◎勅命などと申すは羅馬法皇の命と同様(福沢諭吉)
福沢諭吉の「長州再征に関する建白書」を読解している。本日は、その七回目で、「第二条」⓭の残りを、読解したい。
⓭ⓒ総て名義と申は兵力に由り如何様にも相成候事にて光秀が信長を弑候得ば直に光秀へ将軍宣下又秀吉が首尾能く光秀を誅し候得ば則豊臣家の天下と相成 天子も之を称し世間にても之を怪候者無之
すべて名義と申すは、兵力によりいかやうにも相成り候事にて、光秀が信長を弑し候得ば、ただちに光秀へ将軍宣下、また秀吉が首尾よく光秀を誅し候得ば、則ち豊臣家の天下と相成り、天子も之を称し、世間にても之を怪しみ候者無之〈コレナシ〉。
《補足1》「天子」の前に、一字、闕字がある。
《補足2》「怪候者無之」で句点を打つ場合、「無之」の読みは〈コレナシ〉。読点を打って続ける場合は〈コレナク〉。
⓭ⓓ何れも皆兵力の然らしむ所にて既に此度長賊の官軍え奉対苦戦仕候も万一勝利を取らば京都へ伐ていで朝敵の名を勤王に変じ恐れ多くも官軍え朝敵の名を与へ候目論見にこそ可有之
何れも皆、兵力の然らしむ所にて、既にこの度、長賊の官軍え奉対〈タイシタテマツリ〉苦戦仕り候も、万一勝利を取らば、京都へ伐つていで、朝敵の名を勤王に変じ、恐れ多くも官軍え朝敵の名を与へ候目論見〈モクロミ〉にこそ可有之〈コレアルベシ〉。
《補足》「可有之」で句点を打つ場合、その読みは〈コレアルベシ〉。読点を打って続ける場合は〈コレアルベク〉だが、続いて「右の次第に付」とあるので、やはりここは、文を区切るべきである。
⓭ⓔ右の次第に付朝敵と云ひ勤王と云ひ名は正しき様に相聞候得共兵力の強弱に由り如何様とも相成候ものにて勅命抔と申は羅馬【ろーま】法皇の命と同様唯兵力に名義を附候迄の義に御座候間其辺に拘泥いたし居候ては際限も無之次第
右の次第につき、朝敵と云ひ、勤王と云ひ、名は正しきやうに相聞え候得ども、兵力の強弱によりいかやうとも相成り候ものにて、勅命などと申すは羅馬【ろーま】法皇の命と同様、ただ兵力に名義を附け候までの義に御座候間〈アイダ〉、その辺に拘泥いたし居り候ひては、際限も無之〈コレナキ〉次第。
《補足》「羅馬」への振り仮名「ろーま」は、原文にあったものか。
⓭ⓕ況して此度の御征罰は天人共に怒る世界中の罪人、御誅伐被遊候御義名実共に正しく、何一の御掛念も不被為有義に付、断然と被為思召、外国の兵を以て防長御取潰し相成、其上にて異論申立候大名も、只々直々其方へ御簱被為指向、此御一挙にて全日本国封建の御制度を御一変被遊候程の御威光相顕候様無御座候ては不相叶義に奉存候。
まして、この度の御征罰は、天人ともに怒る世界中の罪人〔を〕御誅伐被遊候御義〈オンギ〉、名実共に正しく、何ひとつの御掛念も不被為有〈アラセラレザル〉義につき、断然と被為思召〈オボシメシナサレ〉、外国の兵を以て防長御取潰し相成り、その上にて異論〔を〕申立て候大名も、ただただぢきぢき、その方へ御簱〈ミハタ〉被為指向〈サシムケナサレ〉、この御一挙にて全日本国封建の御制度を御一変被遊〈アソバサレ〉候ほどの御威光〔を〕相顕はし候やう無御座〈ゴザナク〉候ては不相叶〈アイカナワザル〉義に奉存〈ゾンジタテマツリ〉候。
ここでは、⓭ⓓ、⓭ⓔに注目したい。⓭ⓓで福沢は、長賊が官軍(幕府軍)に勝利すれば、長賊が「官軍」となり、幕府軍が「賊軍」となるという。さらに⓭ⓔでは、朝敵、勤王などの「名義」は、結局、「兵力の強弱」によって決まるという認識を示している。いわゆる「勝てば官軍」の論理である。
⓮⓯⓰⓱の読解は、次回。