礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

網野さんも、ああ、やっておられるなと……(吉本隆明)

2022-01-06 03:53:10 | コラムと名言

◎網野さんも、ああ、やっておられるなと……(吉本隆明)

『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その三回目。文中、(……)は、引用の際、省略した箇所を示す。

  異形の王権としての天皇制     
網野 幾内の王権が出来るときと、鎌倉幕府の成立する時期では時代も違うわけだけれども、幕府は完全ではないにせよやはり王権としての性格を持っていると思うんですね。いま海の話も出たわけですが、東国の社会は西国とはその根元でかなりちがっているし、幕府は戦争のなかから生まれた王権、つまり戦士的な王権という性格が強い。頼朝が幕府を樹立した当初さかんに巻狩りをやる。大がかりな狩猟を国々を歩き回りながらくりひろげて、王権としての権威を固めようとした時期があります。あの方式は結局、貫徹してはいないと思うんですが、こういう戦士的な性格は、どちらかといえば自然のリズムをとりこむことによってその権威を保ってきた畿内の王権とはかなり異質なものがあると思うんです。
 先程の後醍醐天皇の問題にしても、こういう問題と関連させて考えないと、十分展開出来ないのではないかと思いますね。
吉本 後醍醐天皇のつくろうとした王権の構想は、明治以降の天皇制で言いますと、統帥権だけが、天皇に直属するわけですが、そういう意味合いで、各職掌とか各分野とか、全部を後醍醐天皇のところに直通するような制度をつくろうとしたという意味になりますか、つまり一種のディスポティズム〔despotism〕を復活させようという意味合いになりますかね。
 ひとつは後醍醐政権ということと、もうひとつは異形の者達、つまり埒外〈ラチガイ〉の者達の勢力を、宗教的な意味でも、武力的な意味でも支えにしてつくられた政権だという面は、網野さんが一生懸命掘り出されてやっておられますけれども、そういうことと、制度としては太政官会議みたいな公家が中間にいて、政治を代行するみたいな、そういう官制を止めてしまって、全部直通しようとしたと、そういう意味になりますか。
網野 そのようですね。佐藤進一さんが、非常に具体的に証明なさったんですが、太政官会議はぶち壊してしまうんですね。もちろん壊しきれなくて、だんだん後退しますけれども、狙いはどうも確実にそうだったようです。
 ですから、佐藤さんは、宋朝風の君主専制国家を後醍醐は目ざしていたのではないかといっておられます。後醍醐はたしかに外国かぶれというか新しいもの好きなところがありますから、宋元の文化、政治に非常につよく影響されているんじゃないかと思うので、僕も佐藤さんのいわれる通りだろうと思うんですね。
 ですから、もし建武政府が長続きしたら、おそらく、それまでとはかなり異質な王権、異質な支配体制が出来たことは間違いないでしょうね。
 とくに奈良時代に銭をつくって以来、寛永通宝ができるまで銭をつくろうという発想を持ったのは、後醍醐だけなんですね。しかも元〈ゲン〉をまねて紙幣まで作ろうとしている。これは単純な復古などではない。商業への依存についても、もちろん後醍醐の少し前から商人を組織しようという動きは、多少とも公家のほうから出てきていますけれども、それを後醍醐は極端に思いきってやろうとしたといってよいと思います。
吉本 (……)
網野 (……)
川村 (……)
網野 (……)
川村 (……)
網野 (……)
吉本 網野さん、いっとう最初言われた、明治になってから、南朝正統論というふうになったでしょう。網野さんも、僕等と同じか、それより少し後かもしれません年代だとすると、南朝のほうが正統であって、かつ南朝に加担していた人達が物語や歌の中心だったですね。だから楠正成〈クスノキマサシゲ〉の「青葉しげれる桜井の」という歌があって、哀れっぽくて叙情的な歌なんですが、僕等も戦争中、青春期にあの歌にある哀れっぽくて「汝をここより帰さんは、我、私のためならず、己れ討ち死になさんには、世は尊氏のままならん。早く生い立ち大君に仕えまつれや国のため」、そういう感情と考えかたはまったく正統なんだというふうに考えて、だいぶ僕はイカレたほうですから、戦後には、この感性をさまざまな面で、どんなふうに壊していって何か違うものをつくっていけるのかということは、潜在的にとても大きなテーマでした。いまでもそうだと思います。
 その場合、網野さんが、これに異形という要素をくっつけて立証していきながら、民衆のなかの異形のもの、つまり非農民でもあるし、埒外の人でもあるしという、そういう者達の寄せ集め、支えが大きかったんだ、楠正成も、またそうだということからいきまして、王権の性格というところに持っていかれているということは、僕は戦争の年代のモチーフから言うと、ひとつの解答でもあるし、また解決でもあるという気がするんですね。そういう意味でも僕は、とても啓蒙されるところが多かったですね。
「青葉しげれる」みたいなものの感性のアピールする要素を、どういう否定の仕方が出来るだろうかということは、僕等なりに考えてそういう論理をつくろうと思ってきた気がするんです。自分勝手な見かたからすると、網野さんも、ああ、やっておられるなという感じかたを持ちましたですね。そういう意味でも、明治以降の天皇制の問題ともつながっていくような問題があそこにあるんだなという感じがしました。【以下、次回】

 ここで吉本は、戦争中に楠正成の歌にイカレた体験を語っている。これは、網野が対談の冒頭で、『異形の王権』の前提にある自分の問題意識は「南朝の問題」である、と述べたことを受けているのである。

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