◎そんな馬鹿げたことができるはずはない(安井藤治)
福本亀治著『秘録二・二六事件真相史』(大勢新聞社、一九五八)から、第三章「動乱の四日間」を紹介している。本日は、その二回目。
苦心の進言も笑殺さる
こうした情報を入手した憲兵隊では、相沢事件〔一九三五年八月〕以来、特に不祥事件の出現を未然に防ぐべく、寝食を忘れて活動する一方、これら将校の配下にある下士官、兵等の外出先、態度、言動にも怠りなく注視を配つていると、どうも普通でないものがある。
しかも彼等の言動から、断片的ではあつたが安藤〔輝三〕大尉や栗原〔安秀〕中尉の、いわゆる精神教育の内容或いは目標をどこに置いているかと云う事も判つて来た。
また、この頃から目立つて夜間演習が頻繁に行われ出し、特に露骨と思われる、警視庁襲撃の想定の下に堂々と三宅坂で夜間演習をやるなど、只事でない様相である。
(この事態は何を物語るか……容易に看過出来るものでない。彼等が秘かに抱き、口で唱える国家革新、それは兵力に依るクーデター以外の何ものでもない。必ず危険な一事が出現するぞ)
私の脳裏には三月事件以来のさまざまな事柄が脳裏にコビリつき、或いは去来して来た。
そのうち一月下旬頃であつたと思うが、私はこれ等の綜合情報から利断して、一刻も事態を放置しておけないと考え、警備司令部の安井藤治〈トウジ〉参謀長を訪れた。そして、
「青年将校等の武力蹶起の危険が感ぜられる情勢にあります。速に〈スミヤカニ〉警備対策を行う必要があると思います」
とこれまでの状況を説明する一方、警備対策の一刻も早からん旨を力説した。ところが安井参謀長は何を云いに来たかと云つた態度で、言下に、
「警備司令部が得た情報ではそんな心配はない……青年将校が軍隊を率いて武力革命を起すなんて、君、そんな馬鹿気たことが出来る筈がないぢやないか」
と鼻であしらわれた上、一笑に附されてしまつた。
だが、神ならぬ私は、あくまで青年将校が革命を起すと断言は出来ないにしても、安井参謀長が如何なる資料に基づいて私の力説を架空的風説として笑殺したかは知らないが、おそらく『軍紀厳正な日本軍隊が一部の青年将校等に動かされるような、そんな馬鹿気たことの起ろう筈もないしまた有り得ない』と云う強い軍隊観からの信念がそう云わせもし、軽視し去つたのか、或いは他に、何等かの意図があつて故意に私の説を拒否したのか、その真意が奈辺〈ナヘン〉にあつたのか、今でも私は疑問に思つている。
しかしこれは独り安井参謀長に限らず、当時の各参謀長とか軍の指導階級にあつた、いわゆる高級将校がこうした態度を示すことは別に不思議ではなかつた。殊に上級者の中でも陸大出身の指導階級となると、下級者や平組将校に対する態度は概ねこんなものだつたので、反対するにも反対の甲斐がなかつたと云つてよかつた。
また一般に陸大出身者は互に相扶け〈アイタスケ〉、その言動や報告も権威あるものとして重視され、そうでない者の言動や報告などは威信のためにも殊更に軽視し、そんな事は君等に言われたり教えられたりしなくても、とうの昔に知り尽していると云つた体裁をつくろうとする特権意識が普通だつた。
だから私もこの様な軽蔑的取扱いは従來からしばしば受けて体験済だつたので、安井参謀長のいわゆる『陸大出身に非ざれは人に非ず』の不遜な態度にも耐えたものの、この戦略、戦術万能の持主と思い上つた事大思想が国軍の健全な発展に、そして軍紀の確立上にどれだけ多くの害毒を流した事か。
それは兎に角〈トニカク〉、後に事件が発生したとなるや、警備司令部のあの狼狽〈ロウバイ〉振りは! 手の置きどころ……足の踏場さえ間違える醜態だつた。だが、今その事が重点ではないから他日の機会に譲るとしても、青年将校等の動向は一分、一秒毎に刻々と身を削られるような危険感となつて私に迫る。こうなると、一秒も放置出来なくなつた。【以下、次回】
文中、「平組将校」という言葉が出てくるが、たぶん、「ヒラの組の将校」の意味であろう。だとすれば、読みは「ひらぐみしょうこう」。
なお、著者の福本亀治は、警備司令部の安井藤治参謀長が、福本の力説を笑殺したことについて、いくつか、ありうる理由を並べ、最後に、「何等かの意図があつて故意に私の説を拒否したのか」と述べている。これは、実に、含みの多い言葉である。当時の軍部上層部の中に、一部青年将校に、そういう動きがあるならば、「逆にこつちが御して対政治的策謀に利用してやろうと云うような気配」があったことに、福本は気づいていた(昨日のコラム参照)。だからこそ、そのようなことを言ったのである。