礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

天皇家は南朝を背負っている限り……(網野善彦)

2022-01-16 02:04:54 | コラムと名言

◎天皇家は南朝を背負っている限り……(網野善彦)

『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その十三回目。文中、(……)は、引用の際、省略した箇所を示す。

  天皇制をいかに無化するか    
川村 吉本さんは、最近、天皇制ということはあまり言われていないで、その代わりといいますか、アジア的という言葉に言い換えられていらっしゃると思うけれども、いまの網野さんのおっしゃったことと、やはりそれは重なるんでしょうね。
吉本 僕、実感からいいますと、それまでは戦争に対して批判的だったオールド・リベラリストと言われていた、そういう人達が天皇制を存続させるべきだという考えかたに傾いたわけですよね。
網野 もともとそうだったんでしょうね。 
吉本 そうなんですよ。そうしておいて、だけれども、そう傾いたことは、わりあいにそのときの日本の民衆の気持には合っていたんだと思います。
 僕等はどう思ったかというと、ポツダム宣言のなかで、たしか天皇制は存続されるというふうに解釈が出来るような意味合いのニュアンスがあったんですね。それならば受諾するみたいな。ほんとうは勝手な思い込みかもしれないんだけれど、そういうニュアンスがあった。
 それは僕等も天皇制という言葉ではなかったんですけれども、天皇体制ですよね、それさえ存続されるならば仕方がないやみたいなことを、敗戦を自分の心に受け入れるときの 柱にしたように思うんですよ、自分で。(……)
 だから実感に即して言えば、僕はリベラリストのあれがよかった。あの当時の民衆の気分を代弁していたと思っているわけです。あれはまずかった、首の皮一枚でつながっているのは、取っちゃうべきだったというふうに思えるようになったのは、遥か後になってからですね。自分なりにいろんなことを考えたり、追及したりして、自分なりの考えをつくれたと思ってきてから、やっぱりあのときに、なんでもかんでも、首の皮一枚を取っちゃっておけばよかったんだ、だから象徴天皇制というのはだめだったな、あれが限界だったなというのが、僕の実感です。
 それで僕は、このごろ言わなくなったんですが、たぶんこの象徴天皇制は、早急にじゃないですが、ひとりでに消えて薄れていくことを頼みにするのが、いちばんいいんだろうなという感じなんですね。(……)
網野 (……)
吉本 (……)
網野 (……)
川村 (……)
 だからそういう意味では、天皇制もしぶといというか、いろんな形で、乗り越え工作をやると思うんです。昭和が終わるというのは目前になっているわけですが、その後ということで、皇太子を飛び越して、浩宮あたりに、なんか新しい形でスイッチさせる。もちろん象徴天皇制の延長なんですけれども、ややちょっと変わった形でもってくる、そういうのはわりあいと、ここ何年間かは、やるんじゃないかなという気がするんですけどね。 
吉本 川村さんの言われるのは、象徴天皇制と立憲君主制的な天皇制というものの、その間の揺れの問題の射程に入っちゃうんじゃないですかね。これを立憲君主制にしようという動きは出てくるかもしれない気がします。イギリス風の王室にしようというのと、象徴天皇制のままでいいというのと、その間の揺れぐらいではあると思います。
 でも、もし復活とか、恐ろしいとかというふうに、それこそ異形の色合いを塗ったとしたって、その程度じゃないでしょうか。つまりイギリス王朝的になるかなということまでは言えるけれども、それ以上また王政でとかってね、またアジア的ディスポティズムみたいか神政君主制になるかというと、僕はなかなか信じがたい気はしますね。
 でもこれはいろんな面からまた、いまの天皇制とか天皇の問題は、ちゃんと調べたり、追及したりしなければいけないから、猪瀬〔直樹〕さんの『ミカドの肖像』〔小学館、一九八六年一二月〕みたいなアプローチの仕方も、一つの方法みたいに思います。いろいろな意味ではっきりさせていくことは、課題としてあるような気がします。
網野 唯一の危険は、天皇家のなかにそういうカリスマが現われることですね。それはわからないですからね。われわれには。
吉本 それはほんとうにわからない。
網野 天皇家はそういう血を背負っているから……いやいや、それはそうですよ。いまの天皇家の顔触れを見ているかぎり、吉本さんのおっしゃる通りになっていくと思いますね。
 長い歴史の射程で見れば、君主制、王制がいつかはなくなることは疑いないですからね。ただ天皇家の中にはまだ不気味なところが残っているんですね。南朝問題がそこにでてくる。南朝を背負っている限り、否応なしにそういう問題がでてくる。
 それはもはや君主制にはならないかもしれませんが、さっき川村さんのおっしゃった、天皇個人の性格の問題ともつながる問題でね。なにがでてくるか、これはわからないですよ。【以下、次回】

 本日、引用した部分で、注目すべきところがふたつある。
 ひとつは、川村湊氏が、発言の中で、「その後ということで、皇太子を飛び越して、浩宮あたりに、なんか新しい形でスイッチさせる」という予想をおこなっていることである。その「予想」から二十数年たった二〇一九年五月、平成天皇が生前退位し、浩宮徳仁親王が新天皇に即位するという出来事があった。「皇太子を飛び越して」という予想は外れたが、「象徴天皇制の延長なんですけれども、ややちょっと変わった形でもってくる」という点では、川村氏の予想は当たったことになる。
 もうひとつ注目すべきところは、網野が、「唯一の危険は、天皇家のなかにそういうカリスマが現われることです」、「天皇家の中にはまだ不気味なところが残っている」などと発言していることである。網野のこの発言は、「天皇家」に関して言うと、現実的なものではなかった。
 しかし、この対談のあった一九八七年六月に、「オウム神仙の会」が「オウム真理教」に改称するという出来事があったことに注意しなくてはならない。その後、麻原彰晃というカリスマ的指導者の下で、同教団は、急速に発展してゆく。そして、一九九五年三月には、ついに「国家の顛覆」をはかるまでに至る。
 先の網野の言葉は、「唯一の危険は、日本人のなかから、そういうカリスマが現われることです」、「日本人にはまだ不気味なところが残っている」などと言い換えると、にわかに現実味を帯びたものとなる。

*このブログの人気記事 2022・1・16(9位の「関係の絶対性」、10位の「ホレーショの哲学」は久しぶり)

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