◎非常ベルの音でわたしは目をさましたんだ(岡田啓介)
本日からしばらく、岡田啓介述『岡田啓介回顧録』(毎日新聞社、一九五〇)を紹介してゆきたい。
『岡田啓介回顧録』は、今日、中公文庫(一九八七、二〇〇一、二〇一五)に入っているが、これは、岡田貞寛(さだひろ)編『岡田啓介回顧録』(毎日新聞社、一九七七)を底本にしている。岡田啓介述『岡田啓介回顧録』と岡田貞寛編『岡田啓介回顧録』とでは、表記などで若干の異同が見られるようだが、細かくチェックしたわけではない(岡田貞寛編『岡田啓介回顧録』のうち、ブログ子が参照できたのは、一九八七年の中公文庫版のみ)。
岡田啓介述『岡田啓介回顧録』から、当ブログで紹介するのは、第八章「二・二六事件の突発」である(一五七~一八九ページ)。
八 二・二六事件の突発
雪の朝悲劇の開幕
あのころ、すでに首相官邸には庭の裏手からがけ下へ抜ける道が出来ていた。五・一五事件で犬養毅首相が殺されたあと、なにかの際に役に立つだろうというので、つくったものらしい。がけっぷちのずっと手前から土をくり抜いて、段々の道になっており、そこを降りて行くと土のかぶさった門がある。土のかぶさった門と思ったのは実は小さいトンネルだったんだが……そこを通ってフロリダとかいうダンスホールの裏に出る。山王方面へ抜ける近道になっていたわけだ。話によると、永田町の官邸には秘密の通路があるとのうわさも世間にあったそうだが、たぶんこの道のことだろう。
義弟の松尾伝蔵は、とっさの間に、わたしをその抜け道へ連れだそうと考えたらしい。時刻は午前五時ごろだったか。つまり昭和十一年〔一九三六〕の二月廿六日の朝だ。非常ベルが邸内になりひびいて、その音でわたしは目をさましたんだと思うが、間髮を入れずに松尾がわたしの寝室にとびこんできた。
『とうとう来ました!』
という。わたしと同郷の土井清松巡査と村上嘉茂右衛門巡査部長の二人がいっしょだ。きたといって、なにがどれくらい来たんだ? ときくと、
『兵隊です、三百人ぐらいも押し寄せて来ました』
そんなにこられてしまっては、もうどうにもならないじゃないか、といえば、
『そんなことを言っている場合じゃありません。すぐ避難して下さい』
とわたしの手をひっぱる。そうかそれじゃあといって、寝床に起き上がり、庭へ降りようとした。雨戸はしまっているが、わたしの寝室の前にだけ非常用のくぐり戸がついていた。松尾はそれを開けて、まず庭にとびだした。
庭の向こうは築山〈ツキヤマ〉になっているんだが、大雪のあとで、一面まっ白くなっている。夜はまだ明けていないが、雪あかりで見通しがきく。松尾がしゃにむに飛びだすと、同時にパンパンと銃声が起こった。よく見ると庭にはすでに兵隊が散兵線を布いている。非常口の外には、わたしが当然そこから避難すると思っていたのだろう。清水〔与四郎〕巡査が先回りして待っていたが、この射撃であえなく倒されてしまった。松尾は、とてもここから避難することはおぼつかない、と見てとってまた家の中へ走りこんできた。
当時、官邸の中にはいたるところに非常ベルのボタンがあり、異変が起れば、これを押す手順になっていた。すると邸内のベルが鳴るばかりでなく、警視庁にも直通する。今になにか起こりそうだという空気は陸軍部内にあったのだし、いつ官邸が血気の将校などに襲撃されても防げるよう対策は講じてあったわけだ。本館から日本間へ行く境目には鉄製のシャッターがおろされて、夜間は、完全にさえぎられていた。窓にも全部鉄格子がはめられていた。護衛の警官は廿名ほどで、襲撃があったら最初の十五分はこのものたちで防ぐ。そのうちに警視庁の援隊がかけつけ、さらに二十分後には麻布の連隊から軍隊が出動するという段取りであったが、なんぞはからん、その軍隊が襲来してきたわけだ。警視庁の援隊は、予定どおりかけつけたものの、正門で兵隊たちに機関銃をつきつけられ、そのまま引き揚げたそうだ。警察は軍隊と戦うべきでない、と判断したためであるという。
ふろばで聞く銃声
外へ出るのは、もう手おくれである。松尾と土井、村上はわたしを抱きかこむようにして、廊下づたいに台所のほうへ向かった。寝室の隣に三坪くらいの中庭があり、その向こうがふろば、さらに向こう隣が台所になっていた。台所には、湯をわかすのにつかう大きな銅製のボイラーがあった。そのボイラーをたてにとるような形で、しばらく四人で立っていた。松尾は、よくまァ気がついたと思うのだが、台所へやってくるまでに廊下の電燈ひとつひとつ消して、まッ暗にしてまった。わたしらのいる日本間の玄関は厳重なつくりになっていたので、兵隊たちは、それをこわすのに手間がかかった様子だが、どうにかこじ開けることが出来たと見え、まもなく玄関のほうからひとつひとつ電燈がついて、だんだんこちらへ近づいてくる。わたしらをあちこち捜しているにちがいない。ところがまっ暗にしてあったおかげで、彼らの近づいてくる方向がよくわかる。つまり電燈のついたところが彼らのいる位置だと見当がつくわけだ。そこでわたしらはその方向とは逆の廊下に出て、彼らのうしろに回り、彼らがつけた電燈をまた一つ一つ消していった。
ぐるりと廊下を回って、またふろばのところへきたとき土井は、わたしをそのふろばへ押しこんで、ガラス障子をしめるや、向こうから五、六人の部下をつれてやってきた将校……その一隊に対して身構えたらしい。村上はふろばのわきの洗面所から、大きないすを持ちだしてきて、これをたてに、ふろばの外の廊下にがんばり、近づく連中にピストルで応射したが、たちまち撃ち殺されてしまった。このとき土井は、たぶんピストルのたまも撃ちつくしたのだろう、隊長らしい将校に飛びかかり、組み討ちになった。はげしい物音がふろばの中に聞えてくる。土井は柔道四段、剣道二段という剛の者で、手もなくその将校を組み伏せたが、相手には数名の部下がついている。うしろから銃剣で刺されて、ふびんな始末になった。
やがて物音はとだえた。土井を刺した兵隊たちもどこかへ行ってしまったらしい。倒れた土井は、まだ息があるようで、うめき声がかすかに聞える。わたしのいるふろば……ふろばといってもあまり大きすぎるので、ふだんは別のふろをつかい、ここは酒などの置場になっていた。からになった一升瓶がたくさんほうり込んである。わたしのぐるりにも、空瓶がいくつもあるのだが、ちょっと身動きすると瓶がカラカラと音を立てる。すると、土井が苦しい息の下から、
『まだ出てきてはいけませんぞ』
と、うめくように言うんだ。二、三度そんな注意をしてくれたとおぼえている。いつの間にか、そのかすかな声も聞えなくなってしまった。新婚早々の男だったが、もうこときれたらしい。【以下、次回】
読んでわかるように、口語調である。すなわち、岡田啓介が口述したものを筆記した形になっている。この聞き取り、筆録をおこなったのは、毎日新聞社で『毎日グラフ』の編集次長を務めていた古波蔵保好(こはぐら・ほこう、一九一〇~二〇〇一)だとされている。