◎一流監督は、スタジオの中に家を持っています
『バンビブック』第九号「映画なんでも号」(一九五二年四月、朝日新聞社)から、淀川長治のエッセイ「撮影所というところ」を紹介している。本日は、その二回目(最後)。
魔 法 の 国
そんなわけて、私はスターたちが、他人には見てもらいたくない苦心さいちゅうの姿を、撮影を一度のぞいてやろう、というくらいの気持ちで見てはいけないと思うのてす。
さて、撮影所というところは実際に魔法の国です。
ハリウッドの二十世紀フォックスノスタジオて見学したとき、パリの裏通りのレンガ道が見るみるうちに出来上がったのにびっくりしました。というのは、まずアスファルトを道路に流し、それの上からちょっと風変りな大きなローラーが走ったかと思うと、実はそのローラーの車全体にレンガのいがた、つまりレンガのでこぼこの型がついていて、やわらかいアスファルトの上をそれが通ると、見るまにレンガ道そのままの道が出来るのです。
またメトロ・ゴールドウィン・メイヤーのスタジオでは、セットの中…ほんとうは、これをセットといわないで「ステージ」と呼ぶのです。その屋内テスト・コートの何十倍あるかわからない、そのステージのなかに半永久的なプールがあって、これがターザン用のジャン グルの沼になったり、競技場の大プールになったり、またナイト・クラブの中庭の噴水の池になったりするのです。「八月十五夜の茶屋」の茶屋の庭の池もこのプールを使っているわけですが、面白いのは、そのプールの仕掛けです。ボタン一つで底の一部が上がったり下がったりするのです。よく人魚のように美しい水着美人が数人、きれいなポーズでたくみに泳ぎながらグンスの妙技を見せるのがあるでしょう。あんなのは実はみんな、そのプールの底がぐんと上にあがってきて彼女たちは水中の底に足を立てながら泳ぎのポーズをとっているだけなのですよ。
古い歴史劇など見ますと、またジャングルの映画を見ますと、数頭のライオンがキャメラの前を走るのがあるでしょう。ああいう時には、ちょっと気をつけると、初めか後の一頭か二頭は時には人間がぬいぐるみのライオンの皮をかむって生きたライオンの後からチョコチョコと走るのです。なぜそんなバカなことをするかといいますと、実は本もののライオンのあとで少し時間をおいて人間のライオンが一匹走る、それをフィルムをつないで本もののあと、すぐ人間のライオンが走ると、見る人たちはすっかり本もののライオンに気をとられて人間製のライオンなど少しも気がつかないで見てしまうのだそうです。つまりライオンを一日動物係りの会社から借りる料金がとても高い。それで、それを人間製で少し安くあげるのです。
歴史劇ではよく馬上からチョウチョウハッシと長剣で切り合いをやるでしょう。あの西洋の武者のヨロイはみなプラスチックなんですよ。だから軽くて自由に動きまわれるのです。よくビクター・マチュアなどが半裸の体をしばられて鉄のイボイボのついた板にはさまれてゴウモンを受ける場面があるでしょう。あの恐ろしい鉄の板は全部ゴム製です、それでそのゴム製の鉄板にはさまれて彼はうなり声をあげるのですが、そのつぎのシーンの時には化粧係りが赤い絵の具で胸に血のあとをつけるのです。するといかにも痛々しく見えるのです。
撮影所にはどんな人たちがいるか
撮影所にはスターや監督やいろんな人が数えきれないほどいます。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーなどはスタジオの中にもお巡りさんがいて交通整理をしているほどです。
ユニバーサルだけてはありませんが、ここにはバスがスタジオ内を走っています。手をあげると、どこでもとまって乗せてくれます。というのはスタジオの中でも歩いて回ると半日以上かかるからです。
宣伝部も一つのスタジオに五十人以上おりまして、雑誌記者、新聞記者と連絡の用事をしております。ハリウッドのスタジオはどこでも、まるで病院のように清潔で、またホテルのようにきれいです。見渡す限りのしばふの上にさまざまな花が咲き、まるで公園に踏みこんだ感じです。だから数人の植木屋がはいりこんで、一日中チョキンチョキンとハサミを動かして、植木の葉を刈りこんでいます。これは別にセットに使うやめでなくスタジオを美しくするためです。この植木屋さんには日本人が多いのです。
スターはみな素晴らしい車でスタジオに通いますが、 時にはスタジオに泊りこむこともあります。そのスター用の住宅もあります。
一流監督ともなると、各自専用の家をスタジオの中に持っています。パラマウントのセシル・B・デミルのスタジオの家の立派なこと、ウィリアム・ワイラーの家も訪ねましたが、これらはもちろんのことワイラーの家とはいいません。ワイラーの事務所と呼びます。けれどその事務所の中にはベッドあり、ふろあり、食堂まであり、客間もあります。それよりも驚いたことは、これらの大監督の事務所には専用の試写室までついていて、いつでも自分の進行中の映画で気になる点があると、ここで映写して見るのです。一人で見るときもあれば、助監督と二、三人で見ることもあります。
西 部 劇 の 撮 影
西部劇はなにしろ広い土地が必要なので、各社はスタジオとは別に、車で二、三時間の遠方のところに各社それぞれ専用の土地をもっていますが、ジョン・フォードやその他の監督の注文で、遠くテキサスなどへロケすることはもちろんです。
けれどもちょっとした西部劇は、スタジオで撮彩します。ユニバーサルも二十世紀フォックスも、スタジオの中にも小さな山まで持っています。駅馬車が走ると、全くよく似合いそうな、山あり谷ありの広い土地がスタジオの中にあるのにはびっくりします。
主役の馬が西部劇で大きな木の倒れた上をとびこえる場面で、その馬がどうしても飛びこえない時は、チャンと別にその馬にかわる馬が用意してあって、しかも主役の馬の鼻のところが白くて、用意した別の馬の鼻が黒いときは白ペンキを塗ってごまかします。スタジオとは全くそんな所なんですよ。
文中、「八月十五夜の茶屋」とあるのは、一九五六年製作・公開のMGM映画。日本での公開は翌一九五七年。沖縄を舞台とした映画で、マーロン・ブランド、京マチ子らが出演している。ウィキペディア「八月十五夜の茶屋」によれば、淀川長治もカメオ出演しているという。
淀川長治のエッセイは、内容こそ、たわいのないものだが、限りなく口語に近い冗舌風の文体は、注目に値する。のちに淀川は、「日曜洋画劇場」の解説で有名になるが、あの冗舌なカタリは、すでに、こうしたエッセイの文体に見出すことができる。
明日は、話題を、二・二六事件に戻す。