礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ただ兵力を以て御国内を御制圧遊ばされ候やう……(福沢諭吉)

2021-05-04 04:40:35 | コラムと名言

◎ただ兵力を以て御国内を御制圧遊ばされ候やう……(福沢諭吉)

 福沢諭吉の「長州再征に関する建白書」を読解している。本日は、その六回目で、「第二条」の⓭を読解したい。

⓭右の次第に付格別の御英断を以て外国の兵御頼相成防長二州を一揉に取潰し相成候様仕度尤外国の兵を御借被成候は人心に指響き且は御入費も莫大との御掛念も可被為有候得共人心不居合と申は太平の時為指源因も無之に不計世間の騒立候事も可有之哉とて恐れ候得共現今御国内の戦争に及候義此より外の御掛念は有之間敷則人心不居合の極度に御座候間最早此上は世間の雑説に御動揺不被遊唯兵力を以て御国内を御制圧被遊候様仕度総て名義と申は兵力に由り如何様にも相成候事にて光秀が信長を弑候得ば直に光秀へ将軍宣下又秀吉が首尾能く光秀を誅し候得ば則豊臣家の天下と相成 天子も之を称し世間にても之を怪候者無之何れも皆兵力の然らしむ所にて既に此度長賊の官軍え奉対苦戦仕候も万一勝利を取らば京都へ伐ていで朝敵の名を勤王に変じ恐れ多くも官軍え朝敵の名を与へ候目論見にこそ可有之右の次第に付朝敵と云ひ勤王と云ひ名は正しき様に相聞候得共兵力の強弱に由り如何様とも相成候ものにて勅命抔と申は羅馬【ろーま】法皇の命と同様唯兵力に名義を附候迄の義に御座候間其辺に拘泥いたし居候ては際限も無之次第況して此度の御征罰は天人共に怒る世界中の罪人御誅伐被遊候御義名実共に正しく何一の御掛念も不被為有義に付断然と被為思召外国の兵を以て防長御取潰し相成其上にて異論申立候大名も只々直々其方へ御簱被為指向此御一挙にて全日本国封建の御制度を御一変被遊候程の御威光相顕候様無御座候ては不相叶義に奉存候

 これが⓭だが、一文としては、やはり長すぎる。ここでは、これを六つに区切った上で、読解してみたい。

⓭ⓐ右の次第に付格別の御英断を以て外国の兵御頼相成防長二州を一揉に取潰し相成候様仕度

 右の次第につき、格別の御英断を以て、外国の兵〔を〕御頼み相成り、防長二州を一揉〈ヒトモミ〉に取潰し相成り候やう仕度〈ツカマツリタシ〉。

《補足》ここで句点を打つ場合、「仕度」の読みは〈ツカマツリタシ〉。読点を打って続ける場合は〈ツカマツリタク〉。

⓭ⓑ尤外国の兵を御借被成候は人心に指響き、且は御入費も莫大との御掛念も可被為有候得共、人心不居合と申は太平の時為指源因も無之に不計世間の騒立候事も可有之哉とて恐れ候得共、現今御国内の戦争に及候義、此より外の御掛念は有之間敷、則人心不居合の極度に御座候間、最早此上は世間の雑説に御動揺不被遊、唯兵力を以て御国内を御制圧被遊候様仕度

 尤も外国の兵を御借り被成〈ナサレ〉候は人心に指し響き、かつは御入費も莫大との御掛念も可被為有〈アラセラレベク〉候得ども、人心不居合〈フオリアイ〉と申すは太平の時、為指〈サシテ〉源因も無之〈コレナキ〉に、不計〈ハカラズ〉世間の騒立て候事も可有之〈コレアルベキ〉やとて恐れ候得ども、現今御国内の戦争に及び候義、これよりほかの御掛念は有之間敷〈コレアルマジク〉、則ち人心不居合の極度に御座候間〈アイダ〉、最早この上は世間の雑説に御動揺不被遊〈アソバサレズ〉、ただ兵力を以て御国内を御制圧被遊〈アソバサレ〉候やう仕度〈ツカマツリタシ〉。

《補足1》「為指」の読みが難しいが、文脈から判断して、〈サシテ〉と読んだ。
《補足2》「御制圧被遊候様仕度」で句点を打つ場合、「仕度」の読みは〈ツカマツリタシ〉。読点を打って続ける場合は〈ツカマツリタク〉。

 ⓭ⓑにおいて福沢は、かなり大胆なことを言っている。今は戦時なのだから、「世間の騒立て」などに気を配っている余裕はない、兵力を以て長州を制圧することのみに専念すべきだという提言である。
 第一条で、外国の人心に対する配慮を提言しておきながら、国内の人心に対しては配慮不要と言い切っている。福沢諭吉という思想家を理解するうえで、注目しなければならない発言である。
 まだ、⓭の読解は終わっていないが、以下は次回。

*このブログの人気記事 2021・5・4(8位に極めて珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする