◎『世界最終戦論』(1940)で「安寧秩序妨害」とされた箇所
昨日の続きである。石原莞爾述『世界最終戦論』(立命館出版部、一九四〇)は、一九四〇年(昭和一五)年九月一〇日に初版五〇〇〇部が出たが、その直後、九月一四日付で発禁処分となった。事由は、「安寧秩序妨害」でいる。しかし、実際は、九月二〇日に五〇〇〇部発行された「第二版」も、市場に出回ったものと思われる(私が入手した「第二版」には、旧所有者名のゴム印が捺されている)。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで、この本の削除版(特212-153)を見ると、この本を見てみると、七七ページから八〇ページまでが切り取られている。この部分に、「安寧秩序妨害」と見なされた記述があることになる。
同書には、同年一〇月二五日、五〇〇〇部発行の「第一改訂版」(特237-993)が存在する。これで、「第二版」の七七ページから八〇ページまでに相当する部分をチェックすると、たしかに、文章の書き直しがおこなわれている。
そこで、本日は、「第二版」で切り取られた部分を紹介し、どこのどういう記述が、「安寧秩序妨害」と見なされたのかについて、考えてみよう。文脈の関係で、七六ページの途中から引用する。
で、私のやう素人が斯う〈コウ〉云ふことを言ふのは甚だ僭越でありますが、日蓮聖人の教義は本門の題目、本尊、戒壇の三つであります。題目は真先〈マッサキ〉に現され本尊は佐渡に流されて現はし、戒壇のことは身延で一寸云はれたが、時が未だ来てない。時を待つべきなりと言つて亡くなられたのであります。と申しますのは戒壇は日本が世界的の地位を占める時に始めて必要な問題でありまして、足利時代や徳川時代にはまだ時が来てゐなかつたのであります。それで明治時代になりまして日本の国体が世界的意義を持ちだした時に昨年〔一九三九〕なくなられた田中智学先生が生れて来まして、日蓮聖人の宗教の組織を完成し、特に本門戒壇論、即ち日本国体論を明らかにしたのであります。それで始めて仏教、即ち日蓮聖人の教義は明治の御代になつて田中智学先生に依つて全面的に、組織的に明かにされたのであります。
所が不思議なことには、日蓮聖人の教義が全面的に明かになつた時に大きな問題が起きて来たのです。仏教徒の中に仏滅の年代に対する疑問が出て来たのであります。どうも是は大変なことで、日蓮聖人は末法の初めに生れて来なければならぬのに、最近の歴史的研究では仏法に生まれて来られたらしい。日蓮聖人は予言せられた人でないといふ事になるのであります。日蓮聖人の門下では歴史が曖昧で判らない。どれが本当か判らないと云つて自ら慰めて居るのであります。併しそれは今日の信者は結構でせう。そうでない人は信用しない。一天四海妙法は夢となります。
此の重大問題を日蓮聖人の信者は曖昧にして過して居のであります。それで素人の私が身の程も省みずそれを考へるのでありますが、日蓮聖人の予言によれば本化上行〈ホンケジョウギョウ〉は二遍出て来るのです。一回は僧となつて正法を弘める、一回は賢王として御現れになつて世界を統一される。経文によれば上行は末法の初めの五百年に出るのです。そこで考へて見ると日蓮聖人は前者、即ち僧となつて現れて来られたのです。僧となつて仏法を説く、即ち観念の仕事であります。明治の時代迄は仏教徒全部が日蓮聖人の生れた時代は、末法の初めの五百年だと信じて居つた〈オッタ〉のであります。其の時に日蓮聖人が未だ像法だ。と言つたつて通用しない。末法の始めとして行動せられたのは当り前であります。仏教徒が信じて居りました年代の計算に依りますと、末法の最初の五百年は大体比叡山の坊さんが乱暴し始めた頃から信長の頃迄であります。信長が法華や門徒を虐殺しましたが、あの時代は坊さん連中が暴力を振つた最後であります。大体仏の予言が的中した訳であります。
七九ページの途中までを引用した。すでにこの中に、「安寧秩序妨害」と見なされた記述が含まれている。「第一改訂版」との対照によって、その箇所は、最後の段落の「日蓮聖人の予言によれば本化上行〈ホンケジョウギョウ〉は二遍出て来るのです。一回は僧となつて正法を弘める、一回は賢王として御現れになつて世界を統一される」という箇所(七八ページ)であったことが判明するのである。
意外にも、石原莞爾の『世界最終戦論』が発禁になったのは、軍事上の問題ではなく、「日蓮宗」の教義に関わる問題だったようなのである。【この話、続く】
今日のクイズ 2013・4・3
◎次のうち、実在しない寺はどれでしょうか(寺名は、通称を含んでいます)。
1 一天寺 2 上行寺 3 法華寺 4 本門寺 5 妙法寺
【昨日のクイズの正解】 3 この本を編集したのは、東亜連盟協会関西事務所であった。■『世界最終戦論』は、石原莞爾が1940年5月に、京都義方会でおこなった講演を筆記したものである。また、同書を読む限り、石原が講演中、聴衆に対し、東亜連盟協会への入会を呼びかけた形跡はない。
今日の名言 2013・4・3
◎明治時代になりまして日本の国体が世界的意義を持ちだした
石原莞爾の言葉。『世界最終戦論』(立命館出版部、1940)の77ページに出てくる。こうした石原の世界観は、田中智学の影響によるものであろう。