◎あれは、いまの天皇が、だめだと言っている
『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その十四回目。
禁忌としての天皇陵発掘
吉本 網野さんのいまのご指摘は、網野さんのお仕事の特徴であるし、またその延長線上で出てくることで、ほんとに能力もあってエネルギーもあって、そしてちょっと神がかっ たみたいな人が出てきたら、それはまた違うことがありうるんですよね。
網野 いかにいまの産業社会が続いて社会が大変化をとげてもその危険性は残っている。天皇家の歴史そのものの持つ危険性ですね。そういう意味では、吉本さんのいわれる通りやはり消えてもらったほうがいい。より早く消えたほうが安心だと思いますね。もちろん、僕の生きている間に消えっこないんだけれどもとにかく出来るだけ、天皇家のそういう怪しげなところを全部暴き出しておいたほうが、あとあとのためにいいんじゃないかと思って いるんです。
ほんとうに、江戸時代の天皇については、まだあまりわかっていないんですよ。宮地正人〈ミヤチ・マサト〉さんが「政治史における天皇の機能」(『天皇と天皇制を考える』〔歴史学研究会編、青木書店、一九八六年八月〕)で書いていますけれど、俺は第百二十何代の天皇だという意識を、江戸時代の天皇は持っていた。自分が 「皇統連綿」を担う君主だと意識しているんですね。
そのなかで明治天皇はさきほどでたように強烈な性格だったらしくて、次から次と嫌いな男を政治的な操作をして排除している。幕末の危機の中でやはり明治天皇という天皇史上指折り数えられるようなアクの強い人間がでてくる。
こういう危機的な状況は当然、日本にもこれから先いろいろに起こりうると思う。その中で、歴史の偶然がたまたまどんな人間を天皇家の中から生み出すか、それはわからないですね。もちろん三笠宮や浩宮を見ていたら、こんなことを僕が言うこと自体、奇妙な感じがするぐらいだけれども、これだけはわからないですね。その気味悪さは、ああいう歴史を背負った王朝のあるかぎり、どうしても残る。生きているうちに何かやるとしたら、そこのところをどうしたらいいか……もう少しわかってからあの世にいきたいという……(笑)いやいやそうですよ、もうそんなに長くないんだもの、いずれにせよ。
川村 岩波新書の『象徴天皇』〔高橋紘著、一九八七年四月刊〕のなかで、一つあれっと思ったのは、宮内庁の記者を長くやってた人が書いたんですけど、天皇陵発掘というのは、いままで宮内庁が一生懸命やめろやめろということで、やらせなかったというふうに思っていたんですけど、実は、あれは、いまの天皇〔昭和天皇〕が、だめだと言っているというような、そういうふうに匂わせる個所があったんですね。
そうすると、これはいまの昭和天皇がだめだと言っているんだ、あの人が生きているかぎり、絶対、天皇陵発掘は出来ないんだということになりますね。
僕は、頭の固い宮内庁の役人がいて、そんなことはだめだというふうに言っていると思ったんですが、どうもそうではなくて、天皇自身が、それはいけないということを言ってるらしい。そういうニュアンスで受け取ったんですけど、そういうでは、さっき言った昭和天皇の性格とか、そういうものというのは、そこにかなりの程度反映していて、天皇陵を掘らせないという、そこのところで、あの人が頑張っているんだなというふうに、ふっと思ったんですよね。
そういう意味で言えば、昭和天皇がもっと別なことを、たとえば天皇制の根幹に関わる大きな変更を言い残したり、あるいは皇太子にやらせようとしたりということも、可能と言えば可能なわけですよね。
網野 微視的に言えば、そういうことはありうるでしょうな。
吉本 その手の情報というのは、すこぶる怪しいよ。そんなこと、その場にいなけりゃわかるわけないよということになるから、あんまりじゅうぶんには根拠にはなしえないですね。
川村 天皇陵みたいなものが、いつまでたっても発掘できないというのは、いったい誰が、どういう形でそれを禁忌としているんだろうかということを考えたわけですが、それがシステムというよりやはり明瞭な個人の意志にあるという意味で面白く思ったんですがね。【以下、次回】
ここで、川村湊氏は、話を「天皇陵発掘」に振っている。このあと、網野と吉本が、それぞれ、この問題に関するエピソードを披露することになる。
なお、網野は、この対談のとき、満五十九歳である。「もうそんなに長くない」と弱気になっているが、亡くなったのは二〇〇四年二月、満七十六歳のときであった。ちなみに、吉本隆明は、この対談のとき、満六十一歳。二〇一二年三月に、満八十七歳で亡くなっている。