◎青年将校らは前もって関係者に蹶起を通知した
福本亀治著『秘録二・二六事件真相史』(大勢新聞社、一九五八)の第三章「動乱の四日間」を紹介している。本日は、その九回目。
前回まで、三回にわたって、「嵐まさに到らんとす」の節を紹介した。同節のあと、「遂に流血革命」、「事件の裏に婦道の華」、「奇怪な弾丸の出所と謎の通報」の各節が続くが、このうち、「遂に流血革命」、「事件の裏に婦道の華」の二節は割愛し、本日は、「奇怪な弾丸の出所と謎の通報」の節を紹介したい。
奇怪な弾丸の出所と謎の通報
これも事件にからんだ一つの話だが、決行の時に使用された実弾の出所問題だつた。
先づ当日早朝第一、第三連隊の下士官兵が非常呼集を受けて営庭に集合すると、それぞれ約六十発宛の小銃弾を手渡された。そして「この弾で十日間位は占拠する」と伝達されたと云う。ではこの蹶起部隊がどうして数万発もの実弾を入手したのだろうか? そしてまた実弾を渡された下士官兵達がこの実弾に対しどうして不審を抱かなかつたのであろうか……常識から考えても夜間演習には実弾は不用の筈だ。
ところが事件後、この実弾の出所に就いて、始め当事者の青年将校が事実を打明け当局を驚かせたのである。
歩兵第三連隊では非常呼集に先立ち、弾薬庫係の下士官を脅迫して弾薬庫の鍵を出させ、弾薬庫を開いて弾薬を運び出したと云うし、また歩兵第一連隊では栗原〔安秀〕中尉等が戦闘射撃の都度「打殼〈ウチガラ〉薬莢の紛失を装つて」実弾を陰徳して置いたもので、勿論これは下士官以下に協力してもらつたと述べたからだ。
しかし、軍紀の厳正を誇つた日本軍隊で、果してそんなことが出来ただろうかと、当局は疑惑を持つていた。ところが事実は弾薬庫からでも容易に多数の弾薬を誤魔化すことが出来たのだ。
たとえば昭和十年〔一九三五〕の春であつたが、「軍隊の弾薬が市中に流されている」との情報を私は聞込んだことがある。
当時赤坂分隊長であつた私は苦心して探査の結果、やっと歩兵第三連隊で多数の弾薬が紛失していることが判つたので、連隊に捜査方を連絡した。
ところが連隊の幹部は連隊長井出宣治大佐が不在だから判らんと云う理由で、容易に捜査方を受諾しないばかりでなく、捜査を妨害する様な態度にさへ出た。
然し事は重大な軍規犯である。而も隊外に関連する事件である。遂に連隊も止むなく捜査に協力することになつた。その結果事実が判明して関係者も声をのんだ事がある。
弾薬係下士官が戦闘射撃や射撃演習のとき、各中隊から返納の薬莢を誤魔化したり、紛失を装つてはこれを隠匿しては秘かに在郷軍人会や青年団の射撃用に売却して巨利を得ていたのだ。だが驚いたことに連隊幹部は誰れも之を知らなかつたばかりでなく、善後措置を講ずる代りに「憲兵が連隊内の非違を摘発するのは怪しからん〈ケシカラン〉」と云つて憲兵分隊長〔福本亀治〕の左遷を強要して来たのだから呆れた。だが此の事件後幾何〈イクバク〉もなくして相沢事件が発生し、次で第三連隊の将兵を主体とするこの二・二六事件が発生したのは何と云う皮肉だろうと思う。
この実弾の出所問題と今一つの問題がある。これに就いては今だに私は割切れないものを感じている事がある。それは蹶起するほんの寸前か直後なのかそれははつきりしないのだが、当事者の青年将校等がそれぞれ分担して蹶起すると云う事を前以て関係者に通知したと云う事なのである。
これはまことに奇怪な話だが、本庄〔繁〕侍従武官長には山口〔一太郎〕大尉が通知している。【以下、次回】