冒頭表題のエッセイ「傘を返して欲しい…」原版は、原左都子エッセイ集初期頃に“恋愛・男女関係”カテゴリーにて公開した。
これの再掲載版を、2019.10.05付で再び公開している。
昨日2023.06.23 の我がエッセイ集 Popular Entries top 10 の第1位に、どういう訳かこの再掲載版がエントリーしていた。
確かに私自身が読み直しても、あの時の情景が今尚鮮明に蘇るかのごとくの恋愛エッセイではあるのだが。
そう言えば、今はまさに梅雨時だ。
あの事件の頃も、雨が降り続く日々が続いていた…
それでは、「傘を返して欲しい…」 2019.10.05公開の“再掲載版”を、頂戴したコメント群と共に、以下に今一度再公開させていただこう。
今回紹介する「原左都子エッセイ集」バックナンバーは、結構リアルな恋愛ものです。
我がブログの主柱は開設当初より「時事問題や学問・研究、教育、医学問題等々に関するオピニオン公開」にある。
それ故に、私があまりにもリアルな恋愛ものエッセイを公開すると、時には「がっかりした」だとか「不謹慎だ」とマイナス感情を抱く読者の方々もいらっしゃったようだ。 (それらの方々は、当の昔に我がブログから去り行かれたようだが…)
そんな中、この恋愛ものエッセイには大変貴重なコメントを頂戴した! 下に紹介した「たぬち庵」さんよりのコメントがそれに当たるが、これを本文に先立ち公開させていただこう。
< 山陰の田舎に住む爺さんのたぬち庵と言います。 どこからか辿ってきて以来、愛読者になりました。 たまにこう言うのも入れて頂くと、ずいぶん身近な方に感じ、さらに奥深く愛すべきブログになりそうです。これからも愉しみにしています。>
このコメントを読ませて頂き、私はどれ程感激したことか! (たぬち庵さん、その後お元気でいらっしゃいますか?)
下のコメント欄内ガイアさん宛の私からの返答内にも書かせて頂いたが、「すべての経験が私を成長させ私の人格を創り上げてくれています。 ひとつひとつのドラマを大切に心の中で暖めていたいものです。 そして私もいつまでも青臭い青春を引きずっていたいと思います。」
まさに今でもその通りだと感じる。 人間が生を営む上で「恋愛」とはなくてはならない尊い業である。 それを軽視したり軽蔑したりする人種とは、あまりお近づきになりたくない感覚が今尚ある。
さてそれでは、2008.05.25公開の「傘を返して欲しい…」とそれに頂戴したコメント群を、以下に再掲載させていただこう。
出逢いにはいつも別れが付きまとう。
どうせ別れるのならきれいに後腐れなく別れたいものであるが、なかなかそうはいかないのが別れというものの特質でもある。
こんな雨が降り続く週末の日曜日には、私の脳裏にひとつの風変わりな“別れ”の記憶がよみがえる。
今日は、そんな若気の至りの別れを少し綴ってみよう。
彼との出逢いは六本木のディスコだった。 未成年者お断りの、入り口で身分証明書を提示して入場する少しアダルト系の比較的落ち着いたディスコだ。
混雑度もそこそこで全体が見回せる。 ロン毛で鼻の下にヒゲを生やした少しニヒルな独特の雰囲気の彼は目立っていて、私も既にその存在を把握していた。
ディスコで声をかけられる(当時は大抵男性が女性に声をかけたものだが。)のは、自分の座席かダンスホールで踊っている最中というのが多いパターンだ。が、今回は違った。 何がしかの用で私が通路をひとりで歩いている時、そのニヒルな彼に引き止められたのだ。 存在を把握していた男性に声をかけられるとは、意外とラッキーな展開である。 と言うのも、当時はこういう場では女性はまだまだ受身の立場なため(少なくとも私は。)、意に沿わない男性に声をかけられた場合の対応が面倒なのだ。 そういう場合もちろんお断りするのだが、しつこく付きまとわれる場合もあって迷惑する場合もあるからだ。
しばらく通路で二人で立ち話をしたのだが、この場では通行人の邪魔だし、一緒に飲もうということになり彼のグループが私のテーブルまで移動してきた。 こちらは女性2人、あちらは男性が3人程だったと思う。
私の友人も含め他のメンバーのことは記憶がないのだが、とにかく私とそのニヒルな彼はすっかり意気投合し、飲みながらあれやこれやと語り合った。 そして、また会う約束をした。
彼は美容師だった。 フリーのカリスマ美容師を目指し当時原宿の美容院で修行中の身だった。 片や当時の私は医学関係の専門職サラリーマン。 そんな異文化コミュニケーションが若くて無邪気な私には何とも新鮮で刺激的だった。
彼にはエスニックの趣味があり、メキシコ料理を好んで食べていた。 それで、デートの時にはいつも彼の行きつけのメキシコ料理店へ行く。 それまで辛口の食べ物を好まなかった私も、テキーラやマルガリータを飲みながら彼と一緒に唐辛子等の香辛料の効いたトルティーヤやタコスをヒーヒー言いながら食べたものである。
エスニック調の皮革品を好む彼の鞄を二人で選ぶために、原宿の彼の職場の近くのショップを探索したりもした。
そして、デートの締めくくりはいつも私鉄沿線にある彼の部屋で飲むのだが、オリエンタルなムードが漂う独特な雰囲気の彼の部屋が私はとてもお気に入りだった。 バリ島が好きな彼の部屋はバリ島の民芸品であるバティックやシルバー製品などで装飾され、私が訪ねるといつもインドのお香をたいてくれた。 そしていつも二人のお気に入りの音楽を聴いた。
ただ、私の頭の片隅には彼との関係は長くは続かないであろうとの不安定感がいつも蔓延っていた。 互いに自立心旺盛で互いに自分の夢を描いていて、互いに自己主張が強過ぎるのだ。 いつかは別れが来る、その別れは意外と早いかもしれないという不安定感が、返って二人の関係を加速させていたのかもしれない。
そして何ヶ月か経過し、表向きの付き合いの楽しさと脳裏をかすめる不安定感とのギャップはさらに深まっていた。
ある日、もう潮時かと悟った私の方から別れ話を持ち出す決意をした。 彼の脳裏にも同様の考えはあったはずだ。 だが、唐突に私の方から具体的な別れ話を持ち出された彼は動揺した。 負けん気の強い彼は別れを認める。 それも私は計算済みだった。 そして二人は別れることになり私は彼の部屋を出ようとした。
その時、彼が言う。 「傘を返して欲しい…」 と。
雨の日に彼の部屋から帰る時に借りていた安ビニール傘をまだ返していなかったのだ。「わかった。今度届けに来る。」そう言って私は去った。
後日、私は彼の留守中を狙って彼の部屋を訪れ、鍵のかかった玄関先のドア付近にビニール傘を届けた。傘には再度お別れの手紙を綴って巻き込んでおいた…。
<以下は、頂戴したコメント群です。>
Unknown (たぬち庵)2008-05-25 13:06:30 山陰の田舎に住む爺さんのたぬち庵と言います。
どこからか辿ってきて以来、愛読者になりました。
たまにこう言うのも入れて頂くと、ずいぶん身近な方に感じ、さらに奥深く愛すべきブログになりそうです。これからも愉しみにしています。
来ていませんでしたっけ (カズ)2008-05-25 14:46:29 よく分からないけど、荒木師匠と呼ばれた人もそこに来ていませんでしたっけ?
たぬち庵さん、どうか今後共ごひいきに。 (原左都子)2008-05-25 15:50:00
たぬち庵さん、当ブログへの初コメントを誠にありがとうございます。
私どものこんな拙いブログの愛読者になって下さり、感謝感激の思いです。
私のブログの場合、自己のオピニオンの公開を趣旨としておりますが、たまに自分自身の息抜きの意味合いもありまして、こういった雑記カテゴリー記事や、音楽、お酒関連の記事も綴っております。それを肯定的に捉えて下さる方がいらっしゃることをとてもうれしく存じます。
これからもこのような息抜き記事も交えて綴って行く予定でおりますので、どうか今後共当ブログをお訪ね下さいますように。
カズさん、荒木師匠とは? (原左都子)2008-05-25 15:57:10カズさん、いつも謎めいたコメントをありがとうございます。
この謎が分らない程、私自身は面白くて受けてます!
で、荒木師匠ってどなた???
バックナンバーでも公表していますが、私は70年代後半頃に東京のディスコへ通いつめました。
その頃の東京の名立たるディスコに関しては大抵の事はわかるのですが、時代が少しでもずれると未知の世界となります。 是非、今度教えて下さいね。
Unknown (katsuko)2008-05-26 09:55:19何時も拝見しています
楽しいブログでお気に入りの一つです今回は傘が面白くてコメントいたしました。
おかしいおちですね!!!ハハハ・・・
私なら家中のビニール傘を集めて置いてきます
原さんはきっとどこかで私と会ってますね?年代が同じです。身長も体重も!!ちなみに荒木師匠とは80年代後半からです。
katsukoさん、いつもご訪問ありがとうございます。 (原左都子)2008-05-26 10:20:01
katsukoさん、再コメントありがとうございます。私もkatsukoさんのブログはよく訪問させていただいております。
そうですか、年代もkatsukoさんと私は同じですか。
70年代後半頃に夜の六本木、新宿あたりをうろうろしていましたので、お会いしているかもしれませんね!
荒木師匠情報は他からもいただきましたが、ジュリアナの頃でしょうか?その頃はもう私はすっかり“うろうろ”を卒業しておりまして、未知の世界です。
この傘の話、私自身も彼が伝えようとした意味が捉えきれず悩みました。願わくば自分本位に解釈して「もう一度来て欲しい…」という意味合いがあって欲しいとも思いました。 でも、別れました。若かりし日の切ない別れの一ページです。
エッセイのメッセージ性の大きさと重さ (ガイア)2008-05-26 23:20:17
出会いがあれば別れがある。特に男女間のそれはドラマチィックなもの(当事者にとってはそれどころではないが)です。別れ際には、お互いに気の利いた洒落た台詞が欲しいもの。それとも無言のままか・・・。
「傘を返して欲しい・・・」。このエッセイを戯曲化し、演劇や映画、テレビドラマに演出するとどうなるのか、私個人の別れの体験とも重ね合わせ、イマージネーションが膨らんでしまいます。失礼かと思いますが、ついその様なことを考えてしまうのです。
若かりし頃の切ない別れは誰もが体験すること。青臭い青春を未だに引きずっている私には、このエッセイの放つメッセージ性は大きくて重いです。
ガイアさん、過ぎ去ればすべてが美しい… (原左都子)2008-05-27 08:02:57まさに別れとは、当事者にとっては一時生きる意味を失うくらいの打撃を受けるものです。
そんな別れも時が過ぎ去ればすべてが美しい思い出として、まるで映画やテレビドラマのようにドラマチックによみがえります。
今回記事でとりあげた少し風変わりな意味不明の「傘を返して欲しい…」別れも、私にとっては心の中の宝物です。
すべての経験が私を成長させ私の人格を創り上げてくれています。
ひとつひとつのドラマをいつまでも大切に心の中で暖めていたいものです。
そして私もいつまでも青臭い青春を引きずっていたいと思います。
久しぶりにコメント (右の脳だけの館長)2008-05-27 08:55:27
だって!僕にも同じ様な経験が何度か......
どうして? 何度かと言うと、懲りたのに
また同じ様なことを繰り返した、若気の至りで懐かしい思い出♪ 今は立場上怖くなってます~
館長さんは、今でも青春じゃないですか。 (原左都子)2008-05-27 10:14:40
館長さんの場合、今でも大手を振って青春できる身でいらっしゃるのですから、怖くならずに次々と別れを楽しんで下さい。
なんて、無責任な事を言うと顰蹙ですね。
独身の長い人は、形は違えど数多くの同様の経験を積んでいますよね。その 都度、今度こそは別れは来ないぞ、と最初のうちは思うのですけどね…
Unknown (サンセット・ボーイ)2008-05-27 14:09:40うん~若かりし頃の思い出ですね。
何となく情景が浮かんで来ます。
熱が下がったと思ったら、今は日焼け中です♪これが、元気の源なんですよね~ヾ(^▽^)ノ
手術傷は、塞がったのですが、ドレンチューブの入っていた4カ所の内一つは、まだパックリ&グジュグジュしてます。
この太陽光で回復してくれると良いけど…(^^;)
サンセット・ボーイさんのエネルギーには脱帽です! (原左都子)2008-05-27 14:38:07
サンセット・ボーイさんにも心に浮かぶ青春時代の情景が沢山あることと思います。
ところで、サンセット・ボーイさんはすごい人ですね!
傷がまだ塞がらずグジュグジュなのに、もう日焼けしたいと思うエネルギーが内から湧き出てくるのですね。
そのパワーさえあれば、きっとすぐに回復するでしょう。
私など、ここのところの暑さで頭の働きがダウンしてしまい、ブログの記事を書く気も失せて困っています。自分でねじを巻きなおしているのですが、どうも今ひとつ作動しません…
(以上、「原左都子エッセイ集」2008.05バックナンバーより再掲載したもの。 いつものことながら、どういう訳かコピー部分の行間が編集画面内でコントロール不能のため、乱れている事をお詫びします。)