礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

五人は汁粉屋に入って松阪検事の合図を待った

2022-01-26 00:14:31 | コラムと名言

◎五人は汁粉屋に入って松阪検事の合図を待った

 茂見義勝著『検事の目』(近藤書店、一九五〇)から、「あのときのことども」という文章を紹介している。本日は、その六回目(最後)。

      
 反乱が治るまで、他の重臣等と連日宮中に止つていた小原〔直〕法相は、帰庁すると検事総長問題が待つていた。とに角一度検事等に会つてよく話を聞きたい、という意向が伝えられて来た。少数の者と目立たぬようにして会いたいということであつた。これは松阪検事の仲介であつた。検事の中から代表者を選ばなければならない。地方、区の検事は再び集合してそれを協議した。その結果、一同に推されて決つたのが、地検代表として佐野検事、岸本検事、長尾検事、区検代表として佐藤次席及び私の五人であつた。
 八日の日曜日の朝、中野の法相自邸で会見することに決まつたが、これは極力外部に洩れないように工夫された。新聞記者はまだだれも、検事等が二回にわたつて大会合をしたことを全然知つていなかつた。ところが、いよいよ八日の朝になると、大臣に会はぬ先から、そのことが某新聞にのせられていた。中野の鍋屋横町で集合した五人は、松阪検事の到着を待ちながら、その記事に憤慨した。誰れか同僚で洩らしたものが居るにちがいない。検事の結束にも変化が起りかけていた。
 そのまま五人が松阪検事に伴われて、大臣の自邸へ行くことは、みすみす記者に捕まるようなものである。そこで五人は近くの汁粉屋に入つて、単身出むいた松阪検事の合図を待つことにした。それから大分時間がたつてからである、五人はやつとすきを見て大臣の応接間にかけ込んだのであつた。しかしもう、玄関先には記者の声がしていた。
 五人の前に現われた法相は日頃とちがつて、恐ろしい程に緊張した容貌であつた。開口一番先ず鋭い叱りの言葉が発せられた。しかもそれは、主として私に向けられていた。こんな時には一番の若輩が槍玉にあがるのが、話の順序というものであろう。しかしそれはほんの短い時間であつた。法相は一人一人から丁寧にその意見を聞き始めた。
 話はどうしても、今度の事件を起した陸軍に対する、検事の気持、検察の態度という根本問題に触れざるを得なかつた。われわれの説明をきく大臣は、われわれの世界に苦労した人である。現に、あの憲法学者の美濃部〔達吉〕博士に対する機関説問題について、不起訴処分を命じた事などが、軍の不興を買つて、今日にも成立しそうな新内閣に入れないのである。ここにこうして叱り、叱られてはいるが、内心に共通するものは、正義への熱情であり、暴力への怒りであつた。
 ひる前から降々出した雪は、その年になつて十四回目のものであつた。雪を恐れてやつと引あげた記者達のあとから、関秘書課長の手引でようやく血路をひらいて大臣の家を出た五人は、ともかくも揃つて一度役所へと引きあげた。
 破れ靴にしみ込んで来る雪の冷たさに震えながら、転ぶようにして駆け込んだ役所は、日曜のことではあり、火の気ひとつなくて森閑としていた。宿直の柳川検事が口をへの字に曲げて、その小柄な姿を現わした。先程憲兵が訪ねて来て、検事局に何か動きがあるのかとしきりにさぐりを入れて帰つたということであつた。もうこのようにこの問題が公になつたからには、われわれは今後どうしたらよいのであろうか。問題は次の段階にうつりつつあつた。
 ふと見ると降りしきる雪を通して、一つだけ電燈のついた窓が見える。ぼんやりと雪の中に浮んでいる。それは検事正室の燈であつた。あそこにも集つて相談が行われている。どんな相談であろうか。恐らくわれわれの問題であろう。朝からの会見で疲れた五人の眼には、そこに見える燈は航路の安全をまもる燈台の燈の懐かしさではなくて、狐どもが燈している狐火のように警戒心をそそるものであつた。寒さが足の先から襲つて来た。
 その翌日、広田内閣は銃剣にかこまれて成立したのであつた。

 小原直(おはら・なおし)は、検察官、政治家。岡田啓介内閣の司法大臣などを務める(一八七七~一九六七)。一九四〇年(昭和一五)現在の住所は、東京市中野区仲町。
「あのときのことども」の紹介は、ここまで。
 このあとも、二・二六事件関係の資料を紹介してゆく予定である。ただし、明日は、一度、話題を変える。

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