原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「タイタニック号探索潜水艇行方不明事故」、閉所恐怖症の身にして元々乗船不能だが…

2023年06月22日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、米オーシャン・ゲート社が運航する潜水艇「タイタン」。 ネット情報より転載したもの。)



 早速当該事故に関するネット情報を、以下に引用しよう。

 行方不明のタイタニック号探索艇 態勢強化し捜索 5人が乗船

  毎日新聞 
  OceanGate Expeditions・ロイター© 毎日新聞 提供

 大西洋の海底に沈む豪華客船タイタニック号を探索していた有人の潜水艇が消息を絶った事故で、米国とカナダの沿岸警備隊などは21日、態勢を強化して捜索を続けた。 潜水艇に乗る5人の命をつなぐ酸素は、日本時間の22日夕方にも尽きると推定されている。

 21日に記者会見した米沿岸警備隊の担当者によると、20、21両日に捜索海域の海中から複数の音を感知したが、正確な場所と発生源は特定できていないという。捜索範囲は四国の面積の1・5倍近く、深さは最大4000メートルに及んでいる。担当者は「希望を持ち続けなければいけない」と強調した。

 捜索活動には、水深6000メートルまで潜水できるフランス国立海洋研究所の無人潜水機「ビクター6000」が加わる予定だ。米CNNによると、カナダのマレー漁業・海洋・沿岸警備隊相は21日、「潜水艇を発見するまで作業を続けなければならない」と述べた。

 行方不明になっている潜水艇タイタン(全長6・7メートル)は、米オーシャン・ゲート社が開発した。カナダ南東部沖で18日に潜航し、1時間45分後に信号が途絶えた。5人の乗船者には1人あたり25万ドル(約3500万円)を払ったツアー客も含まれているとみられる。


 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 旅行好き(とは言えども、コロナ禍以降は郷里以外へは一度も旅行をしていない)私ではあるが、決して“冒険好き”ではない。

 表題に掲げた通り、私には“閉所恐怖症”らしき症状がある。

 これを一番最初に経験したのは、医学部時代の病院実習にてだ。

 病院内の各診療科は現在では多岐に及ぶが、その一部を以下に掲載するならば。
 総合内科、循環器科、呼吸器内科、消化器科、腎臓・内分泌科、脳神経科、心療内科…  内科関連科のみでももっと多岐に及ぶ総合病院もある。
 その他外科診療部門。
 皮膚科、眼科、整形外科、耳鼻咽喉科、航空顔面外科、矯正歯科、
 小児科、女性診療科・産科、
 精神神経科…

 余談になるため もうやめておくが、私が医学部生時代にはそれ程までに病院の診療科は細分化していなかった。


 
 さて、表題のテーマに戻ろう。

 そんな大学病院診療科実習時に、その実習のひとつとして「耳鼻咽喉科」を訪れた時の事だ。
 耳鼻科分野症状検査の中に、“平衡感覚”の異常を調べる目的検査のために「完全暗室」が用意されていたのだが。
 その狭い暗室内に実際に入って検査を受ける、との実習を身をもって体験した。
 これが、光源が一切無い狭い空間内の暗黙の世界で…
 この私は、すぐにパニックを起こしそうになった!!
 それでも命がけで我慢したのだが、あの時のとてつもない恐怖心を一生忘れることは無いだろう。

 そんな私は高齢域に達している今尚、「狭い暗黙空間」には恐怖心を抱かされる。 要するに、これは「閉所恐怖症」の一種ではないかと自己診断しているのだが。



 余談は置いておいて、タイタニック探索潜水船行方不明事故に話題を戻そう。

 上述の通り、この探索潜水船には5名の乗客が乗船しているという。
 そして、何と!! この潜水船旅に3500万円もの大金をつぎ込んでいると言うではないか!! (閉所恐怖症の私にとっては、アンビリバボー!!としか言いようが無いが…)😱 

 
 とにかく この潜水船旅を企画・運行した企業は、その責任を必ずや果たすべきだ!!

 タイタニック号の二の舞を体験する旅行目的では無かったのならば!?!😨 


再掲載 「左都子の『科学哲学』小講座Ⅴ」

2023年06月21日 | 学問・研究
 実は昨日、「広末バッシングエッセイ」を書く前に冒頭表題の再掲載エッセイを全文仕上げて保存したにもかかわらず。



 再び保存画面を開いてみると、原左都子の感想部分がすべて削除されている(飛んだ??)のに驚き、愕然とさせられた。😱 😭 

 どこをどういじっても我が感想部分が再現されないため、無念にも昨日はその公開を諦めた次第です…

 本日気持ちを改めて、今一度論説をし直して冒頭表題エッセイを以下に公開します。



 昨日(2023.06.20)、哲学者ウィトゲンシュタインを取り上げていたgoo内某記事に接した。
 そのブロガー氏の記事を拝見して、私は久しぶりに2度目の大学にてW教授による「科学哲学」の授業受講したことを鮮明に思い起した。

 このW教授、今まで私が接してきた哲学関連授業の中でも、特段哲学に造詣が深い人物と一瞬にして判断できた!

 そのW教授の「科学哲学」の授業を思い起しつつ、以下に我がその経験を語ろう。  


 W先生の授業は、米哲学者ローティの哲学論も取り上げていた。

 参考のため、ローティの略歴を紹介すると。 
 Rorty (米国の哲学者 リチャード・ローティ ネオプラグマティズムの代表的思想家。 後にスタンフォード大学教授となり、哲学と比較文学を教えた。)

 夏期休暇前の最後の授業で、W先生が配布したローティの論文(もちろん英文)を読んで自分の意見を述べる小論文課題が学生達に課せられた。
 その提出日が夏期休暇明けの10月とのことで、休暇前にW先生のローティ授業が成された部分が、冒頭と上記の写真である。(今回は写真を割愛します。)

 実はこのローティに関しては、我が記憶が現在明瞭ではない。
 当然ながら小論文課題は夏期休暇中に消化して提出したのだろうが、おそらく“ピント外れ”の記載をしたことであろう。😫
 
 そして私のみならず他の学生も同様だったのだろう。😵
 小論文提出後の10月のW先生の講義は、それら“ピント外れ小論文”を受けて、今一度「哲学」の基本を一から述べて下さった上で、ローティに関しても再度分かり易く解説されたようだ。

 それを聞き取り筆記したのが上記講義ノート2ページだが、以下に要約しながら転載しよう。


 (哲学とは)ある意味ではあたりまえのことを言っている。(これは大事なこと。) 過去や現在の哲学的なことを批判している。
 哲学とは、あたりまえの事を言うもの。 しかし、その先は何であるかという点に関しては述べられていない。
 哲学には、様々な分野や問題がある。
 ある種のリアリティを前提にしているような問題へと進んでいくものであるが、ローティはそれを駄目だと言っているのではない。 
 ローティは対話しかないと言っている。 dialogue connversation
 realは問題ではない。 単に話し合いをする。 相対主義ではない。
  ethnocentlism
 話し合って白黒つけるのではなく、基本的には我々側に引き入れようとする活動。 ある意味では、そうであると言えるが、そう見ると非常に表面的。
 しかし、あたりまえのことを誰も言わなかった。 
 (他の人は)話の中身に立ち入って議論しようとしてきた。 ローティはそうしない。 あたりまえであるので反論も出来ないが、それで一体どうしたと言いたい。
 “我々”という言葉が、この論文内で一つのkey。 “我々”とは、一体誰を指しているのか? (これはローティにとって、現代のアメリカ社会、西洋)
 ただ、意見の一致しているcommunityは存在しない。 
 ローティはミッションのような話し方をするが、背後には何もない。
 西洋的デモクラシーと言っても、様々な慣行や考え方があるはず。
 ローティは、細かいことはどうでも良いとしている。 細かい議論になると、おそらく破綻する。
 現実には様々な具体的問題がある。 東と西の問題(これは大きな問題)もそうである。
 我々が問題としなければいけない様々な問題がある。
 どちらかに加担するしか解決策がないように、ローティの論文からは見える。
 それが正解だ、とローティは言っているのかもしれない。
 しかしそうすると、やはりtribial(あたりまえ)である。 tribialなことは批判出来ないため、認めるしかなくなる点がひっかかる。
 対話とは常に何かについての対話であり、その何かが問われている。 おしゃべりだけでは済まない側面がある。 埒があかない。 実際やってみる、研究をする事を欠くことは出来ない。
 単なる話を超えて、実際にあるものへ向かう。 この姿勢がRealism。
 この姿勢を求めていかないと、むしろtribialではなく、馬鹿げている。 行為、研究を話の中に取り入れようとすると、この話は成り立たない。
 あまりにもtribialな側面に目を奪われている。
 dialogue 対話が続けられないことを前提としている。
 もはや対話が続けられない場合、どうなのか? “対話可能性”はいつもあるとは限らない。  ① 翻訳可能性が無い(何を言っているのか分からない)場合はどうなのか?  ② 推論の様式が違っている場合、話しても無駄、続行する意味が無い、ということもあり得る。
 その辺をローティはどう考えているのか?

 (以上、我が講義ノートより転載したもの。)
 
 参考余談だが、「科学哲学」のみならず大学の授業とは教官が板書はせず、学生各々が授業内容を個々のノートに“聞き取り書き”をするのが通常だ。 手前味噌ながら、原左都子はこの“聞き取り書き”に元より長けていた。 上記の如く、英語もすぐに聞き取り書きできる能力があった。 いつも学生達が「ノートを写させてください!」と列をなして嘆願に来たものだ。 それに対する我が対応は、普段から付き合いがある学生はOK、そうでない人はお断りした。


 先程 このローティの論文を探してみたのだが、残念ながら見つからなかった。
 一体私が如何なる小論文を書いて提出したのかも、まったく思い出せない。

 実は、W先生が夏期休暇前にこの小論文課題を出した後の後期初めての授業に於いて、元々少なかった受講生の数が更に減少していた。 (おそらく当該小論文課題が重荷となり、受講をやめたのであろう。)
 残された受講生は、私を含めて3,4名だった記憶がある。
 おそらくその中で私が(哲学分野に関しては)一番の劣等生だったのだろうが、この少数の学生達が小論文課題に於いて“的外れ”だったことを認識したW先生は、さぞや落胆されたことであろう… 😨  )
 それにもめげず少数学生相手に、こんな「哲学及びローティ」に関する初歩解説をして下さった事に、今更ながら感謝申し上げたい。

 この後も、(劣等生なりに)我がW先生の「科学哲学」への思い入れは続き、次年度にはW教授の「自然科学概論」も受講させていただいた。


 このW教授は、残念ながら71歳の若さでこの世を去られているようだ。

  今尚ウィキペディア情報にても、W教授の業績の程を辿れるのだが。

 この渡辺先生(おっと!本名を書いてしまったが)、面白いことに元々物理学を専攻されていたようだ。
 • 1971年3月 東京大学理学部物理学科卒業
 • 1973年3月 東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論専攻)修士課程修了 詳細
 
 このご経歴の後に、他の大学にて「科学哲学」分野の教授として活躍された様子だ。

 我が2度目の大学へは「非常勤講師」の身分で週1ペースで来られていたが。
 とにもかくにも、「科学哲学」を静かに語られるその口調と、私を筆頭とするごく少数の“哲学ド素人”学生達に対しても 紳士的かつ出来るだけ分かり易い授業を心がけて下さったその優しさを、私は一生忘れることは無い。


NHK連ドラ「らんまん」に不倫騒動の広末涼子を再登場させる必要など何ら無い!!!

2023年06月20日 | その他オピニオン
 しかも、それが「回想シーン」と言うではないか!??


 そもそも病弱で若死にした母親など、子ども達にとっては役立たずで、何ら用もない!!


 実際、万太郎も姉の綾も立派に成長して、きちんと生きているではないか!


 NHKは一体何を考えているんだ!?!?


 女優・広末涼子の愚かな不倫騒動が現在、どれ程世の評判・信頼を失墜しているのか、理解出来てNHKは回想シーンで再登場させると言っているのか!?!!


 この原左都子も、現在放送中のNHK連ドラ「らんまん」の大ファンだが。

 もしも、今後NHKが、たとえ回想シーンであろうが不倫騒動の広末涼子を本気で再登場させたならば。

 もう「らんまん」の視聴は取りやめる覚悟だ!!!😡 


 それ程までに、今回のNHKの“広末涼子・回想シーンにて再登場”判断は、最悪かつ愚か過ぎる決断と判断する!

 (少なくとも、NHKがどうしても広末涼子回顧シーンを放送したいと欲するのならば、事前にその放送日を国民に公開するべきだ! その日の放送は絶対的に視聴しません!!)


 とにかく断固として、NHKのその措置に抗議したい!!!



 怒り心頭にて、取り急ぎ執筆したため。

 乱筆・乱文にて大変失礼致しました!!
 

続編 「何故経営危機の底辺私立大学を公立化せねばならないのか?」

2023年06月18日 | 時事論評
 冒頭表題の「原左都子エッセイ集」2017.02.09付バックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。


 原左都子も公立大学へ通った経験がある。
 30代にして2度目の大学入学を志し無事合格し、大学院修士課程を修了するまでの6年間通学した大学が、首都圏に位置する某公立大学だった。

 手前味噌ながら、当該公立大学に関して少し紹介しよう。
 1882年(明治15年)創設、1949年(昭和24年)に新制大学として発展を遂げた老舗の公立大学だ。
 2015年には、学生数5000人未満の世界大学ランキングで日本2位、世界16位にランクインしている。 文系を含む5000人未満の大学としては、日本1位の地位を誇っている。
 私自身が2,3年前に垣間見た某雑誌の国内全国の“国公立大学ランキング”でも、比較的上位に選出されていた。 

 近年、経営危機に陥った地方の“私立大学公立化”の動きが相次いでいる様子だ。
 いきなり私見だが、どうもこの動き、(同じく公立大学出身者である身の)私にとっては印象が悪い。
 もちろん、国公立・私立にかかわらず、全ての大学が自らの特質を誇りつつ存在しているのであろうし、何が良くて何が悪いとステレオタイプに結論付けらるはずもないのだが…。

 早速、この動き(私立大学の公立化)に関するネット情報を以下に要約して紹介しよう。
 定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが、各地で相次いでいる。 2016年度からは京都府福知山市の成美大が福知山公立大と改称して再スタートを切ったほか、山口県山陽小野田市の山口東京理科大も公立大に衣替えした。 自治体側が地方創生の拠点となる大学の存続を願ったためで、学費が下がることで志願者が大幅に増えている。 しかし、安易な公立化は将来、自治体に重い財政負担を負わせるうえ、大学間の公正な競争を妨げることにもなりかねない。 日本私立大学協会の小出秀文常務理事は「公立大の在り方が問われている」と疑問の声を上げている。 18歳人口が急減する大学の「2018年問題」を控え、地方の大学はどこへ向かおうとしているのか。
 (以上、ネット情報より引用したもの。 途中大幅略。)

 新たに公立大を設置しても自治体の財政がさほど傷むわけではない。 公立大をもつ自治体には必要な経費が地方交付税交付金への積み増しの形で国から拠出されるからだ。 地元選出の有力政治家の後押しなども受けられるようになる。  
  <2016年頃の地方私大の公立化事例>
◆2009年度:・高知工科大学
◆2010年度:・静岡文化芸術大学 ・名桜大学(沖縄県)
◆2012年度:・鳥取環境大学
◆2014年度:・長岡造形大学(新潟県)
◆2016年度(予定):・山口東京理科大学 ・成美大学(京都府)

 18歳人口がさらに落ち込む「2018年問題」を控え、地方の私大経営は今後ますます厳しくなる。 とはいえ「公立化」が安易な救済策として使われてしまえば、そのツケを納税者に回すことになる。
 人口減少時代に多額の税金を投入してまで公立大を増やす必要があるか。
公立化された私大は、その意義を結果で示す責任がいっそう重く問われることになる。 (途中大幅略) 

 就職先を選ぶ自由は卒業する学生本人にあるが、地方企業への就職や、その地域における起業・独立結果などを集約し、他の進路実績との比較や要因分析等も実施し、一定の比率の地域就労目標値を設定し、地域・地場の産・官・学の協働を 強く推し進めるべき。
 ただ、そうした場合、例えば人口数万人レベルの某市が、私立大学を市立大学化するというのは、無理がある。  少なくとも地方における公立大学化は、相当数の人口と周辺都市の人口を擁する都市に限定すべきである。 
 ついでに、国立の存在意義とは?   国立大学は、理念としては国家及びグローバル社会レベルで貢献する 人材の輩出機関と位置付けて良いと思う。
 最後に私立大学に関しては、それぞれ独自の理念・目的をまさに私学として持ち、その 実現に取り組むべきだろう。
 (以上、長くなったが“私立大学公立化”に関するネット情報より引用したもの。)

 以下は、2016年当時の原左都子の私論の一部だが。

 定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが活発化している現状を、当該市町村に住む住民の皆様が本心で承知しているのであろうか??
 いや、もしかしたら、我が子が“そこなら入れるかもしれない!” などとのわずかな望みに親は賭けているのであろうか??? そうした場合、公立化すれば学費が半額以下になるし~~。 なる親負担の軽減に安直に親として酔いしれるのだろうか??

 その前に、上記ネット情報内にある、公立・国立・私立の果たすべき役割として掲げられている卒業生人材輩出に関する専門家氏のご意見に関してだが…。
 ごもっとものご意見と一応賛同しようとも、まず“叶わぬ夢”ではないだろうか?
 今の時代、やはり卒業生本人の意思と希望こそを尊重したいものだ。 公立出たからその市町村内で働け??  国立出たら、グローバル社会で貢献するべき??  私立はそれぞれの理念の元で自由にしてよい???

 これぞステレオタイプ過ぎて、失礼ながらせせら笑いたくもなる。 
 現実とは決してそうではなく、むしろ卒業生の学力や特質、自身の希望に沿った進路を描くのが現代の社会では理想と私は心得る。 (私自身がそうして来たし、我が娘もその進路を歩み始めたところだ。)

 そうした場合、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動き”とは、必ずや破局を迎える!であろうと、私は結論付けたい。
 それは早期にやって来るだろう。 そうなってから当該市町村が“公立化が失敗だった”と嘆きあたふたしたところで、その負担は市町村に住む人々の血税にかかるのだ。

 そもそも、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大” など、在校生を卒業させた暁には入学者募集を取り止め、とっとと破産宣告してこの世から去るべきと考える私だが。

 (以上、本エッセイ集2017.02付バックナンバーより一部を再掲載したもの。)




 それから6年程の年月が経過した今現在も。

 相変わらず 「私立大学の公立化」をはじめとする公立大学設置ニーズは衰えることなく、2023年春には都道府県や市などが設置する公立大が100校に達しているらしい。😖 

 そう言われてみるに、近年やたらと「○○県立大学」「△△市立大学」等々と称する公立大学が全国規模で増殖している感がある。😵 

 最近の朝日新聞記事によれば。
 近年は定員割れが続く私立大学を地元自治体が公立化するケースが目立つらしい。 ところが、地方では都市部以上に少子化が深刻で学費の安さだけでは学生を集めることができず… 
 また、学問分野によっては企業や行政などから研究費や寄付等の外部資金を得ることも容易でないとのことだ。😷 

 そんなこと、原左都子に言わせてもらうなら、2017年頃の私立大学の公立化ブーム頃から自明の理であっただろうに…

 何故に深い思慮も無く、単にブームに乗ってしまうのか?!?

 こんな安直な思考で新設公立大学を全国に増殖させたとて、入学した学生達が「学問の府」たる大学教育を享受できることなど望むべくもなく。 
 またもやすぐさま潰れ去る大学を量産するのみではないのか!?!!

 ここは「大学とは“学問の府”である」、との本来大学があるべく原点に立ち戻って。
 安易な公立大学設置を、国も地方自治体も規制する方向性で動くべきではあるまいか?!!!


昨日、私が住む都内某区内に「ハリーポッター エンターテインメント施設」が開業したらしい

2023年06月17日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、2023.06.15付朝日新聞記事「『ハリポタ』魔法にかかる準備できた? 『としまえん』跡にあす開業」より転載したもの。)



 映画「ハリー・ポッター」の世界観を味わえるエンターテインメント施設「ワーナーブラザース スタジオツアー東京 メイキング・オブ・ハリー・ポッター」が6月14日、報道陣に公開された。
 2020年に閉園した「としまえん」の跡地に作られており、16日に開業する。



 当該朝日新聞記事より、以下に写真を転載・列挙しよう。

         
 スタジオツアー東京の入口にあるハリーポッターの看板。


         

         
 映画「ハリー・ポッター」シリーズで着用された衣装のレプリカなどが展示されている。

         
 肖像画で描かれている人が動き出すエリア。

         
 土産物売り場で販売されている杖。

         
 バタービール。


 
 この“旧・としまえん”へは 私が上京直後の若き時代から、我が一人娘が子供時代はもちろんのこと、3年前の2020年閉園近い頃まで幾度となく訪れている。

 私が上京直後のとしまえんとは、都内有数の大規模遊園地だった。
 友人や彼氏と共に幾度となく訪れ、絶叫マシンなどに乗って楽しい一時を過ごしたものだ。
 夏にはプールが人気で、また冬には屋外スケートリンクも開業したなあ。
 
 我が子が幼少の頃には既にとしまえんも“廃れ気味”だったものの、幼児が喜びそうな遊具が数多く一家で十分に楽しめた。

 現在の我が家は、としまえんから徒歩圏内なのだが。
 娘の学校が長期休暇中などには、娘を誘ってとしまえんまで徒歩で頻繁に出かけた。 
 当時はいつ訪れても園内が閑散としていた記憶があるが、空いているが故に乗り物が利用し易く、思う存分に堪能できたなあ。



 そんな我が家には馴染みのとしまえんが。

 昨日「ハリー・ポッター施設」として生まれ変わり、開業したという。

 一体いくら程の入場料金を取るのかと、少しネットを検索したところ。

 ¥6,300 ー  らしい。



 バタービールを試飲してみたいものの。

 娘も都内の遠くへ引っ越したし。
  
 申し訳ないが、しばらく縁が無さそうだ……