◎大月氏国とカチ族(石川三四郎の古事記神話研究)
昨日の続きである。石川三四郎の『増補改訂 古事記神話の新研究』(ジープ社、一九五〇年)は、同書の第一二版にあたる。
この版では、新たに、二章が書き加えられた。それが第一章「『勝』民族の勇姿」および第二章「天孫と月氏族と塞種」である。昨日は、第一章の一部を引いたが、本日は第二章から。テーマは同じく「カチ族」である。
二 東洋史上に於けるカチ(月氏)族
日本歴史の『天孫』民族は即ち『カチ』であると信ずる私は、東洋史上に於て、最も大きな役割を演じで来た月氏〈ゲッシ〉が、また『カチ』の対音だと信じするものである。この点に関しても、拙著『東洋文化史百講』中より直接関係のある諸点を引用して置かう。
(1)月氏と漢…漢の武帝の建元年代に「天子が匈奴の降者に問ふたところ、みな言ふ、匈奴が月氏王を破り、その頭を以て飲器となし、月氏遁逃して、匈奴を仇とし怨むが、与に共に〈トモニトモニ〉之を撃つものなしと。漢はまさに胡を滅さんことを欲してゐたので、この言を聞いて、使を通ぜんと欲するが、道は必ず匈奴の中を経ねばない」(史記、大宛列伝)。そこで特に有能の使者を募ると剛健な大男の張騫〈チョウケン〉が之に応募して月氏国に使〈ツカイ〉することになりました。然るに張騫は匈奴の捕へられて十数年間も抑留せられた後、辛うじてそこを脱出して大月氏〈ダイゲッシ〉国に到着しましたが、月氏国はその時既に『大夏』地方をも領有し、土地豊饒にして安楽に生活ができ、胡(匈奴)に報ゆる心もなくなつてゐました。漢がかくも困難な道を経て遠い月氏国にまで使者を送つたといふことは、月氏国が有力な民族であったことを思はしめるでありませう。これを大月氏と特称したことも意義があると思ひます。
(2)月氏はカチなり…こゝに興味深き一事があります。それは西洋の歴史家がサカ族と同類の如く取扱つてゐるカシ(チ)族の地位に対して、支那の歴史家が月氏胡の名を据ゑてゐることであります。家のサカ(塞)種のところで詳記する如く、ギリシヤの歴史家ヘロドタスの『歴史』によると、このサカとカシとはペルシヤのアケメニデス王朝の第十五奉行区にあり、カシはカシガリ、及びその周辺に、サカはパミール及びその周囲の山岳地帯に、ともに広大な地域を占領してゐたものと想定されるのであります。勿論、両氏族とも、種々な事情で遊牧生活を続けたらしく、時代に従て諸地方にその足跡を遺し〈ノコシ〉ました。『史記』や『漢書』の月氏及び塞種、の記事にても、よくそれが想像されるのであります。【以下略】
月氏の読みは、漢音では〈ゲッシ〉だが、呉音では〈ガチシ〉だという。月氏が『カチ』の対音だとする石川説も、ありえなくはないか。【この話、続く】
今日のクイズ 2013・4・10
◎聖徳太子の祖先は大月氏という説を唱えた人は、次のうち誰でしょう。
1 梅原猛 2 小林惠子 3 保坂俊三
【昨日のクイズの正解】 1 親と子 ■「金子」様、正解です。
今日の名言 2013・4・10
◎敗戦に対しては新聞にだって責任がある
作家の高見順の言葉。ドナルド・キーン氏によれば、高見は、大本営発表を垂れ流した新聞に憤っていたという。本日の東京新聞に載っている同氏の寄稿より。