礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

すれちがう車に鶯姫が「ありがとさん」と挨拶

2021-05-24 01:43:56 | コラムと名言

◎すれちがう車に鶯姫が「ありがとさん」と挨拶

 雑誌『自動車の実務』第三巻から、宮本晃男の「東日本一周ドライブから」という連載記事を紹介している。本日は、その五回目。本日、紹介するのは、連載第三回(第三巻第三号、一九五三年三月)の前半。

=国産乗用車=
 東日本一周ドライブから ⑶
  越後路を柏崎・長岡・新潟・秋田・弘前へ……  宮 本 晃 男

   穀倉を信濃川にそって
 小さいけれども整頓して美しい柏崎市をたったのは10月13日(月曜日)の朝9時10分だった。
 昨日高田市から朝日新聞社長岡専売所のニュースカーでアナウンスしながら私と橋本記者の運転するトヨペットを先導してくれた若くて美しい鶯姫は、昨晩は長岡の自宅に汽車で埽宅し、今日はまた朝早く一番の汽車で柏崎に来て、また私たちを新潟まで先導してくれることになった。
 近頃の東京辺の女事務具のある種の人々にくらべて田舎の彼女たちのまじめな生活ぶりは私共に深い感銘と喜びとを与えた。
 手製らしい質素な洋服に包んだ彼女の身体からほとばしる美しい新潟弁は、何か、かつての勝太郎の佐渡おけさのそれのような味が感ぜられた。
 私たちの東日本一周の径路や主旨を紹介しながら、ゆきちがう他車とすれちがうとき「ありがとさん」と挨拶する彼女の声は、印象的で、今も忘れない。
 小雨のやんだ道を曾地〈ソチ〉峠にさしかかったのは10時近くであった。
 峠はなかなか嶮しく〈ケワシク〉、ずるずる、ずるずると橫辷り〈ヨコスベリ〉する危険な道を注意しながら漸く越えた。
 長生橋〈チョウセイバシ〉をわたり、大空襲からようやく復興した長岡市を一周した。
 かつての山本五十六元帥の生家があっただけに、その空襲は特に激しかったといわれるが、柏崎や新潟にくらべて気の毒である。しかし復興振りを見るとその底力には敬服しないではいられない。
 長岡で小憩の後、見付、燕、三条の町を訪問、これから国道をひた走りに走り信濃川のほとりを下り新潟市にむかった。道幅はわずか二車線のせまい道であるが、小砂利の路面はかたく走りやすい。
 川のふちで草をかむ牛や山羊と青い空にうかぶ綿のような白い雲が川面〈カワモ〉にうつって春さきのようなのどかな風景である。
 途中地平線はすべて田と接し、その中に彌彦山が蔭画を浮べている広い風景は越後平野の象徴でもあろうか。

   お米のありがたさ
 柏崎、長岡、新潟、鶴岡、酒田、秋田、これらの地方を走ってしみじみ感じたことは、田、田、田の連続であり、夜遅くまで稲の取入れに懸命な、老人、子供、女、男の貴い姿を見たときであった。
 これらの人たちのお蔭で毎日の食事が続けられることを思うと本当に一粒の米も粗末にはできない。子供のときたたみの上にこぼした飯つぶを火鉢の中に捨てかけたのを父がみつけて「きたないと思ったらこぼさないようにしろ、がまんしてたべろ、米を作っているお百姓の苦労を知らないから、そんなことができるのだ」と、しかられたことなど思いうかべながら、仕事の手を休めて私共のトヨペットを見送る人々にむかって感謝の手を振った。

   川辺の柳に暮れる新潟
 新潟市をはるか信濃川のかなたに望むころ陸運局、トヨタ、朝日支局の方々の出迎えを受け、市中行進にうつった。
 新潟市の小学校で映画と講演の会を催し、夕刻、呉清源と藤沢〔秀行〕八段の対局で名高い小甚別館に夢を結んだ。ここ二日間囀り〈サエズリ〉続けたニュースカーの彼女に花を贈って労をねぎらった。川辺の柳に暮れる新潟は、戦禍の跡もなく、いつきても美しいと思った。
 翌朝〔10月14日〕10時ガソリンを補給、新潟トヨタに挨拶し、新潟陸運局に寄った。特に新潟は道が悪いから気をつけてとの深切な助言をいただいて出発した。
 しかし、沼垂〈ヌッタリ〉から新発田〈シバタ〉間を走ってみてびっくりした。耕地整理のお蔭で道路はまっすぐであり、四車線の砂利道は手引〔ママ〕が完全に行きとどき、すばらしい快スピード (数字は忘れたことにします)で、振動はなく、全く良い乗心地で新発田についた。【以下、次回】

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