礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

村中孝次は顔を伏せるとサッと走り去った

2020-06-13 02:30:17 | コラムと名言

◎村中孝次は顔を伏せるとサッと走り去った

 福本亀治著『秘録二・二六事件真相史』(大勢新聞社、一九五八)の紹介に戻る。同書の第三章「動乱の四日間」を紹介している。本日は、その四回目で、「不可解な村中孝次の姿」の節の前半を紹介する。

   不可解な村中孝次の姿
 一方、一月二十八日から開廷された相沢〔三郎〕中佐の永田〔鉄山〕軍務局長殺害事件に関する公判は異状な同情を呼んだり、或いは反抗心を示す者などの国民注視の下に、深刻な審理が進められ、前にも述べたように二月二十五日には片唾〈カタズ〉を吞んだ問題の人真崎大将の証人喚問の決定などによつて、関心はいやがうえにも昂まり、事件公判は愈々重大な段階に突入していた。
 その二月二十五日。真崎大将の出廷に対して、軍法会議の内外は未明から厳重に警戒網が張りめぐらされ、午前十時、関係者以外の絶対傍聴禁止の下に開廷された。
 私もこの日は特に開廷十分前から傍聴席に入り、後方でジツと真崎大将の証言に息を吞んで聞いていた。そして、何気なくフト横を見た瞬間! オヤツと思う男が左側の片隅で食いつくように裁判長の姿を瞶め〈ミツメ〉ている。
 まぎれもなくそれは村中孝次〈タカジ〉だつた。私がオヤツ! と思つたのも、実は相沢中佐の公判開廷当初は連日の如く公判廷に詰めかけていたのに、公判の中途から急に現われなくなり、代つて他の青年将校が入れ代り立ち代りして彼だけは姿を見せなかつたからである。
 最も普通の場合、軍法会議の傍聴は場所が狭い関係上誰でも自由と云う訳には行かないが、関係者であるとか、家族の場合は特別傍聴券で傍聴が出来るようになつている。又非公開の場合は限定された少数の特定人のみに眼られている。
 村中は常に被吿人家族の特別傍聴券を持つて傍聴に来ていて、私とも知合の間柄だつた。
 (珍らしいな、後で声をかけよう)
 そう思って私は再び真崎大将の証言に耳を傾けた。
 ところが公判が終了すると、村中は忽々〈コツコツ〉として法廷を出て行く。その足どりは何故か慌てている。私は直ぐにその後を追つた。
 すると村中は後の足音に気がついたのか、ヒヨイと振り向いて私の顔をチラリと見た。だが、何時もの彼なら必ず法廷で私と額を合せるとニコリと笑つて会釈〈エシャク〉する彼だ……その彼が私の顔をチラリ見た瞬間! 顔を伏せると,サツと走り去つたのだ。
 (不可解な村中の態度……しかも公判は最終段階――例の切迫した情報……)
 三つを結びつけた私の胸はドキリと鳴つた。
 『何にかあるぞ?』思わず呟やいて、予感とでも云うか、そんな時の私の独特の鼓動が益々高鳴つていた。【以下、次回】

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