原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「今日はお洒落してますね!」

2018年10月11日 | 雑記
 私が住む大都会東京に於いても、街中で偶然知り合いと出くわす事がある。

 昨日、久々にその偶然が起きた。
 ただ昨日のシチュエーションの場合、偶然とは言えどもそれが発生するであろう確率は比較的高かったかもしれないが。


 いつもの日課で昨日音楽スタジオへフルート練習に行ったのだが、そのスタジオの前での出来事だ。
 週に一度食材を自宅に届けてくれている某企業の女子職員氏と出くわした。

 「〇さんじゃないですか?! どうしたんですか、ここで何か音楽をやっているのですか?」と声を掛けて下さる。 
 彼女はこの春頃から我が家担当となった女性だが、明るいキャラ、かつ20代前半との若さにもかかわらず会話力に長けていて配達時にも話が弾む人物だ。 とは言えども配達のノルマをこなさねばならない状況下に於いて、普段は長話をする訳にはいかない。

 と言う訳で、彼女に我が趣味の話をするのは昨日が初めてだった。
 「フルートを吹いているんですよ。」と応えると、「いつからやっているんですか?」などと問うて下さるので、「中学生時代にブラスバンドでフルートをやっていて……」 等々と、ついつい我が音楽経歴を語ることと相成った。
 
 そして一通りの我が音楽談義が終わった後、彼女の口から出たのが。

 表題の、「今日はお洒落してますね!」 だったのだ。

 これ、私としては“冷や汗もの”だ。

 と言うのも私の場合、自宅での格好と外出時のファッションスタイルにギャップがあり過ぎる事実を自分でも重々認めている故だ……
 自宅に居る時の我が姿は、食材配達や宅配便担当者等の御用聞き“以外”には絶対絶命お見せ出来ない程にみすぼらしい姿である。
 ところが一旦自宅から一歩でも出る時には、それがたとえ“ゴミ出し”であろうが、全身コーディネートスタイルをバッチリ決めずして外出しない主義を、現在の住居地に引っ越して以降貫いているのだ。


 いえいえ、我が子が小さかった頃はそれが叶わなかった。

 そもそも通信手段が「固定電話」しか無かった頃であったし、都会に於いても人とのかかわりが未だ正常に機能していた時代背景だ。
 例えば近隣に住む幼稚園や学校の知り合い母親達が、普通に我が家のインターホンを“ピンポーン”して突然やって来たりする。
 ある時は、幼稚園長氏までに突然ご訪問頂いた事もある。 何でも、娘卒園後に娘に手渡せなかった何らかの物品を自ら手渡したいとの用件だった。

 そうなると、しょうがない。
 ファッションにうるさいこの私も、自宅姿で対応せねばならない。
 ただ一つ救われたのは、以前の住居も(現在住居同様)オートロックマンションだったため、相手が一階正面玄関から上階に位置する我が家までエレベーターに乗る時間があった事だ。

 何分、40歳時に患った頭部皮膚癌手術除去後の傷跡を抱えている我が身故に、普段はその部位を“ガーゼ貼り”で対応している。 それをカバーするべくオーダーウィッグは今までに12本程作成しているが、自宅訪問者が上階の我が家へ到着するまでに、その一本を被る時間が確保出来たのだ!


 ただ今となっては定期的に我が家を訪れる御用聞き対応時に、そのウィッグを被るのは私側こそが鬱陶しい。 それ故、頭部ガーゼ姿を披露せねばならないはめとなる。

 この我が“ガーゼ頭”に関して、過去に2度程突然の訪問者よりその所以を聞かれた経験がある。
 そのご両人共に、「頭のお怪我でもなさったのですか?」との優しい声掛けだった。
 お一人など、2011年3月に勃発した東日本大震災の直後に我が家を訪問された人物だったが。 我がガーゼ頭を見るなり「震災時の揺れでお怪我をされましたか?」と問うて下さったのだ。

 あんなに嬉しかった事は無い。
 「そうではなくて、過去の手術痕を隠すために頭部をガーゼでカバーしています。」と応えると、「失礼な質問をして申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げられ帰って行かれた。


 今現在、その優しさに触れる事は皆無だ。

 どうして人は他者に接した際、不可思議に感じた事象に関してその原因を問うてみる、との“優しさ”を失ってしまったのだろう……
 頭にガーゼを貼り付けていたら、まず「変だな」と思うのが普通じゃないか? そう感じたならば、それを本人に問うのも常識範疇じゃあるまいか??
 私など、未だかつて“その派”だ。
 自分勝手に「変な奴」と判断されてしまうよりも、「どうしたのですか?」と問われる事実にこそ愛情を感じる世代だ。


 ああーー、それにしても昨日偶然街で会った女性からの 「今日はお洒落をいてますね!」発言も、私にとっては厳しいご意見だった事実には間違いない!

 真の “お洒落人” とは自宅にいようが、いつ何時も身繕いをしている事だろう。
  
 それには、一生あやかれない我が身かも!?!

東大医学部卒優秀息子からバツイチ病気持ち女と駆け落ちすると言われたら…

2018年10月09日 | 恋愛・男女関係
 そもそも私には息子がいなければ、優秀な子どもに恵まれてもいないのだが… 
 (いえいえ、目の中に入れても痛くない最愛の娘はいますよ~。)


 表題の、東大医学部卒優秀な息子氏から「バツイチ・病気持ち女と駆け落ちする」と実際言われてしまった母親は。
 「そんな事をするのならば、母の私は自殺する!」と応えたらしい。
 いや、その母親の気持ちは痛い程分かる気がする。 子を産み育てた母親としての人生に於いて、それ以上の無念・失望は無い事だろう。


 この話は実話である。  昨日、ネット情報より発見した。
 しかも10歳も年上のバツイチ病気持ち女と駆け落ちしたのは、国立がんセンター名誉総長氏である。

 その総長であられる垣添忠生氏が執筆して発刊した「妻を看取る日」と題する著書の紹介文を、以下に引用しよう。
 駆け落ちまでした恋女房と40年、やっとのんびりできると思った定年間近。 リンゴの種ほどの影が妻を襲う。 がんは猛烈な勢いで命を奪っていった。 がんの専門医でありながら最愛の人を救えなかった無力感と喪失感-  著者は酒に溺れ、うつ状態に陥り、ついには自死まで考えるようになる。 その絶望の淵から医師はいかにして立ち直ったのか、心の軌跡を赤裸々に綴った慟哭と再生の体験記。
 (以上、ネット情報より垣添氏発刊の著書の紹介文を引用したもの。)


 次に、垣添氏に関するネット情報の一部を引用しよう。

 「卒業したあと医師免許を取るまでの2年間ほど、今はもうない東京都杉並区の病院でアルバイトをしていました。妻の昭子とはそこで出会ったんです」
 当時の医学生には、医師国家試験受験資格を得る前に実地訓練を積むことが義務づけられていた。 大学病院や総合病院で1年以上、インターンとして安い給料で働くことが欠かせなかったのだ。
 東大医学部出身であれば、東大附属病院でインターン研修をするのが通例だ。 ところが当時は学園紛争の真っただ中。 医学部でも卒業試験や研修のボイコットが相次いでいた。こうした理由で、医学部の仲間5人とともに、先の病院で週1回のアルバイト勤務をしていたのだ。
 「昭子はリウマチという診断をされての入院だったかな。後になってSLE(全身性エリテマトーデス)という難病だとわかったんですけどね。
 私は週1回、病院に来る若手医師のひとりとして、外来の診察を手伝ったり、回診を手伝ったり。 昭子との初めての出会いは回診の時だったかな。 
 (以上、ネット情報よりごく一部を引用したもの。)


 引き続き原左都子の記憶に頼り、垣添氏の物語を(多少デフォルメしながら)続ける事としよう。
 昭子さんはとても聡明かつ気丈な人物で、病気を抱えているにも関わらずいつも明るく垣添氏に接し、二人の会話が大いに弾んだ。 女性経験が希薄(皆無??)の垣添氏がそんな昭子さんに惹かれるのには時間はかからなかった。
 昭子さんはバツイチ、しかも当時既に40代に届きそうな年齢だった。 さらには上記のごとく病気(難病)持ち。 それにもかかわらず垣添氏は自分の伴侶はこの女性しかいない!と確信し、すぐさま昭子さんにプロポーズをした。
 そして両親に自分達の結婚を認めて欲しいと迫ったところ……
 垣添氏の母上から 「そんな事は絶対に許しません。それを実行するならば私は自殺します!」との命がけの大反対を食らうはめとなった。 やむを得ず垣添氏は昭子さんを伴って“駆け落ち”を実行し、一人暮らしの昭子さんの部屋で貧乏暮らしを始めた。


 ここで一旦、私見に入ろう。

 どうやら昭子さんとはもともと良家のご出身のようで、名門女子大学を卒業し英語ペラペラの才女だったらしい。 私の推測に過ぎないが、そんな昭子さんの一度目の結婚当初は幸せだったのではあるまいか?  ただいくら才女と言えども、難病の奥方を抱えるはめと相成ったのではそのご亭主もご家族も不幸に陥れられる結末とも想像出来よう。  これぞ、昭子さんの離婚の第一の理由だったように私は捉えるのだが…  その後、難病を抱える昭子さんの一人暮らしが叶っているのも、昭子さんご実家の援助によるとも想像する。 

 とにもかくにも一家庭を底辺で支えて立つのは、奥方の働き力に終結するであろう。
 この私の場合今のところ難病とは縁がなさそうだが、それでも私が病気をしたものならば一家が成り立たない、なる意気込みは常にある!  それ故にたとえ熱が出ようが両腕骨折しようが、何も無かったごとくに振る舞い家族を支え続ける習慣が身についているのだ。

 更には、難病を抱える昭子さんを何故垣添氏が愛したのかを身勝手に分析させて頂くならば。
 実際、昭子さんは難病にも関わらず魅力的な女性だったのだろう。 
 パートナー間に於いて何が最重要項目かと言うならば。
 それは相互関係を繋ぐ会話に他ならない、と私は今でも考えている。(それ故に不毛な長電話を嫌い続けているのよ!!)  それは置いといても、だからこそ私も晩婚に際し敢えて「見合い結婚」を選択し、「プラトンのイデア論」や「量子力学的実在論」を一生に渡り語り合えそうな相手を厳選した。

 えっ?? イケメン(美人)がいいって?? それって冗談ではなく“三日で飽きる”ものだよ。
 いや、確かにそれに越したことは無いだろうが、必ずや事前に相手との会話の相性を確認するべきだろう。


 特に東大医学部ご出身かつ国立がんセンター名誉総長であられる垣添氏の場合、結婚相手として選択したお相手が昭子さんだった事実とは、これぞ運命的な出会いであり必然的だったのではなかろうか?

 元々バツイチしかも難病を抱えていた昭子さんのその後の人生に於いて愛を捧げ続けられ、しかも昭子さん他界後も一心に昭子さんを愛されている医師・垣添先生の生き様は実に素晴らしい!! 
 

私は「長電話」が嫌いだ!

2018年10月07日 | 人間関係
 私はそもそも、電話自体が嫌いだ。

 電話で話すのは惚れた腫れたの彼氏だけでいいと、昔から本気で思っていた。


 何故、電話が嫌いなのかと言うと。
 あれほど失礼な代物は無い。
 いつ何時もあれが鳴ったら出ねばならない訳でもあるまいに、掛けてくる相手はそれが当然だと信じて疑っていない。 
 そんな訳ねーだろ!? こちらとて優先順位があるんだぞ。 
 特にいつ何時も重要案件を抱えて生きているような私の場合、自分の要件を処理するのが先決問題に決まっているじゃないか。 

 ましてや(惚れた腫れたの彼氏以外からの)長電話など、いつも途中で堪忍袋の緒が切れそうになったものだ。 (過去形表現を用いたのは、今の時代電話にメールがとって替わり、特に私の場合、今に至ってはただの1本も長電話着信が無い故だ。)

 付け加えると、一昔前には電話の付加サービスとして「キャッチフォン」なるとてつもなく失礼な機能があった。
 電話嫌いな私がまかり間違っても、自分の電話にあんな失礼な機能を付加した経験は無いのだが…
 過去に数回、その“被害”に遭っている。 何でも電話の途中で「キャッチフォンが入ったから、ちょっと待って」とのことだ。 最初の頃は訳が分からずそれに素直に従っていたのだが…   要するに、話し中の電話に割り込んで来た相手を優先して繋ぐとのシステムのようだ。 これって、「アンタは二の次!」と言っていると同然だ。
 ビジネスならばいざしらず。(いや、ビジネスでこれやったら、顧客を失うだろうねえ。) 個人がこのサービスを採用して平然としている事実に辟易とさせられた私は、その後不運にもキャッチフォンに引っかかった場合、「一旦切るから、更に用件がある場合はそちらから再度電話をかけて来て。」と告げてすぐさま電話を切るようにしたものだ。


 話題を、「長電話」に戻そう。

 昨日(2018.10.06)付朝日新聞 “between" のテーマは「長電話をしますか?」だった。

 読者からのその回答とは。
 「はい」が18%、「いいえ」が82% だった。
 
 私見だが、そうだろうねえ。
 今時「長電話」をしたい暇人も激減していることだろうし、そもそもメール等の通信手段の劇的発展により、電話での通話自体が敬遠されている事でもあろう。

 そんな中、現在に於いては希少な「長電話をしたい」人の回答の詳細を以下に紹介するなら。
 「つい話が長くなる」「話したい相手がいる」「しゃべるの好き」……  
 その長話の話題は? に関する回答は、「近況」「健康」「家族」「趣味」「仕事」 と記されている。  

 再び、私見だが。
 これ、電話で長話している人種とは、そのほとんどが高齢者ではなかろうか?? (そもそも朝日新聞ファンとは、私も含め高齢者中心だろうし…… )
 と言うのも、通信手段が劇的に進化した今時、何故自分の「近況、健康状態、家族の事、自分の趣味及び仕事に関する話題」」を敢えて電話で語らねばならないのか!?! 摩訶不思議な感覚を抱かされるのだ。
 私が容認可能なのは、長話をしたい相手として「話したい相手がいる」との記述だ。 これに関しては冒頭で記した通り、私とて同じ思いである故だ。 惚れた腫れたの彼氏に関しては、いつ何時も直接その音声を聞きたい思いなのは重々納得だ。


 更に、朝日新聞による回答者全員による「今よく使う通信ツールは何?」に対する回答者達の回答とは。
 「携帯電話」が圧倒的首位に付けている事実を鑑みても、これはやはり朝日新聞読者が高齢域であることを証明しているべく結果であろう。

 この原左都子ですら、「携帯電話の通話機能」は使った試しが無いと言ってよい程に使用しない。
 そう言えば郷里の実母との連絡に関しては(家族割にて安価な故に登録はしているが)、実母の長電話すら鬱陶しいが故に、普段はCメールにて対応している。 


 確かに、他者に電話を掛けて自分が抱えている苦悩や恨みつらみ、そしてくだらない戯言を言いたい放題ぶちまける事実とは、それを発散した方は心底スッキリして心が開放することであろう。
 ところが長年に渡り後継者を育てる経験等を積んだりして来ると(私がその立場だとは言ってないが)、どうしてもそれを聞く立場に回らねばならない運命下にあるものだ。 その生業を業務として実行する分には、必ずや御礼やら報酬やらがついてくる。 これは確かに美味しい。

 長電話ねえ。
 これを私的場面で掛けて来る相手とは、本来対等に付き合うべく相手であるべきだろう。 にもかかわらず私としては、どうしてこちらばかりが聞き役に回らねばならないのか!!との思いを電話口でブチまけたいのが本音だ! しかもその種の他力本願人種とは、こちらからは何らの共通話題が無く話し相手には成り得ず、今後付き合いたいとの希望も一切抱けないのが現状だ。

 などと言っていると老後を寂しく迎える運命を辿りそうだが、それでも私は電話ましてや長電話は断じて嫌いだ!  (私と惚れた腫れたの関係人物でない限り)出来れば少なくともメール連絡にして、と今現在は嘆願したい。

“ギリシャ彫刻張り”イケメン氏との再会

2018年10月05日 | 医学・医療・介護
 今回のエッセイは、2018.09.08に公開した「この職種にそのイケメン度、必要ありか!?」の続編の形となろうか。


 1ヶ月が経過するのは、実に早いものだ。

 昨日、私は高齢者介護施設に暮らす義母の耳鼻科付き添いを実行した。
 1ヶ月前に(再再度??)購入した補聴器の1ヶ月目点検を受けるためだ。

 当初、義母が「1人でタクシーに乗って行く」と主張していた。 が、どう想像しても、一人で行かせたのでは一体何をして来たかをまったく理解できないまま、またもや「補聴器が壊れたからまた新しいのを作る」と言い始めるのが目に見えていたからだ…。


 昨日義母の迎えのため施設へ到着し、病院受診に先立ち施設ケアマネージャー氏と短めの面談をした。
 いつもの事だが、日々悪化する義母の認知症状と耳の聞こえの悪さ、それに派生する施設内事件に話題が集中したのだが…。
 ケアマネ氏曰く、「今日は〇さん(私の事)が付き添われるのですね。 義母さんが言うには、耳鼻科へはいつも息子さんが付き添ってくれて〇さんは一度も一緒に行ってくれない、との事ですが…」
 ただ、認知症状とは所詮そういうものだ。 苦労して我慢して努力しても報われないのが介護人が抱える宿命だろう。 
 まあ何でもいいや。 とにかく今日は補聴器1ヶ月点検付き添いを果たさねば。 と気持ちを入れ替え、義母をタクシーに乗せ耳鼻科へ向かった。

 とその前に。
 昨日は雨予報だったが昼間は大した雨は降っていなかった。 にもかかわらず、義母は厚手の衣類にレインコート、そして重い傘の重装備…。  その姿を見た私が、「耳鼻科まではタクシーで行くしそもそも雨がさほど降っていないし、レインコートと傘は不要ですよ」とアドバイスした。  それには理由がある。 病院内では診察室、検査室、補聴器室等々の移動に際し、それらの荷物すべてを私が持たねばならない運命にあるからだ。  ところが義母は私のアドバイスが十分に聞き取れないのに加えて元々強情なところもあり、結果としてはその重装備姿で義母はタクシーに乗り込んだ。  
 

 さて耳鼻科に到着してみると、既に病院の外で“ギリシャ彫刻張り”イケメン氏が待機していた。 午後の診療まで未だ少し時間があった故だ。 
 我々を見かけると、「病院内に椅子がありますので、そこに腰かけて午後の診療をお待ち下さい」と至って親切である。
 補聴器担当者のイケメン氏は外部企業からの病院出向の身であり、自分がその椅子に腰かける訳にはいかない現状を私はすぐさま把握した。

 聴力検査の後、イケメン氏による義母の補聴器1ヶ月点検が始まった。
 案の定、義母は開口一番1ヶ月前とほぼ同様の訴えをイケメン氏に向かって繰り返す。「あのね、何だかこの補聴器聞こえが悪いのよ。 特に電話の時には全然聞こえないし、施設の食堂での食事中にも雑音しか聞こえない……」
 この話は私も義母から今まで百回いや千回聞かされ、耳にたこが出来ているのだが…
 さすがに補聴プロのイケメン氏は心得ておられる。 「そうですか。それでは一つ一つ相談に乗りましょう。」と言いつつ、1カ月前と同様の懇切丁寧な補聴器の正しい使い方説明を義母に対して繰り返す。

 その様子にしびれを切らした私から、思い切ってイケメン氏に切り出した。
 「義母は補聴器を使用し始めてからここ数年同じ発言の繰り返しです。 認知症状も加わって、親族としても限界に近いものがあります。 親族として知りたいのは、補聴器の性能に問題が無いと仮定した場合、義母からの訴えに如何に対応すればよいかとの事です。 特に義母から『また補聴器が壊れたから作り直したい』と嘆願された場合に、義母に何と説得すればいいですか?  加えて、先程(イケメン氏からの)特に高齢者が補聴器を使用する場合、家族からの普段の補助が不可欠とのお話でしたが、我々保証人の場合、義母と過去に於いて一度足りとて同居した事が無く、せいぜい年に数回会うとの生活パターンでした。 その感覚もあり、今更ながら補聴器のためだけに施設へ頻繁に通う事に関して違和感があります。」 
 私もかなり言いたい放題とは言えども、それを補聴器担当者に理解してもらわない事には今後の義母との関係維持にかかわると考えた私側も必死だ。

 それに対するイケメン氏のご解答だが。

 さすが高齢者相手に補聴器を販売している人物だけあって、これまた模範解答が返されて来た。
 「前回差し上げた私の名刺当てに、その都度ご相談いただけましたなら私の方で対応します。」

 参考だが、それ以前に義母もイケメン氏相手に「私が補聴器で困ったら、名刺の電話番号に電話をかけていいですか?」なる質問を出していた。 (認知症状と耳の聞こえにくさを抱えての義母からのその嘆願に応える事は、いくら業務に実直なイケメン氏とは言えども不可能だろうなあ…)と私も予想していたのだが。
 やはりその通りで、義母に対するイケメン氏の回答とは「その際にはご家族に相談するか、あるいは直接当該耳鼻科までご連絡いただければ、必ずや後に私が対応します。」とのこれまた理想回答だった。


 実際問題、耳の聞こえが悪くかつ認知症状も兼ね備えている高齢者を抱えるご家庭は数多いことであろう。
 普段から一体どのようにその種の身内高齢者に対応されておられるのであろう??

 我が家の場合、何とも心強い補聴器会社イケメン担当者に恵まれているからこそ、暗礁に乗り上げずに済んでいる気もする。
 今までのように、義母からの「補聴器がまた壊れたから作り変えたい」の誤った訴えの際、イケメン氏に連絡を入れる事により義母の嘆願を退ける手段を見い出せたという訳だ。

 その意味合いでも、“ギリシャ彫刻張り”イケメン氏と出会えたメリットは私にとって大きいものがある。

 あっと、それから。
 イケメン・美人と周囲が騒ごうが、結局ご本人の能力が開花した結果の実績こそがものを言う時代と進化している事実に、安堵したりもするなあ……


私自身の免疫関連学会講演抄録を発見しました!

2018年10月03日 | 学問・研究
 (写真は、1978年に東京都にて開催された「日本臨床免疫学会総会」内の講演抄録の一ページ。)


 一昨日(10月1日)の夜NHKニュースにて、京都大学特別教授 本庶佑氏が今年のノーベル医学生理学賞受賞決定との速報を受け、私は当エッセイ内で以下の記述をした。

 <明日以降、再び我が「免疫学」関連学会抄録を詳細に紐解き、本庶佑先生の過去の業績の程を我が視点から紹介させて頂けるならば、こんなに嬉しいことはない。>


 その後暇を見つけては、書棚から過去に私が訪れた免疫関連学会の抄録群を取り出し、当時の本庶先生の業績を辿ろうとしたのだが…
 どういう訳か、どうしても本庶先生のご氏名が発見不能だ。 
 1970年代後期より1980年代前半期にかけ私は足繁く全国津々浦々で開催される免疫関連学会へ通い、本庶先生の学会でのシンポジウムや一般発表等を拝見している事実には絶対間違いない。 だからこそ今尚本庶先生のお名前をメディアで見聞すると、「あの方だ!」と驚嘆させていただけるのだ。

 まあただ今回の本庶先生のノーベル医学生理学賞受賞とは、「オプジーボ」等免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる薬剤開発に結びついた業績が評価されてのことである。
 要するに私が過去に知る本庶先生とは、おそらく30代前半頃のお若さだったのではあるまいか? その頃の免疫学とは未だ“分子生物学”の恩恵が一切ない時代背景だ。
 それでも私の認識では、まさに「免疫学」が “self or not self" 概念の画期的転換により、目覚ましく発展を遂げた時代だったことには間違いないだろう。


 さて、残念ながら本庶先生のお名前を発見出来なかったものの…
 
 1978年(昭和53年)に東京都千代田区 経団連会館にて開催された、「第6回 日本臨床免疫学会総会 講演抄録」にて、自分の名前(原左都子の旧姓本名だが)を先ほど発見した! (写真の黒塗り部分は私の旧姓と当時の所属会社であるが、個人情報保護目的で黒塗り処理をさせて頂いた。)
 いやはや驚いた。

 確かにこの頃私は民間医学関連企業の研究室に所属し、我が社と顧問契約を締結していた自治医科大学臨床病理学教室と大いなる係わりがあった。
 上記「臨床免疫学会」に於ける一般発表演目内容のうち、私は“抹消リンパ球subpopulation”のサンプル実験を担当した。 当時若気の至りにして栃木県僻地(失礼!)に存在する自治医科大学へ駆り出され、大学の寮に寝泊まりし、臨床病理学教室にて日夜その膨大なサンプリング実験に励んだものだ。
 その我が業績(というより“ひたむきな頑張り力”)を評価して下さった故に、共同研究者の末尾に我が名を連名してくれたに過ぎないのだが…

 いや、それでも嬉しいなあ。
 当時こうやって日本に名立たる免疫学全国学会発表に加われた実績がこの私にも残されている事実が、過去に少しでも医学発展に加担出来た実績でもあろうし、何となく心躍る気分だ。 (参考だが、私自身が発表者となった“さほどメジャーではない”別医学学会発表も複数存在する。)


 本庶先生の業績であられる「オプジーボ」だが。
 実は癌患者の2割程にしか効かず、メディアが騒ぐ程の有効性が無いとの報道も見聞する……

 癌も、それに罹患した患者の特質もそれぞれなのであろう。
 と同時に。

 医学の発展と庶民患者間の専門力の大いなる格差を埋める作業も、医学従事者に永遠に求められる課題かとも再確認させられる……