礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

年貢廃棄を要求した一揆は起っていない

2022-01-07 02:44:47 | コラムと名言

◎年貢廃棄を要求した一揆は起っていない

『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その四回目。

網野 南朝の問題というのは、いまでもまだ大きな問題なんですね。吉川弘文館から出て いる『国史大事典〔ママ〕』で、最初は北朝の元号を、これがいちばん広く使われている元号だから ということでしょうけれども、表に出して、「南朝元号を必要に応じてカッコに入れる」という原則でやっていたのが、途中から引っ繰り返るんです。
 それには、右翼からと見られる圧力があって、編集委員の中にも、後醍醐天皇に北朝の元号を使うのはおかしいという意見もあったようで、それなりに筋が通らないという理由で明らかに南朝方であるものについては、南朝元号を表に出すことになるんですね。
 しかしもしそういうなら、頼朝の元号もあるし、鎌倉公方〈クボウ〉の元号もある。あらゆる元号についてそうするならば一応筋は通るにしても、南朝だけそうする理由はないではないか、大体南朝方ときめることのできない場合、例えば楠木正儀〈マサノリ〉などはどうするのか、だれが南朝方と判断するのかと言って、僕はこの事号〔ママ〕に書くのを一切やめてしまったんです。
 こういう問題が依然として生きている。これはこだわりすぎだという人もあるけれども、 やはり私は徹底的にこだわりたいと思うんです。僕も吉本さんとはほぼ同じ世代で児島高徳〈コジマタカノリ〉の「天勾践を空しうするなかれ」〔天は勾践を見捨てない〕のような同じようなムードの歌はよくおぼえている。それだけにこだわらざるをえない。
 ただ、戦争中には南朝よりももっと遡って、たとえば防人の歌や「海ゆかば」がある。こういう『万葉集』の歌は当時死ななくてはならない学生にも広く読まれたと思います。「異類異形」や南朝の問題とともに僕は、このごろ古代以来の平民のあり方について考えてみなくてはならないと思っているわけなんです。とにかく大変不思議だと思うのは、租庸調の調ですね。これを平民が都まで運んで行くのですけれども、このときの食糧は自弁なんです。ところが武蔵から運ぶ調の量と近江から運ぶ調の量には、なんの差別もついていない。つまり旅費は、ぜんぜん計算に入れられていないわけです。防人も、武器食糧自弁が原則なんですが、そういう制度が、もちろん後になると崩れてはくるけれども、ともあれ百年近くも維持されている。
 そういう公民―一般の平民のありかたは日本の社会でその後も、ずっとづついているの で、たとえば「年貢を廃棄せよ」という一揆は、日本の社会では一度も起っていないのではないでしょうか。年貢が高すぎるという一揆、強訴はいくらでもありますけれど、「年貢廃棄」を要求した一揆は起らないんですね。中世の年貢は、遡れば調、庸の流れを汲んでいるのですけれども、このように人民を「呪縛」してきた年貢とは、いったい何なのかということを考えざるを得なくなってきたわけです。先程の南朝の問題と合わせて、天皇につながる「公」といわれるもののありかたを徹底的に考えてみる必要があるということです。これまで歴史家は、これをアジア的な専制国家の下での奴隷根性としてアジア的奴隸制のあり方を示すものとして処理をしてきた。人民は専制支配の下での隷属民として、いやいやながら否応なしに強制的に引張り出されたという面だけを強調してきたと思うんですけれども、どうも僕は、そうではないと思う。
 律令下の公民を自由民と見る見方は川崎庸之〈ツネユキ〉さんが早くから主張されているのですが、 私もその通りだと思うので、古代だけでなく中世の平民百姓も近世江戸時代の百姓も、基本的には自由民といってよいと思うのです。問題はそうした自由民のありかたそのものにあるので、これはいままでのようにアジア的奴隷制として、外から見たものの言い方では処理できない。われわれ自身の問題だと思うんですね。そこのところをもうひとつ掘り下げて考えないと、天皇制をふくむ日本の社会の背負っている問題は、根本的には解決できないのではないか。われわれ自身でいまなおそういう問題を依然として背負いつづけているといわなくてはならない。
 それは、「常民」と民俗学者が言ってきた問題にも、もちろんかかわりがありますので、その辺を吉本さんに伺ってみたいと思います。【以下、次回】

 文中、『国史大事典』とあるが、これは『国史大辞典』と訂正されなくてはない。また、そのしばらくあとにある「この事号」は、文脈からして、「この事典」の誤植だと推察される。
 さて、ここでの網野が示しているテーマは、「公民」に関わる、きわめて遠大、かつユニークなものであって、注目に値する。網野は、吉本の「網野さんも、ああ、やっておられるな」という言葉を受け、吉本が、こうしたテーマに興味をいだくであろうことを信じながら、それらを打ち出したのであろう。
 では、吉本は、「その辺を吉本さんに伺ってみたいと思います」という網野の問いかけに対して、どう反応したのだろうか。

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