◎石原莞爾『世界最終戦論』(1940)で最も危険な箇所
昨日の続きである。石原莞爾述『世界最終戦論』(立命館出版部、一九四〇)の七九ページの途中から八一ページの途中までを紹介する。
所が天皇として世界を統一せられるのは観念の問題でありませぬ。生々しい現実の問題です。王法の問題です。本化上行が僧となつて現れる時の闘諍は、主として仏教の中の争〈アラソイ〉であり、本化上行が賢王として現はれる時の闘諍は世界の全面的的戦争であるべきだと考えます。さう云ふ考へで今は仏滅後何年であるか、歴史上六ケしい〈ムツカシイ〉議論もあるらしいのでございますが、先づ常識的に信じられて居る仏滅後二千四百三十年見当と去ふ見解をとつて見ますれば、末法の初めは西洋人がアメリカを発見し印度にやつて来た時であります。即ち東西両文明の争びが始り掛けた時であります。その後東西両文明の争ひが段々深刻化して、正にそれが最後の世界的決勝戦にならうとして居るのであります。
明治の御世、即ち日蓮聖人の教義の全部が現れ了つた〈オワッタ〉時に始めてそこに年代の疑問が起きて来たことが、私は、仏様の神通力だらうと信ずるのであります。末法の最初の五百年を巧みに二つに使ひ分けをされた。今度世界の統一は本当の歴史上の仏滅後二千五百年に終焉すべきものであらうと私は信ずるのであります。さうなつて参りますると、今日以後仏教の考へる世界統一迄は約六、七十年を残されて居る訳であります。私は戦争の方では今から五十年と申しましたが、不思議に大変似た事になつて居ります。あれだけ予言を重んじた日蓮聖人が、将来の大戦争があり、それに依つて世界は統一され本門戒壇が建つと云ふ予言をせられて居られるのに、それが何時来ると云ふ予言はやつて居ないのであります。果して然らば無責任と申さねばなりません。けれども是は予言の必要がなかつた訳です。ちやんと判つて居るのです。時来つて仏の神通力に依つて現れる時を待つて居つたのです。さうでなかつたら日蓮聖人は何時だと云ふ予言をして居られるべきものだと信するのであります。
ここで注意しなければならないのは、最初の、「天皇として世界を統一せられる」という部分である。ここは、昨日紹介した「賢王として御現れになつて世界を統一される」に対応している。「賢王」を「天皇」と言い換えている。主語が省かれているが、文脈からすれば、日蓮聖人である。すなわち、石原莞爾はここで、日蓮聖人は、一回目は僧としてあらわれ、二回目は天皇としてあらわれると述べているのである。内務省警保局の役人がこれを見逃すはずはなかったのである。
もともと宗教における価値意識というのは、現世的な政治秩序を超える傾向があるが、日本の仏教の中では、日蓮宗に特にその傾向が強い。戦中の宗教弾圧事件の中に、日蓮宗系の宗教団体に対するものが占める割合が多いのは、おそらくそのためであろう。なお、当コラムでは、昨年一二月一〇日以降、少なくとも八回、日蓮あるいは日蓮宗系の宗教団体について言及しているので、参照いただければさいわいである。
今日のクイズ 2013・4・4
◎次の事件のうち、『世界最終戦論』(立命館出版部、1940)の発禁より前に起きた事件はどれでしょうか。
1 慶応大学の蓑田胸喜が小冊子『本門法華宗の神祇観に就いて』を発行し、日蓮宗の宗祖・日蓮の教えは国体反逆思想であるとした。
2 兵庫県警察部、特別高等警察が、旧本門法華宗の教義に国神不敬の容疑があるとして、法華宗顧問三吉日照らを検挙した。
3 日蓮正宗系の創価教育学会の牧口常三郎ら本部関係者が、治安維持法違反の疑いで逮捕され、下田警察署に連行された。
今日の名言 2013・4・4
◎五回ぐらいから周りに人が寄ってこなくなった
今月2日、あと一人で完全試合を逃したレンジャーズのダルビッシュの言葉。いつから記録を意識したかという記者の質問に答えて。「五回ぐらいから周りに人が寄ってこなくなったので、そういうことだなって」。本日の日本経済新聞より。