◎青年将校らの動きが事態の急迫を告げています(福本亀治)
福本亀治著『秘録二・二六事件真相史』(大勢新聞社、一九五八)の第三章「動乱の四日間」を紹介している。本日は、その十回目で、「本庄大将の苦衷」の節、および「岡田首相は事前に知つていた」の節を紹介する。
本庄大将の苦衷
もともと本庄〔繁〕侍従武官長は早くからこの青年将校等〈ラ〉の言動に深く心を痛め、軍の粛清と云う問題に腐心されていた。
殊にまた自分の女婿である山口一太郎大尉が皇道派青年将校の一人として行動していることも憂慮の一つであつたろうが、それだけに青年将校等の動静に関する情報の入手には人一倍熱心であつた。
従つて私〔福本亀治〕は時々宮城内の侍従武官府を訪れてはこの動静の報告に行つていた。特に相沢公判以来は求めによつて毎週一回宛〈ズツ〉、この情況報告に参入していた。
たしか二月二十日頃ではなかつたかと思うが、例のように参入して早速武官長にお目にかかり、 私は一通りの情況報告をしてから、
「閣下、青年将校等の最近の動きはどうも事態の急迫を告げているように感ぜられるものがあります。このまま放置しておいたなら、将来ではなく或いは今、明日にでも重大事件が突発するかも知れんと思います」
と述べた、すると本庄武官長はジツと目を閉じて何事かを悟つているらしく、無言で二つばかりうなづいていたが、思い余つたような声で、
「うむ……侍従武官長の立場としてはどうする事も出来ない……宮中における武官-の立場と云うものは余りにも弱く実情を上聞に達することさえ意の如く委せないのだ……」
情なそうに嘆じられて顔を伏せた。私は何か胸の詰る想いで、それ以上を語るにも聞くにも苦しかつた。
だが、山口大尉が蹶起部隊とは行動を共にせず、専ら部外から目的達成のための工作任務を担当していたのは、おそらく宮中方面に対する工作企図があつたからではなかつたかと思う。
と云うのも一度は襲撃目標として狙つた西園寺〔公望〕公に対する襲撃を俄かに中止し、逆に公を宮中方面に対する工作に利用しようと謀つたことを併せ考えれば、山口大尉の役割も決して楽なものではなく、むしろ、青年将校等が決行後の事態収拾を如何にするかと云う腐心とその一役を担う山口大尉はどれほどの重任だつたろうと思われるものがあつた。
岡田首相は事前に知つていた
また、岡田〔ケイスケ〕首相には襲撃前に丹生〔誠忠〕中尉が耳打ちをした事実のあることだ。
丹生〈ニブ〉中尉は首相襲撃部隊であつた栗原中尉の所属であつたが、非常呼集に依つて舎前に集合した後、その一部を率いて陸相官邸占拠部隊に加つたものである。
岡田首相が来襲に際して逸早く避難し、松尾〔伝蔵〕大佐が其の身代りとなつたことも偶然ではないと思はれる。
丹生中尉は鹿児島県草牟田〈ソウムタ〉町退役海軍少将猛彦氏の長男で岡田大将とは姻戚関係にあつた。
この他に久原房之助〈クハラ・フサノスケ〉には亀川哲也から通知されているし、真崎〔甚三郎〕大将には西田税から、同じく小笠原長生〈ナガナリ〉子にも西田税から通知されている。
また、加藤寛治大将には薩摩雄次から通知され、北一輝には渋川善助から通知されているし、斎藤瀏〈リュウ〉少将には栗原〔安秀〕中尉が通知していた。
福本亀治著『秘録二・二六事件真相史』(大勢新聞社、一九五八)の紹介は、まだ終わったわけではないが、この間、二・二六事件の話題ばかり続いたので、明日は、話題を変える。