◎栗子峠に比べれば箱根はものの数ではない
雑誌『自動車の実務』第三巻から、宮本晃男の「東日本一周ドライブから」という連載記事を紹介している。本日は、その九回目。本日、紹介するのは、連載第五回(第三巻第五号、一九五三年五月)の前半。
=国産乗用車=
東日本一周ドライブから ⑸
福島から郡山・宇都宮・前橋・高崎・浦和・東京へ 宮 本 晃 男
栗子峠の嶮を越す
10月22日は10時10分上の山温泉米屋を出発赤湯を経て米沢に入った。
米沢市内を一周、昼食の後いよいよ板谷〈イタヤ〉峠の険を越えて福島に抜けることになった。
米沢盆地は南は磐梯、吾妻〈アヅマ〉、東は金山〈カネヤマ〉、蔵王、西は朝日岳、飯豊〈イイデ〉の山々に囲まれ、最上川の上流にうるおされて美しい街である。道は一車線半、自然の砂利と岩の道で、岩でできた鋸の歯の上にタイヤをこすりつけて登るような道である。このような道で栗子峠を越えた。
思わずハンドルをにぎる手も汗ばみ、学生時代剣道の試合で強敵に相向ったときのような緊張をおぼえた。
岩又岩の道のどこに右の車輪をどこに左の車輪を持って行くか、そのせんたくに次々と気をくばりハンドルをしっかりにぎりつづけた。
急勾配の山肌をけずってできた2米に及ばない絶壁にまいたはちまきのような道を走った。セコンドギヤとローギヤの使い分けで走る。幸いエンジンも快調である。
なかなか頂上が見えない。崖下を見下している暇もないほどハンドルのさばきが急がしい。23年間の運転を省みてもこんな緊張した運転はなかったように思う。
ずるずる、ずるずると右左に車輪がずれるのをハンドルとアクセレレーター〔Accelerater〕の加減で走るスリルはなんともいえない。
この点後の関東平野の平々凡々のドライブと比較したらやはりこのような難コ一スには味があって楽しい。
これは暴風雨の中の飛行に似たスリルの楽しみがあると思った。
箱根越えなど、ものの数ではない。
頂上に300メートルほどの立派なトンネルがある。こんな石の頂上に石やセメントを運んでトンネルを作った土木技術家の努力に頭が下った。 右側にその昔、手掘りで作られたトンネルがならんでいる。
トンネルがなければこの山は越せないのだ。このような道を走ると、私どもは自動車を使う以上汽車とレール、レールがなければ汽車は走れないという公理を、自動車にも道路やトンネル、橋などがないと走れないという定義に十分結びつけて考えなければならないとしみじみ感じた。
このような嶮路になるとロードクリアランス(最低地上高)の低い外国製の乗用車ではとても走れない。
栗子峠の頂上で一休みし、いま上って来た羊腸たる細い道をはるかに見下して、よくも上って来たものと感心した。
そしてこれで東日本一周も無事に終了したようなものだと思った。
橋本記者も同感だといっていた。
頂上に飯場〈ハンバ〉がありトンネルや道路工事の人々が生活していた。一人の若い婦人が岩清水で食器を洗っていた。こんな嶮しい山の頂上で、多勢の荒くれ男の炊事をしている姿は神々しくたのもしく見えた。このようなけなげな女性の力があってこそ、このような山奥にトンネルも道路も築かれ、私たちの自動車も無事に走れるのだと思った。
午後3時無事福島に着いた。上の山から栗子峠越えは約100kmの行程であるが、全行程中もっとも張合いのあるコースであった。
10月23日庭の池ではねる大きな鯉の水の音で目がさめた。
福島トヨタや陸運事務所の心づくしの歓送を受けて南下した。
福島市は山地と、奥羽山脈とに囲まれた盆地の中にある。道は陸運事務所の整備課長の言の通り、立派なコンクリートのほそう道路で、甲州街道のような感じで、60km近い時速で気持よく走った。
直線コースが多く、昨日の難コースに比べたら張合いのないくらいの良い道である。
予定よりはるかに早く郡山〈コオリヤマ〉に入った。
途中松川町の近くで多数の小学生が日の丸の旗を手に手に道の両側に整列し、私どものトヨペットが行くと、みんな大よろこびで手をふるので、橋本記者も大歓迎とばかり感激して大いにこれにこたえた。
ところがしばらく行くと警察のジープを先導にパッカード乗用車にお召しの秩父宮妃殿下がお出でになり、早速キャノンで記念に1枚シャッターを切った。生徒さんたちは国民体育会への妃般下のお出迎えであったとわかって橋本記者と大笑いした。
郡山で昼食後、小学校で講演し、須賀川〈スカガワ〉、矢吹を経て白河に入った。
白河の関跡は近くにある。道は砂利敷であるが、手入れはよく、両側の高原のすすきの白い穂が、秋の風を受けてなよなよと波を打つ姿は一入旅愁をさそった。
このあたりで八溝〈ヤミゾ〉山脈の高原と福島、栃木の県境を越し、いよいよホームグラウンドの関東に入った。
那須野に入ると道は広いが路面は悪く荒い砂利道であるが、自動車は快速で走れる。
今日の名言 2021・5・28
◎岩でできた鋸の歯の上にタイヤをこすりつけて登るような道である
運輸省技官の宮本晃男が、栗子峠越えの道を表現した言葉。上記コラム参照。ちなみに、この道路は、1952年(昭和27)12月4日から「国道13号」と呼ばれるようになった。宮本晃男らが走ったのは、同年10月22日のことだったが、その時点で、この道が何と呼ばれていたかは不明。