◎天皇制論には二つの流れがある(網野善彦)
『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その七回目。文中、(……)は、引用の際、省略した箇所を示す。
天皇論の二つの流れ
川村 いままで天皇制という言葉で簡単にわかったような気になってしまっていたことがあると思うんです。天皇制という言葉自体の成り立ちとか、これはこの前、田中克彦さんの本で読んだことなんですが、天皇主義、天皇制度という言葉の間での揺れがあって、最終的に左翼的社会学用語として「天皇制」が定着するわけですね。天皇制という言葉自体の問題として、つまり天皇個人を不在にさせていくことによって、システムとして実は天皇制があるんだというような論理が、わりあいと多いんじゃないかなという気がしてたんですよ。
つまり、なるべく天皇という存在には触れないで、天皇制反対論であっても、天皇個人の問題ではないんだから、それには触れないという形で、天皇制論というのをやっていたような気がしていたものですから。
網野 天皇制あるいは天皇論には二つの流れがあると思いますよ。いまたまたま吉本さんがおっしゃったけれども、後醍醐と後鳥羽、それに古代の天智や天武。それに明治。こういう性格の非常に強い天皇がいるわけで、いままでの天皇論の中でそういう人々にだけ目を向けていくやりかたがあった。戦前の「皇国史観」はそうだったんじゃないですかね。
戦後の天皇制批判のなかでも、そういう専制的な連中を、極悪人として槍玉にあげる批判の仕方が、一方であったと思うんですよ。
天皇制を支持するほうは逆にこういう天皇を天皇のなかでもっとも優れた天皇だという言いかたで押してくる。これに対して天皇制支持のほうでも戦後はとくにそうだと思うけれども、津田左右吉や石井良助氏のようにそういう天皇は天の例外であるとする。いま川村さんがおっしゃろうとしたのは、その辺のことに関係するのだろうと思うのですけれどもね。どちらかと言えば無性格な天皇に天皇制の本質を考えようとする。だから天皇不執政論は、そちらの系列から出てくる議論だと思うんですね。ただこの両方を分けてしまうと具合がわるい。これはいま吉本さんのおっしゃったとおりだと思いますね
川村 (……)
網野 (……)
川村 (……)
網野 (……)
川村 昔、天皇陵みたいなものを暴いてしまえば、天皇制なんていうのは崩壊してしまうんだという言いかたに表れるような、天皇制がはじまる以前と、はじまってからと、以前によって以降のものを無化することを吉本さんはモチーフとして持っていらっしゃった。その起源に遡って明らかにしてゆけばその結果としての後世は解ける。一種の神話批判ということで古代に焦点をあてる方法だと思うんですが、それに対して、網野さんは、ともかく存続している天皇制自体を見極めるというところに中心があると思うんですが、中世というところに力点を置かれたということは、どういうところからなんでしょうか。
網野 それはまったく偶然ですよ。そんな戦略を最初から持っていたわけじゃない。僕はどこにいても、きっと同じようなことをやったと思いますよ。僕は吉本さんより少し若かったから、吉本さんが、正成の歌にイカレたとおっしゃったけれども、僕は、吉本さんのように真面目でもなかったからイカレ方が少なかった。それだけに敗戦体験に深刻の度は欠けている。しかしやはり程度の差はあれ、吉本さんと同じようなこだわりは持っているんでね。もし僕が、たまたま江戸時代を研究していたとしても、古代をやっていたとしても、同じことになっていたと思いますよ。ですから、これはまったく、たまたま中世、だっただけなんですよ。
川村 天皇制というものは、変容しつつ生き延びてきたということがあって、それのもっとも目立ったピークとして中世があったというふうにお書きになっているように思うんです。
網野 それもやはりたまたまなんですよ。ただ高校の教師をやっていれば、原始から日本史を喋るわけで、何べんも繰り返して話しているうちに、このへんはひとつ、かなり大事なところだなという感じは持ちはじめておりましてね、しかもまさしくたまたま僕は中世をやっていたし、戦後の歴史学のあり方にはまた別のこだわりを持っていたので、こういうことになったということなんですよ。最初から必然性をもって、目的意識的に勉強していたわけでも何でもないですよ。それは買い被りですよ。
川村 そういう形で展開されると、王権論というよりは、先程の自由民、〝無縁〟の民としての百姓というか、それを構成していく、受入れかつ作り上げていくほうに重点を置いていられるのかなという気がするんです。つまり天皇制という、王権それ自体というよりも、それを支え構築している、その大部分は百姓としての自由民というものが連綿として続いてきている日本人の大半の部分、それが常民としていまにつながっている。王権よりも、それを支えている、それをつくっているほうに網野さんの視点は向かっているのかなという感じなんですね。
川村氏の最後の発言は、氏がここにいたって(?)、網野の問題意識を、ほぼ正確に捉えたことを示している。