礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

トヨペットのオープンカーで東日本一周ドライブへ

2021-05-20 02:34:24 | コラムと名言

◎トヨペットのオープンカーで東日本一周ドライブへ

 数か月前、このブログに、「宮本晃男、九州でボロボロの民営バスに乗る(1946)」という記事を載せたことがあった(2021・2・9)。これは、『自動車の実務』の第二巻第一号(一九五二年一月)に乗っていた、宮本晃男(てるお)のエッセイを紹介したものだった。
 宮本晃男は、『自動車の実務』という雑誌の常連執筆者だったようだ。同誌の第三巻第一号から第五号にかけては(一九五三年一月~五月)、「東日本一周ドライブから」というドライブ日記を連載している。
 この「東日本一周ドライブ」がおこなわれたのは、一九五二年(昭和二七)一〇月。詳細は不明だが、東京朝日新聞社が企画し、これにトヨタ自動車会社が協賛したものらしい。
 ドライバーは、東京朝日新聞の橋本記者と運輸省技官の宮本晃男、使用する車は、トヨペットSD型フェートンである。トヨペットSD型は、トヨペット・クラウンが出る直前のトヨペットで、SD型フェートンは、そのオープンカータイプである。
 本日以降、このドライブ日記を紹介してみたい。本日、紹介するのは、連載第一回の前半。

 東日本一周ドライブから
  =東海道を名古屋へ=    ◇宮 本 晃 男◇

 10月7日午前10時2分前トヨペットSD型フェートンのエンジンをかけた、油庄も水温も、そしてエンジンの調子も快調である。
 私は湧き返る歓送の渦の中で東京朝日新聞本社玄関の電気時計と自分の腕時計の針とをじっと見くらべた。
 さあ出ましょう、とハンドルを握る橋本記者をうながし、正10時スタ一トした。
 スキヤ橋を渡り、新橋を過ぎ、泉岳寺前から品川八ツ山の陸橋を越し京浜国道を一路西え、六郷橋をわたり、送って来た朝日新聞や、トヨタ自動車会社のトヨペットに別れると、これから二千数百粁〈キロメートル〉の前途と、未だ空からより見たことのない(札幌から東京経由鹿児島よりまだ長い)東北の悪路、次々と立ちふさがる峠の数々、まだ性能も十分わからないトヨペットのことを思うと、いささか淋しい感じがした。
 かつて朝日の塚越〔賢爾〕航空機関士から飛び方を習って、はじめて岡田航空官と二人一式双発高練〔一式双発高等練習機〕で松戸から九州に飛んだ日のことを思い浮べた。
 いくら朝日新聞の依頼でも国産車でそんな長距離を走ったら、車の方が運よくもったとして、君の身体がまいってしまうよ。などと中止をすすめてくれた深切な人たちのことも思い浮べた。この頃から雨が降ってきて寒くなった。
 しかし、今国産乗用車が、欧米の外国車輸入の荒波に押されて危機にあるとき、自動車技術行政の一端を荷う一員として、国産乗用車の代表ともいうべきトヨペットの特質をしっかりつかみ日常の仕事の正しい指針にしたい熱意にも燃えた。
 未だ十分に知らない、終戦七年目の東日本の現状も、どんな道路をどんなにして自動車が走っているかも認識したいと思った。
 こんな計画を進めてくれた朝日新聞、心よく自動車を提供したトヨタ自助車会社に対しても、運輸省自動車局の面目にかけても是非予定のダイヤ通り一周したいと思った。
 神奈川トヨタと桜木町の朝日新聞横浜支局に寄っているうちに40分以上も予定時刻に遅れてしまった。
 途中の雨に幌〈ホロ〉の骨がさびついてうまくひろがらなくて苦労したためもあった。
 横浜からしっかりハンドルをにぎってまっしぐらに東海道を走った。
 程ケ谷の峠で紙をつんだトラックが一台橫すべりして転覆し、クレーンで引上げ作業中であった。
 ちらばったまっ白な紙が印象深く、私たちの車の前途に注意せよ! の信号に感じられ今更ながら前車の轍の諺を思い浮べた。
 小田原まで四十数粁/時の快速で雨の東海道松並木を横目でちらり、二人共だまったままひたすら前方を見守った。
 大磯を通るころ、広島から東京まで無停止運転の東洋工業の泥だらけの勇ましい三輪車マツダ号に会って思はず手を振った。
 私たちはあの車の三倍近くを走らなければならないと思うと重い気持だった。
 しかしちらっと見る運転者の顔は同じ苦労をしている人に対する同情の念でいっぱいだった。
 箱根越えは嵐の中だ、いつもとちがった男性的な景色は一入〈ヒトシオ〉趣きが深かった。
 中学生時代先生に引率されて歩いて越えたことも懐しく、風の声が、箱根の山は天下の嶮 の歌声のように耳にひびいた。
 雨と三菱石油のオクタンガソリン(一般市販売品)のおかげか、エンジンの調子はますます良く、全然ノッキングもなく、セコンドとサードギヤで猛スピードで登り続けた。上りはブレーキがすぐ効くから高速で走る方が良い。
 重い荷物を山のように積んだトラックが次々と上り下りしている。
 いさましいエンジンの音、トヨタ・トヨベット、ニツサン、ふそう、ミンセイ、日野などのトラックを頼もしく見送った。
 昔箱根で会ったトラックやバスが、フォード、シボレー、ホワイト、ウーズレーやスイス製ザウラーなどで国産車は一台も見られなかったことと思いくらべて感無量であった。
 乗用車もかくありたい。
 芦ノ湖を見下し、関所跡を過ぎ、立派なコンクリートほそうの道をエンジンブレーキで下りながら、やがて雲の切れ目から平野を見下し、やがて沼津にすべりこんだ。今日はあいにく富士の姿は見えない。しかし今日は見物どころではない。
 沼津から吉原えの道は旧街道を避けてショートカットした四車線のまっすぐな砂利道が、松林にそって作られている。
 雨で泥沼のような道を、国産のトラックが60キロ余の高速でサーッと走っている姿は実に美しい。
 自動車は止めて見るものでない。重い荷物をつみ,泥だらけとなりほこりや、しぶきを上げて走る姿も又格別だと思った。
 夕刻予定の正6時静岡についた。歓迎会や講演、映画の会に出席し、静岡の朝日支局やトヨタ自動車会社のもてなしを受けて旅第一夜を明した。【以下、次回】

 朝日新聞の橋本記者のフルネームは未詳。当時の朝日新聞の記事を見れば、わかるかもしれない。
 同じ時期、東洋工業(現・マツダ)が、オート三輪車マツダ号による、広島から東京までの「無停止運転」を試みていたこともわかり、興味深い。

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