◎松本市役所前で萱野登美子嬢から花束を受けた
雑誌『自動車の実務』第三巻から、宮本晃男の「東日本一周ドライブから」という連載記事を紹介している。本日は、その四回目。本日、紹介するのは、連載第二回(第三巻第二号、一九五三年二月)の後半。
福島〔長野県西筑摩郡福島町〕近辺は道がせまいが、何分木曾谷の側面の山をけづって道をつけてあるので、これ以上ひろげられぬところが多いので場所によっては谷の反対側の山はだをけづって道を作り、川の右と左に各々一方通行の道を作って交通の緩和を計っているところもある。
この点東海道のような広い道幅とは異り、狭いが、地盤は硬くなかなかしっかりした道である。
10月11日(土)は午前8時15分木曾福島をスタート、快調なエンジンにものを云わせて一気に鳥居峠を上り、正9時頂上に達した。
おろく櫛に名高いこの峠は中学生時代修学旅行で奈良井から歩いて通った道で、懐しかった。
頂上から奈良井の宿を見下した景色は正に天下の絶景である。
約1時間で塩尻に入った。途中美しい蜀黍〈モロコシ〉の畠が続き昭和電工の工場が人工の美をほこっていた。
トヨタ松本支店の小池さんがラジオカーをもって出迎えて下さった。
12時頃松本市に入り、市役所前で多数の市民と松本市長松岡文七郎氏の歓迎の辞を受け、可愛らしい萱野登美子嬢から花束を受けた。
30分余り城下町の市中行進の後、青木峠から姨捨山〈オバステヤマ〉の嶮を越え上田市に抜けた。
上田から千曲川のほとり、屋代〈ヤシロ〉、長野間は木曾路と異り坦々たる道路で、心ゆくばかり秋の善光寺平と、これをかこむ信州の山々を楽しむことができる。
上杉勢と武田勢の正々堂々の戦いの跡を偲び、やがて信濃川、犀川〈サイガワ〉を渡って長野に入った。
朝日新聞社長野支局のサイドカーや、長野トヨタのトヨペットに迎えられて夕刻の長野の市中を走った。
市中のラジオは、私たちの東日本一周のトヨペットが長野市に入ったとアナウンスしていた。
10月12日(日)午前9時半長野発、10時16分若月で見送りの朝日支局員、長野トヨタの方々や陸運事務所の宮入さん達とお別れし牟礼〈ムレ〉峠に向った。
秋の信濃路は美しく、やがて前方に花嫁を乗せたトヨペットセダンを追い越した。
すれちがうとき橋本記者が手をあげてお目出とうございますと声をかけたのは楽しかった。
牟礼峠を越しやがて柏原〔長野県上水内郡信濃町柏原〕につくと道の右側に俳人小林一茶がなくなられた有名な土蔵がある。
黄色い土蔵と柿の木に二つ三つ残ったしぶ柿と青い空が目にしみた。
〝我と来て遊べや親のない雀〟は天才小林一茶が十才のときの作であった。
柏原から30分余で野尻湖畔についた。12時昼食をすませ秋の野尻湖は静かで人の訪 れも少く淋しい。野尻湖はやはり夏が良い。
戦国時代の熊岡長半〔長範〕で有名な長半峠〔長範峠〕を越すと、やがて妙高、焼山〈ヤケヤマ〉を望み、山橇に赤レンガで美しい赤倉ホテルが見える。
長野と新潟の県境を越え、関山、新井を過て高田市を通り直江津に入ったのは3時近くであった。
日本海岸に出ると家の造りも木の色も山野の色も全く木曾路、信濃路とは異り、夏から急に冬になったような感じである。
直江津からは日本海の海岸ぞいに柿崎を通り、三階節で名高い米山峠の嶮にかゝった。はたして米山は荒れて雨が降り、これに夕陽を受けて美しい虹の橋がかゝり、シベリヤから吹く強い風に引きちぎられたような松が、ひょうひょうとして海岸の岸ぺきに立つ姿は太平洋側では見られない荒凉とした風景である。
それと海岸を洗う白い荒波は何か我国情を語るような思いがした。
米山峠には明治天皇休けいの茶屋があり、これからはるか美しい佐渡の島が見える。
静かな海水浴場として有名な鯨波〈クジラナミ〉を通り、正6時柏崎、市役所前につき大歓迎を受け、試写会を開き夜は岩戸屋に旅の夢を結んだ。【以下、次回】