◎ジャニーズ問題は日本の象徴(北丸雄一)
昨日の東京新聞朝刊の「本音のコラム」は、「象徴としてのジャニー」というタイトルで、北丸雄一さんが執筆されていた。
その最後の部分を引用させていただきたい。
▼もう一つ、報道というオトコ社会で男の性被害が「オトコらしくない」笑い話でしかなかったせいです。被害者は自身への後悔と嫌悪に加え他者からの眼差【まなざ】しに二重に苦しむ。ジャニー喜多川問題はそこに同性愛嫌悪が加わります。▼しかしこれは同性愛ではなく「小児性愛=不同意性交」の問題です。小児性愛者は「性的少数者」ではありますが「LGBTQ+」と示される人たちとは違い、実行すれば犯罪者です。そこに同性愛嫌悪は関係ない。ジャニーズ問題は勘違いしてきた日本の象徴なのです。(ジャーナリスト)
この問題の本質に迫る、注目すべき指摘だと思った。
この北丸雄一さんの指摘を、私は次のように受けとめた。「世界」の趨勢は(欧米の趨勢は)、「性的少数者」を肯定する方向に進んだ。その一方、「小児性愛=不同意性交」に対しては、これを犯罪として厳しく摘発する方向に進んできた。しかし、独特の男色文化の伝統を保持してきた日本の社会は、そうした「世界」の趨勢を理解できず(理解しようとせず)、今回のような事態を招いてしまった。――
昨日は、ネットで、潟永秀一郎(がたなが・しゅういちろう)さんの〝ロス疑惑を例に考える「ジャニーズ性加害問題を報じなかった」理由〟という記事も読んだ(RKB毎日放送=2023/9/8(金)17:14配信)。潟永さんは、サンデー毎日の元編集長であり、その立場からの「弁明」であったが、妙に説得力があった。
潟永さんによれば、日本では、2017年に刑法が改正されるまで、「法的に強制性交の被害者は女性に限定されていた」という。この指摘は重要である。「小児性愛=不同意性交」を肯定してきた日本の男色文化の伝統は、この刑法改正によって否定され、「世界」の趨勢に従うことになったのである。
なお、併せて、当ブログ本年5月25日の記事「ジャニー喜多川問題と資料集『男色の民俗学』」を参照していただければ幸いである。
明日は、話を、美濃部達吉『議会政治の検討』に戻す。