礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

そこへ作家の三角寛が現われた(木下宗一)

2020-06-04 01:54:10 | コラムと名言

◎そこへ作家の三角寛が現われた(木下宗一)

 本日から、しばらく、木下宗一の『号外昭和史』(同光社磯部書房、一九五三年四月再版)を紹介してみたい。紹介するのは、同書の内、「二・二六事件」の章である。木下宗一の再版当時の肩書きは、朝日新聞東京本社編集局嘱託。
 なお、この本の初版は、一九四八年四月に出ている。初版当時の木下宗一の肩書きは、不詳。

 二・二六事件

  平河町の機関銃
 その朝、私はまだ寝ていた。そこへ、いつも社との電話連絡を頼んでおいた近所の酒屋の子僧が自転車ですつとんで来た。
「何だか、大事件が起つたそうで、すぐ新聞社へ出勤して下さいとのことです」
 妻に叩き起されて、時計を見ると六時、ぬれ手拭で顔をなであげると、私はすぐ家を飛び出した。
 甲州街道に出たとこで円タクをひろい、明治神宮裏から外苑に出た。大宮御所の正面近くで、騎馬憲兵の一隊に出あつた。いずれも銃を肩に背負つて只ならぬ気配である。赤坂離宮前から、見付に出、更に坂を上つて平河町の石壁に来た時、十数名の兵隊が横列をつくつていた。赤坂見付方面に向かつて機関銃をすえつけている所である。
「事件に備えて警戒しているのだな」
 私はそう思つたので、円タクを降りると、兵隊の長らしい下士官をつかまえ、
「新聞社へ急ぐんですが、円タクを通してもらえませんか」
 と聞いて見た。
「いや、命令によつて、どなたも通すことはできません」
「へえー、で、何かあつたんですか」
「新聞社ならお分りでしよう」
「ところが知らないんです。今呼び出しを食つて出かける所で……」
「とにかく、こゝは通れませんから、この裏でも回つて行くことですな」
 下士官がアゴで示してくれた永田町小学校の裏口、そこには兵隊が七、八名、銃を抱えこむようにして、ぐつたり大地に腰をおろしていた。私は一刻を争うあせり心から、その兵隊の列の前へ、円タクを乗りいれさせた。と、七、八名と見えた兵隊が何と、裏道一ぱいに腰をおろしていて、歩いてさえ通れそうもない混雑。
「やア――」
 そこへ三浦守君(作家の三角寛〈ミスミ・カン〉)が現われた。
「えらいこツてすよ。まア、降りなさい」
 という。長い間、朝日新聞の警視庁詰記者をしていた同君ゆえ、例の早耳で飛び出して来たものらしい。
「けさ岡田〔啓介〕がやられた。高橋〔是清〕もやられたらしい」
「へえー。そのほかには?」
「いま、渡辺錠太郎の襲撃に行つているという話もある」
「犯人は?」
 三浦君は例の白髪をぐつと近づけて、
「こゝにいる兵隊がみんなそうですよ。いま、岡田をやつゝけて来て、こゝで休憩しとるんですよ」
 私は思わずさつきの下士官の方へ目をやり、更に周囲を見わたした。そういえばまだツケ剣の銃を抱えている兵隊もいる。二人の立話を、ウサン臭そうに見上げている兵隊の目、目、目。
「有難う」
 私に一刻も早く社に急ぎたかつた。運転手に金を払うと、
「何かあつたらまた知らせてね」
 三浦君の肩を叩くと私は、群がる兵隊の靴をふみつけぬよう気を配りながら、銃剣のならぶ細い裏道を小走りに下つた。
 土壁〈ツチカベ〉にもたれてパンをかじつている兵隊、もう食い終つて軒下に頭をもたせて仮睡している兵隊、黙々とタバコを吸つている下士官。軍隊手帳に鉛筆をなめている兵隊。慕いよる小犬にパンを投げている兵隊――前夜の淡雪に、大地はしつとりとぬれているが、一人として立つている兵隊はいない。
 この小休止の列は首相官邸の裏へ来て消えていた。その代り、ツケ剣の銃をかついだ兵隊が六名ずつ、街角〈マチカド〉という街角には厳重に監視の目を光らしていた。私はやつと溜池〈タメイケ〉の通りに出ることができた。だが、軍の自動車がフル・スピードで通るほかは人一人通らぬ淋しさである。虎ノ門近くでやつと一台をつかまえて新聞社へ――。編集局には非常招集をうけたO〔尾坂与市〕社会部長や、前夜の宿直諸君が情報電話をうけていた。
「御苦労さん。早く来られましたな」
「いや、非常線に引つかゝりましてね」
 途中、三浦君から情報を聞いたことを話すと、
「新聞社はやめても、アン奴は、やつぱり新聞記者ぢやナ」
「相当の情報網をいまでも持つとると見えるですな」【以下、次回】

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