礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

石川三四郎『古事記神話の新研究』第12版序文

2013-04-12 06:01:38 | 日記

◎石川三四郎『古事記神話の新研究』第12版序文

 一昨日のアクセスが多かったので、石川三四郎『古事記神話の新研究』の紹介を、もう少し続ける。ただし、本日は、ジープ社版(一九五〇)の序文の紹介のみで、解説はなし。

 第十二版に序す
 本書は初版を発行してから既に三十年を経過した。次に掲ぐる数回の序に示すごとく、しばしば増補及び改訂を施して来た。今度第十二版を印刷するに際しても亦二箇章の増補とそれに伴ふ数ケ所の改訂を行つた。初版以後、第十版までは四六判であつたが、第十一版に至り全部組みかへて菊判となし、内容も初版に比すれば二倍にもなつた。それをこの第十二版に及んで更に全部改版し、且つ第一章の『勝』異族の雄姿、及び第二章天孫と近親なる氐族と月氏族と塞種の二章を加へたのである。
 この増補せられた二箇章は、著者が十数年来の東洋文化史研究の副産物とも称すべきものであるが、著者にとつては極めて珍重な発見であつて、数年来、脳裡に愛蔵してきた宝物なのである。これに因て、『カチ』民族がチベツト西北方の『カチ高地』より或は西に、或は東に、或は南に雄飛した聖跡を漸く明示することができ、また『ヤマト』とは山人即ち天孫の意であることまで略ぼ〈ホボ〉解つて来たのである。更にインドの阿育王も、唐朝の李氏も、隋朝の楊氏も、釈迦自身さへも、みな『カチ』族と近親の関係にあることが幽か〈カスカ〉に想像されるに至つたのである。
 今日は世界歴史の一大転換期だと言はれる。それは可い。併し、どう転換するといふのだ。われ等の祖先がパミール高原から西方に向つては、イラン・イラク・シリアを越えて西亜に大帝国を樹て、エヂプトと戦ひ、バビロンを圧し、南東方に向つては崑崙山・ヒマラヤ山を越えてインドに南支那に太平洋に、何人も否定又は抹殺することのできない足跡を印し、東方に向つては北支那に蒙吉に満洲に朝鮮に常に先駆的歴史を遺した雄大無比なる姿を顧みる時、そしてカムヤマトのわれ等に遺した大きな遺産を考へる時、われ等の今日の哀れむべき境遇が一さう身にこたへる。
 カムヤマトは小さな道徳や理窟は遺さなかつた。古事記神話に宿れる雄大な気醜と詩とが、こゝにある。私は先づ第一にかうした大魅力に打たれて常に古事記を手離し得なかつたものである。従つて私はこれを獄中に携へて行き、欧洲放浪中も身に離さず、常に私の守護符の如く之を懐にしてゐたのである。然るに、この第十二版は、昭和十六年に一旦組版まで出来上つたのであるが、当時の軍閥当局の忌むところとなつて、闇から闇に葬られたのである。今、本書を世に送るに当つて、私は感慨尽きざるものがある。
 昭和二十五年九月五日
  緑の波打つ稲田に囲まれた不尽草舎に於て  石川三四郎識

今日の名言 2013・4・12

◎神学論争の場合、宗派的立場から結論はあらかじめ決まっている

 作家の佐藤優〈マサル〉氏の言葉。本日の東京新聞「本音のコラム」欄より。アベノミクスをめぐる経済学上の論争も、神学論争に近いという。

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