◎選ばれた検事が検視のため現場へ出かけた
茂見義勝著『検事の目』(近藤書店、一九五〇)から、「あのときのことども」という文章を紹介している。本日は、その二回目。
二
あちらこちらの関門を何とか切り抜けて、殆んどすベての同僚が顔を揃えた頃には、事件の大体のりんかくが判つてきた。一部の陸軍部隊が直接行動に出て、首相官邸その他を襲撃して、首相その他の重臣を殺害した。そして、朝日新聞社にも襲撃を加えたらしいということであつた。しかしながら、この重大事件が、これからどうなつてゆくのかということは、だれにも全然わからなかつた。そこに大きな不安の核がのこつていた。
日比谷公園の裏の道をつたつて行つてみると、宮城前の広場の入口にも、銃剣をつけた姿がつつ立つていて、鉄条を張つて誰も寄せつけなかつた。
警視庁との連絡は全然できないが、不思議にも警察電話だけは通じて、(これは後で判つたことであるが、警視庁の電話交換嬢は反乱軍の包囲のうちに終始交換台を死守したのであつた。)警視庁の移転先は神田錦町署ということであつた。
警察から送つてくるべき身柄付の事件も全然来ないし、こちらから呼び出しをかけておいた呼出人も、殆んど出頭して来ないとなると、検事の取調事務は停止である。それに、公判も全然開廷される見込はないとなると、検事も書記も全く手持無沙汰になつてしまつた。一般の職員はいつたいどうしたら良いのであろう。それに、この重大事件はこれからどう発展するのだろうか成行が気にかかる。上司はどう考えているのだろうか。上司はいま何をしているのであろうか。ふだんは気にならなくても、こんな非常の事態になると、当然に上司のことが大きくクローズアツプされてくる。
ところが区検事局には、上席検事の姿はついぞ見えなかつた。地方検事局に問合わすと、これもはつきりしたことを決める人がないらしく、ただ検事総長が自宅で、東京検事長と共に執務している、というニユースが伝えられただけで、どうするかということは何も云つては来なかつた。退屈と不安とは容易に不満に転化するものである。用がない職員早目に帰宅させた方が良いのではないか、暗くなつては帰り道が危い。しかし、職員に対して適切な指揮を欠くことが、如何なる結果を産むかということを、上司はだれも気が付いてはいなかつた。
一方他方検事局の検事達は別の問題で緊張していた。
重臣達が暗殺されていることは間違いないとすると、これは検事として当然現場に出張して検視をしなければならない事件である。しかし、この革命に似た騒ぎの最中では、現場にはまだ武器を持つた兵隊が居て、寄りつけないところもあるらしく、果して無事に検視が出来るかどうか、それは疑問である。といつてこの武装革命的空気に恐れて、職責上当然の手続を見送つて良いものであろうか。
「検事が知つた以上、すぐに手続をとるべきだ。」
「そうだよ、我々は憶病者だと後世に笑われたくない。」
「これが最も大切な検事の仕事じやないか。軍隊が何だ。倒れてもやろう。」
同僚の中から特に選ばれた検事が、特に二人で一組となり、その数組が同僚と悲壮な水盃〈ミズサカズキ〉を交わして、同じ覚悟の書記を連れて現場へ出かけたのであつた。
これは上司からの命令というよりも、むしろ検事それぞれの心に涌き上つた、共通の責任感が凝つた結果であつた。それだけに、検事は誰れも斗魂とでもいうものに燃え始めていた。
検視組はやがて無事に帰つて来た。首相官邸以外では、全部目的を遂げたのであつた。第一線検事の職責は果された。ところで刻々に緊張してゆく情勢は、戒厳令をさへ予想せざるを得なくなつた。今夜は何ごとが起きるかわからない。特別に増員された宿直検事等は、日の暮れとともに、全く世の中と隔絶され武装兵に占領された、淋しい霞ケ関の一画にとじこもつて、夜を撤して待機していた。そして夜中の午前三時半、遂に戒厳令が事実となつて発動されたのである。【以下、次回】
文中、「特に選ばれた検事が、特に二人で一組となり、その数組が同僚と悲壮な水盃を交わして、同じ覚悟の書記を連れて現場へ出かけた」とある。検視のため、数組の検事が事件現場に赴いたようだが、これは周知の事実なのだろうか。寡聞にして、このことに触れた文献を、これまで見たことがない。
なお、この検視組は、首相官邸では、その目的を遂げなかったらしい。その事情は、不明だが、もしこの検視組が、首相官邸で検視(検屍)をおこなっていたとすると、たぶん、その後の歴史は変わっていたであろう。