テロ」 を勘ぐった。
 (ここからは単なる推測私論に過ぎなかった事を先に明記しておくが)
 2020年東京五輪が近づきつつある現在、開会式に使用する新国立競技場建設を巡り、国家(文科相)が墓穴を掘りまくっている現状だ。  900億円もの追加予算を計上せねばならない醜態。 しかもその一部を東京都に依存する体たらくぶり。 この責任のすべてが安倍政権にあるはずだ。 にもかかわらず、下村大臣は“建設費が高騰した”とマスメディアにて嘘ぶく始末…。 その元凶はアベノミクス経済政策の失敗だろうが!!と声高々に叫んだとて届かない現在の自民党政権の“血迷いぶり”には、この私とてテロでも起こしたい思いだ。
 しかもしかも、更には安保関連憲法に関する国会強行採決…  こんな自民党政権の暴走を許しておいたなら、我が国も現在のギリシャのごとく、2020東京五輪後には財政破綻に陥り、若者達が暴動を起こすに決まっている!


 ただ今回の新幹線事件に話を戻すと、犯人の意図はそうではなかったようだ。
 そうは言えども、新幹線内焼身自殺犯人が抱えていた事情とは、年金受給年代にして貧困に耐える日々だったとの事だ。 
 それは我が身も同様だ。 現役時代に精一杯精進・努力した身にして、何故これから先にこれしきの微々たる年金しか受給されないのかと、私とて怒りに満ち満ちている!

 ならば、違うテロ対策があったはずだ。 
 「テロ」との言葉は度が過ぎるとしても、年齢を重ねた人間どもが国家に異議申し立てする手段は他にもあろう。 
 それを、今後年配者達で培おうではないか?!

 来る2020年東京五輪後、ギリシャのごとく我が国の若者達に暴動を起こさせるより、現在比較的高額の年金を享受出来ている日本国内高齢者達こそが、お国の政策の行き過ぎに対して異議申し立てするべきだ。

 底辺労働者及び身の程知らずの若者達に「未必の殺意」判決を国家から下させる以前の問題として、この国を真に守るため、年寄り連中達こそが正当な手段で国家に反旗を翻そうではないか。