◎話を近代のほうに近づけたい(川村湊)
『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その十回目。文中、(……)は、引用の際、省略した箇所を示す。
吉本 僕は、網野さんが書かれたもののなか関連づけて言いますと、西の国家と東の国家は別の民族なんだと言ってもいいような差違が考えられるんだとおっしゃった。
それからもう一つは、日本人が単一民族からなるというのは、それはとんでもない、違うことなんだというふうに言われていたと思うんです。僕もそれと関連するわけですけれども、日本人というのは、単一民族どころか、たぶん、現存するどの近代国家に比べても、日本人ほど多種多様な種族から成り立っているのはないんじゃないかとそう思っているわ けです。(……)
もう一つは、網野さんが言われている西と東で、中部地方のどこかを境界線として、習俗も違うし、方言の使い方も違うし、さまざまなか違ってなんとなく断想らしきものが見つけられそうな気がするみたいです。その二つが、区分とまでいかなくても、なんとなく区分けが出来そうな気がします。柳田国男が山人という言い方をしているものは、網野さんの言われる非農耕民ということに対応するんでしょうが、山人と言っているものと、それから平野で稲作の農耕をしている人との間には、連続もありますけれども、断層も考えていいみたいな、ことは漠然と言えそうじゃないか。(……)
網野 (……)
最近の考古学者の研究によると、旧石器時代以来北から入ってくる文化の流れは、だいたい中部ぐらいで止まる。つまり何十万年前からあの辺が文化の流れの境になっているともいわれていますね。
そういうことを考えると、これから地域史の問題を考えるときには、いろいろな複合を考えていくと、日本の社会がずっとよく見えてくるんじゃないかと思うんですけれどもね。
川村 話を近代のほうに近づけたいんですが、網野さんは、ヒントという形でおっしゃっていると思うわけですけれども、南北朝と高度成長の時期が日本史のなかでも、二つのメルクマールであって、というふうな形でおっしゃったわけですけれども、現代になって、いまのお話の文脈で言うと、複合的なものを、単一化しようという動きで、近代化ということが非常な勢いで進んできたというのは、まぎれもないことだと思うんですね。そういう複合的なもの、多様性を、全部殺しながら展開してきた。ですから中曽根発言みたいなものも、あれは理想として日本民族を単一化したいということでもあると思うんです。
そういう動きというのは、近代に出てきて、そしてそれは完結するかどうかわかりませんが、高度成長を経て、それはかなり実現化しつつあるんじゃないかという気がするんですが、話を現代のほうに移して、そのへんのことはどうでしょうか。【以下、次回】
昨日(九回目)、引用した箇所で網野は、長い発言のあとに、吉本に対し、「そのへんをもうちょっと伺いたい」と述べていた。本日、引用した吉本の発言は、それを受けてのものだったようだが、どうもピントがずれている。少なくとも、網野が期待したものではなかったと思う。
網野の発言にあった「贄」という制度をめぐる問題、発達した文字社会を通して常民が「公」に吸い取られるという問題等に対して、吉本は、まったく反応していない。この点については、「司会」の川村氏も同様である。問題意識を共有してもらえなかった網野は、かなりガッカリしたのではないだろうか。