礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

犬猫の毛皮供出・献納運動の経緯と実態

2020-06-22 00:15:57 | コラムと名言

◎犬猫の毛皮供出・献納運動の経緯と実態

 昨日のコラム「目の前で撲殺された愛犬エス」に対し、kaiteinさんとinaka4848さんから、「続き希望」のボタンを押していただいた。
 この問題については、以前から、強い関心を持っているが、ほとんど調べが進んでいない。特に、ここしばらくは、国立国会図書館の入館が制限されていて、調べたい文献が閲覧できない。
 なお、一昨日のコラムで紹介した西田秀子さんの論文「アジア太平洋戦争下 犬猫の毛皮供出 献納運動の経緯と実態―史実と科学鑑定」(『札幌市公文書館事業年報』第3号別冊、2016年)は、インターネット上で容易に閲覧できる(国立国会図書館のオンラインサービス経由で閲覧できる。三つのPDFファイルに分かれている)。詳細かつ画期的な論文である。この問題に関心をお持ちの方に、ご一読をおすすめしたい。
 同論文には、「要旨」というものがついている。本日は、この要旨を紹介させていただこう。

 アジア太平洋戦争下 犬、猫の毛皮供出 献納運動の経緯と実態―史実と科学鑑定
                               西 田 秀 子 
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■要旨■ アジア太平洋戦争下の昭和19年(1944)秋、軍需毛皮の兎が不足したことから、軍需省・厚生省が飼い犬の毛皮供出献納を都道府県知事あてに通牒し運動が全国に展開した。ところが、北海道では早くも18年に犬毛皮の供出が始まり、19年には海軍の要請により飼い猫が加わった。運動と実施の主体は北海道庁と札幌市及び大政翼賛会北海道支部と札幌支部であり、実際の業務は国策会社の北海道興農公社が全道にまたがり行うという、官民一体となった運動であった。背景には国民を戦争協力体制へ導く教化運動があり、日中戦争(1937年)を契機に開始した国民精神総動員運動が翌年1938年の国家総動員運動へ、さらに1940年の国民統合組織の大政翼賛会運動へ発展・継続した。物資不足の代替に供出対象が飼い犬飼い猫という身近な愛玩動物へエスカレートした。社会全体を上意下達の全体主義が覆い、行政の末端の町内会までに草の根の軍国主義が及んだ一つの現象であった。
 本稿では次のことを明らかにした。
・国立公文書館にも所蔵が未確認で、新聞記事でしか確認されていなかった通称の「犬、猫毛皮供出献納運動」の公式名称は、『鳥取県公報』により「軍需省厚生省通牒 犬原皮増産確保、竝狂犬病根絶対策要綱」によって全国で実施されていた。
・北海道庁はじめ、実施した県下市町村では畜犬の各戸全数調査を行い、供出割当が通達されたうえで実施に移行。その統計調査は行政の末端組織である町内会の隣保班(隣組)が担った。
・70数年前に将兵が着用していた戦争遺品の防寒外套3着、防寒靴3足について北海道内の3博物館・資料館の提供をいただき、専門家に依頼して毛皮の動物を同定(鑑定)検査し、明らかにした。その際、当時の陸軍被服廠の「仕様書」と照合し史料と科学同定(鑑定)とを比較対照することで真実が判明した。
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*このブログの人気記事 2020・6・22(10位に極めて珍しいものが入っています)

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