礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

文法は中等学校に於ける唯一の精神科学的存在

2021-05-10 02:32:58 | コラムと名言

◎文法は中等学校に於ける唯一の精神科学的存在

 橋本進吉著作集第一巻『国語学概論』(岩波書店、一九四六一年二月)の「解説」(時枝誠記執筆)から、「橋本進吉博士と国語学」を紹介している。本日は、その二回目。

 一度西洋言語学の軌道に乗つた国語学は、それ以後絶えずその影響の下に学問的体系を補訂し、これを整備することに努力して来たのであるが、就中〈ナカンズク〉昭和の初、小林英夫氏等によつて紹介されたフェルディナン・ソシュールの学説は、我が国語学界に甚大な影響を及ぼしたのであるが、橋本博士の理論体系にも亦その著しい痕蹟を見出すことが出来るのである。しかしながら何といつても、博士の研究の主題が、国語の歴史的研究にあつたといふことは、その業績を通して見ても明かであり、博士が大学に於いて後進を指導せられたのも亦主としてその点であつたのである。
 歴史的研究に於いては、その前提として、研究資料の探索とそれに対する厳密な批判が先づ行はれねばならない。博士の業績の中で、文献の書誌学的研究或は伝記的研究が少からぬ部分を占めるのも、そのためであつて、博士は嘗て、自分は国語の歴史的研究に志して、しかも資料の探索や批判に拘つて、未だ歴史的研究にまでは及ぶことが出来なかつたと謙遜を以て語られたことを記憶してゐるが、しかし組織立つた国語史研究にまでは到達せられなかつたとしても、博士の諸研究が、将来国語史が編述される場合には、貴重な資料となり得るものであることは明かであり、時代の上より見、又問題の領域の広さより見て、博士の研究は確かに大きな存在である。古本節用集〈コホンセツヨウシュウ〉、天草版吉利支丹教義、上代特殊仮名遣、仮名字源等の研究が、殆ど凡て国語の史的見地に立つてなされたものであると見ることは許されるであらう。このやうな研究主題に対して、博士の精緻にして、事をいやしくもされなかつた学風が、如何に幸したかは、直接間接に博士の薫陶を受けたものは皆知るところであつて、東京帝国大学に於ける博士の門下生の研究が概ね史的研究を主題にしてゐるのを見ても、博士の感化の如何に深いものであつたかを知ることが出来るのである。 
 国語の史的研究の外に、博士は又文法学者としても大きな業績を残された。文法研究は、明治以来歴史的研究と併行して、これ亦重要念国語学上の課題となつたのであるが、国語の文法を明かにし、これを組織するといふことは、一つには実用上の目的から考へられたことであるが、同時にそれは国語の尊厳を保ち、国語に対する尊重愛護の念を高めるために必要なことと考へられ、多くの学者によつて努力が傾けられた。印欧言語学の系統研究及び歴史的研究を移してそれに主力を注いで来た東京帝国大学の国語学は、文法学に対しては、比較的冷淡な態度をとつて来たのであるが、博士は大学在学中から、文法特に文章法の研究に専念せられ、それが校本万葉集の編纂や吉利支丹文献の調査によつて、次第に実証的に深められ、やがて国語法要説(国語科学講座の中)や、国語学概論(岩波講座日本文学の中)第三章第二項の文法学説となつた。博士の言語学説の根柢には、ソシュール学説の言語本質観が多分に認められるが、博士のいはゆる文節論は、その文法学説の具体的な出発点をなすもので、従来の意味を基準にした文の分析に対して、言語の音韻的面を考慮に入れた博士独自の見解に基くものてある。教科書「新文典」が、その懇切を極めた別記と相俟つて、中等学校の文法教授に大きな貢献をしたことは事新らしく述べる必要がないであらう。教科書「新文典」を契機として、博士は又国語教育特に中等学校に於ける文法教授に対して深い関心を示されてゐる。それは従来の文語文法中心に対して、口語法の教授を取入れられたことであり、しかも口語法を先づ教へ、しかる後に文語法に入るといふ方法であつて、それは文法教授を単なる読書作文の規矩準縄として教授することから進んで、文法教授によつて、生徒自身の精神生活を内省し、観察させようとされたことである。文法は中等学校に於ける唯一の精神科学的存在であるからである(岩波講座国語教育「国語学と国語教育」第四項)。【以下、次回】

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