礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

天孫族とカチ族(石川三四郎の古事記神話研究)

2013-04-09 09:56:56 | 日記

◎天孫族とカチ族(石川三四郎の古事記神話研究)

 アナキストで作家の石川三四郎に、『古事記神話の新研究』という著書がある。初版は、一九二一年(大正一〇)で、三徳社刊。その後、版元を変えながら版を重ね、戦後の一九五〇年(昭和二五)には、ジープ社から、第一二版にあたる『増補改訂 古事記神話の新研究』が出た。
 先日、このジープ社版を入手したので、少し読んでみたが、実におもしろい。発想が破天荒である。文章も読みやすい。大正時代から、版を重ねてきた理由が、よくわかった。
 第一二版は、戦中に組版までできていたが、「軍閥当局の忌むところ」となって、出版できず、戦後、ジープ社として陽の目を見たものだという。
 第一二版の第一章は、「『勝』民族の勇姿」となっている。このタイトルは、戦中の検閲を意識したものであろう。しかし、その内容は、天孫民族は、ヒッタイト族の後裔で、そのヒッタイト族は、「カチ族」の一支族であったとするものである。おそらくこれでは、検閲は通らなかったであろう。
 ここで石川は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命〈マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト〉という神名(古事記)を挙げ、これを「カチ族」と結びつけて説明している。まず、石川以外には思いつかない発想である。
 本文を少し引いておこう。

 抑も〈ソモソモ〉アツシリヤ人によつて『カチ』と呼ばれ、エヂプト人によつて『カチ・カチ』と呼ばれたヒツチト〔ヒッタイト〕は、セイス博士の説によれば、「今日の蒙古人種に類似の相貌を有し」てゐたらしい(註一)が、最近の研究によつて恐らく東方バクトリヤ地方から飼育馬を伴ふて西方に移住し、その馬術によつて周囲の諸民を征服したものであらうことが判つて来た(註二)。新石器時代以後に於て欧米及びアジアの大部分から存在の影を没してしまつた『馬』は、天山とアルタイ山との中間地帯に於て僅かに種属保存を継続し、其処〈ソコ〉から漸次に世界諸地方に伝播したらしいのである。飼馬法に関する世界最古の文献を残したヒツチトも亦之をパミール地方で習得したものであらうと言はれる。それは、その飼馬法を書いた文献中にあるテクニツクは多くインド・ヨーロツパ語であり、その用語は古バクトリヤ地方に居つた〈オッタ〉インド・ヨーロツパ語系の住民から学んだに相違ないとせらる(註三)。併しこのヒツチトの民族語は本来独自的のもので、インド・ヨーロツパ語は後に学んで採用した言語だと言はれるのである(註四)。それは兎に角、このヒツチトが中央アジアから馬を持つて西方に移住し、馬を武器として西方アジアに雄飛したといふ事実が、則ち『カチ』民族発祥の地を指示するものだといふ点に重要性が存在する。

 こういう感じで、発想は大胆だが、一応、西欧の学問を踏まえたものになっている。参考までに、「註」も引用しておこう。

註一 Elisee Reclus “L’Homme et la terre” 第二巻、二八頁
註二 A.Berthelot “L'Asie ancienne, centrale et sud-orientale d'apres Ptolemee” 一七~一八頁
註三 〃
註四 G.Fougeres et le autres “Les premieres Civilisations”一三七~一三八頁

 この本、および著者の石川三四郎については、いくつか、まだいくつか紹介しておきたいことがある。【この話、続く】

今日のクイズ 2013・4・9

◎アメノオシホミミノミコトとニニギノミコトとの関係で正しいものはどれでしょう。

1 親と子  2 兄弟  3 祖父と孫  4 その他

【昨日のクイズの正解】 2 市民ケーン(1941)■映画史上、最高の傑作と呼ばれるこの映画は、RKOの制作です。

今日の名言 2013・4・9

◎厚顔とはこんな人のことを言う

 田中耕太郎元最高裁長官に対する東京新聞コラム子の批評。本日の東京新聞「洗筆」欄より。1959年に砂川事件の無罪判決があった。上告審の田中耕太郎最高裁長官は、マッカーサー駐日大使に公判の見通しを伝えていた。それでいて、退官後には、東京新聞に寄稿し、「独立を保障されている裁判所や裁判官は、政府や国会や与野党に気兼ねをする理由は全然ない」と述べていた。今日の「洗筆」は、切り抜いておくことにしよう。

コメント (1)
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