◎実際は「犬死」だった(蓄犬献納運動の実態)
昨年の五月一三日の当ブログに、〝村上春樹氏のエッセイ「猫を棄てる」を読んだ〟という記事を載せた。その後半で、私は次のように書いた。
以下は雑感である。村上春樹氏のエッセイ「猫を棄てる」は、少年時代の村上氏が、父親とふたりで、飼っていた猫を捨てにゆくエピソードから始まる。このエピソードを読んで、以前、聴いた大江健三郎氏の講演を思い出した。その講演の冒頭で、大江氏は、少年時代に飼っていた愛犬の話をされていた。大江少年は、その愛犬を徴発されてしまったという。軍需皮革を確保するために、戦中におこなわれた「畜犬献納運動」の話だと思って聞いていたが、そうではなかった。大江少年は、その直後に、近所の河原に、大量の犬の毛皮が放棄されているのを目撃する。おそらく、何者かが、「畜犬献納運動」などの名目を騙って、犬の肉を集めたのではないだろうか。「畜犬献納運動」自体が恐ろしい話だが、それ以上に恐ろしい話だった。大江氏の講演のテーマなどは、スッカリ忘れてしまったが、この犬の話だけは、今でも鮮明に覚えている。たしか講演会場は、市ヶ谷の法政大学で、柄谷行人氏の講演と二本立てだったと記憶する。
ここで私は、大江少年の愛犬は、「畜犬献納運動」などの名目を騙る何者かに殺されたのではないかと推測したが、最近、インターネット上で、アジ歴グロッサリーの「戦争にペットまで動員されたってホント?」という記事を読んだ結果、この推測はハズレていたと考えなおした。
アジ歴グロッサリーの記事には、次のようにあった。
……全国的な皮革不足のなか、1944(昭和19)年に軍需省化学局長と厚生省衛生局長の連名による通牒が全国の地方長官(知事)へ出され、通達された「犬原皮増産確保並狂犬病根絶対策要綱」に基づいて、軍用犬・警察犬や登録されている猟犬、天然記念物の指定をうけた日本犬を除いた畜犬は、献納もしくは供出買上することになりました。[西田秀子2016]
これにより地方自治体では畜犬(=飼い犬)を供出させる「献納運動」を展開し、東京都では回覧板で飼い犬の献納を勇ましく呼びかけました(画像2)。
この時期になると食糧不足に加え、空襲も激しくなっており、飼い犬が野良化すること、さらには狂犬病が流行ることを恐れた当局が、人びとに半ば強制的にペットを献納させ、次々に撲殺・薬殺していきました。
一部は毛皮や食肉に加工されたようですが、多くは利用されること無く廃棄されたと言われています。
回覧板に「決戦下犬は重要な軍需品として立派な御役に立ちます」と書かれておりましたが、実際は犬死だったと言わざるをえません。
人間にとって辛い時代はペットにとっても辛い時代だったのです。
これによると、戦争末期には、「犬原皮増産確保並狂犬病根絶対策要綱」に基づいて、「半ば強制的にペットを献納させ、次々に撲殺・薬殺」する、その毛皮が「利用されること無く廃棄され」る、といった事態が生じていたようだ。
だとするなら、大江少年の愛犬も、「犬原皮増産確保並狂犬病根絶対策要綱」に基づいて、公的機関によって徴発され、殺されたと理解すべきであろう。大江少年は、この徴発の直後に、近所の河原に、大量の犬の毛皮が放棄されていたのを目撃している。これは、それらの犬が「食肉に加工された」ことを示唆しているものと言えよう。
なお、アジ歴グロッサリーの記事中の[西田秀子2016]は、次の文献を指している。
・西田秀子「アジア太平洋戦争下、犬猫の毛皮供出、献納運動の経緯と実態―史実と科学鑑定」(『札幌市公文書館事業年報』第3号別冊、2016年)