◎日本の民衆は一人になったときに弱い(吉本隆明)
『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その十一回目。文中、(……)は、引用の際、省略した箇所を示す。
国家への挫折と民衆への挫折
吉本 系譜から考えて、中曽根というのは非転向の戦中派だと思っていますね。出自から言ってね。だからファッショでもなんでもない。つまり戦中派のうちのインテリでね、とにかく学生軍人ですね。敗戦時にそういう場所にいて、戦争で負けた、残念だ、悔しいということで日本国と一緒に挫折したわけですね。必ず俺はいつか日本国を再興して、再び世界の大国にするために政治家になるんだと考えたと思います。敗戦のときに挫折せる戦中派として、そう決心したと思うんです。そしてあの人は非転向のまんま、それを自分なりに貫徹したというのが、僕の中曽根に対する出自の解釈です。
僕も挫折した。軍人ではないですけれども、挫折した戦中派だと思うんです。ただ、挫折の仕方がどこが違うかというと、一つだけ違うんですよ。それは民衆に対しても挫折したんですよ、僕は。だけど中曽根は、民衆に対しては挫折してないと思っているわけ。だから日本民族は単一で、たいへん知的で、優秀で、アメリカはそれに比べればなどと言うのは、日本の民衆に対して挫折しなかったからです。ただ日本国家に対しては一度は挫折していると思うんです。だからそこが違うと思う。
僕等はやはり民衆に対しても挫折したんですよ。つまり明治以降の軍事大国みたいに育てられてきた日本の大衆が、兵士になって戦場へ行くと勇猛果敢で、命を惜しまず突撃して、玉砕もできれば、特攻もできるというイメージで、これほど勇敢なものはないという民衆評価が明治以降の近代につきまとっていました。
そうして逆に、アメリカの兵隊を見てみろ、クチャクチャ、いつでもガムなんか噛んでいて、鉄砲を担げば、逆さまに担いで、フラフラしてる。あれは強いわけないというアジア的論理がありました。
ところがフタを開けてみたら、ガムをクチャクチャやって、あまり統制は取れてないし、そのかわり自分の個性は持っていて、制度がどうであろうと、俺は知らない、俺は生きようと思うんなら生き残る、逃げようと思えば逃げる、生き延びようと思えば捕虜にもなる、そういう向うのほうがいざとなると強かったんです。それが僕等のものすごい反省なんですよ。
それだから、日本の民衆が勇猛果敢で、一糸乱れずなんかやれて、突撃しては死を惜しまずなんて、全部嘘だ、これほど弱い民衆っていうのはない。つまりそういうことについて、大勢でいるときは狐憑きになれるんだけど、一人になったときに、弱い民衆というのはないんだというのが、日本の民衆に対する僕等の挫折なんです。
とんでもないやつで、負けた負けたという敗戦の天皇の詔書があると、いっぺんに戦争やめて、武器は全部放り出して、食料品をいっぱい背負って、ノコノコ郷里へ帰ってくる、こんなひどい兵隊、軍隊なんてないってことです。勇敢なんて全部嘘だというのが、僕等の民衆に対する挫折なんです。日本人というのはそうじゃないというのが、はじめてそのときわかったというのが、反省の一つなんですね。
それはもちろん自分も含めてそうなんで、こっちもノコノコ動員先から帰ってきたんだから、人のことは言えないんです。だけど、あのひどさはないというのが、ぜんぜん信じられない、日本の民衆が強いという伝説は全部嘘というのが、反省ですね。
ところが中曽根はそこまでは反省しなかったんですよ。つまり民衆に挫折しなかったんですよ。だから、いまごろになって、日本民族は優秀でってことを言えるんだけど、僕はぜんぜんそうは言わないですね。それは違うと言いますね。日本人はだめだ、強さとか、そういうことで言ったら、ぜんぜんだめだ。武器を持たせればだめ、革命はだめ、革命なんか出来るわけはない、やるわけないし、出来るわけない、民衆はやらないんですよ。違う考えかたしなけりゃだめだというのが、僕等の敗戦のときからの反省でね。それはいまだにぜんぜん変わってないですね。そこのところは徹底して考えましたね。そこが僕等の中曽根に対する出自の違いなんです。(……)
川村 最初のところですが、中曽根がいわゆる単一民族国家というふうに言ってきたのは、 結局、民衆に挫折しなかったということと、もう一つは高度成長で日本が経済大国になったというのが、当然裏付けとしてあるわけですね。
そうすると、吉本さんが今おっしゃった言い方で言うと、戦争で負けたけれども、ここまで高度成長して経済大国になったじゃないか。結局これは負けたけれども、俺の理念は正しかったみたいな、そういう言い方を中曽根に許したというふうに思うんです。
吉本 (……)
川村さんは中曽根は嫌いですか。
川村 ええ、あまり好きじゃないです。
吉本 人格が? 印象が?
川村 印象がね。(……)
吉本 (……)
川村 (……)
吉本 (……)
川村 (……)
吉本 (……)
川村 (……)
吉本 (……)
網野が中曽根康弘首相(当時)の「知的水準発言」に言及した(第九回)ことがキッカケとなり、ここで吉本は、独自の中曽根論をぶちはじめた。網野としては、予期しない(歓迎しない)流れだったと思う。
しかし、この中曽根論において吉本は、みずからの「戦争体験」を語ることになった。それは、一言でいえば、日本の民衆に「挫折」した体験だった。吉本がこれを語ったことは、網野に強い印象を与えたようだ。対談の最後のほうで、網野が吉本に対し、「吉本さんは、戦争が終わったころ、どこにおられたんですか」と質問する場面がある。おそらく、ここで吉本が、戦争体験を語ったことが「伏流」となったのであろう。