◎南原繁の憲法改正案に対する質問演説(1946・8・27)
古関彰一さんの『平和憲法の深層』(ちくま新書、2015年4月)を読んでいる。非常に興味深く、好著だと思う。
敗戦直後、東京帝国大学総長・貴族院議員を務めた南原繁(なんばら・しげる)の名前が、何度となく出てくる。234ページには、1946年8月27日、南原が、貴族院本会議でおこなった憲法改正案に関する質問演説の一部が引用されている。
これを読んで、むかし、南原繁著『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948年3月)の中の「憲法改正」という文章で、この質問演説を読んだことを思い出した。本日以降、その質問演説を紹介してみたい。
憲 法 改 正
――第九十回議会、憲法改正案に関する質問演説――
一
今回の憲法改正案は、祖国敗戦のあとを承けて、自らの過去を清算し、将来わが国が完全なる独立国として起ち得るか否かの試金石である。従来わが国の歴史に於て、これが審議に当る今期の議会ぐらゐ、重要な使命を帯びたものは嘗て〈カツテ〉ないであらう。併し、それにも勝つて〈マサッテ〉、専らこれが草案作製に当り来つた〈キタッタ〉政府の責務の極めて重大なるを思ふのである。何故なれば、今回の憲法改正事業の成否は、一に懸つて〈イツニカカッテ〉草案の制定に在つたと考へられるからである。この意味に於て私は、政府が当初からいかなる根本方針と態度を以てこれが制定に臨まれたか、また該法案がいかなる成立過程を辿つたかの問題を極めて重視する者である。かやうな見地から私は、草案の内容自体に対する質疑に入るに先立ち、まづこの問題に関し相牽連〈アイ・ケンレン〉せる数箇の点について、率直にお尋ね致し度いのである。これに対しては、前首相幣原〔喜重郎〕国務大臣及び吉田〔茂〕総理大臣から、それぞれ御答弁を煩はし度い〈タイ〉。
(一)抑々日本が将来、国際社会に伍して恥づるなき独立国となるがためには、正義と自由こそが人類の至宝であることを改めて認識し、外は世界に対して再び戦〈タタカイ〉を開かず、却つて人類の間に実現せらるべき高貴な理想を自覚する文化的平和国家の創設であり、内は人の人に対する圧迫と隷属とを知らず、もはや大権の蔭に人間の自由と権利を蹂躙〈ジュウリン〉する余地の見出されぬ国民共同の民主国家でなければならぬ。かくの如きは日本が受諾したポツダム宣言の条項によつてのみ然るのでなくして、我が国自身が自らの新生のために進んで決行しなければならぬところのものである。さうして事は必然に、わが国家統治の基本法たる憲法について、根本的改革を加へなけれげならぬところの問題である。これが解決は単なる法律解釈論でなく、世界の政治的動向と時代の意義を深く洞察して、深くこれに対応するものでなければならぬ。
然るに、当時の幣原首相はかやうな問題の重要性を認識し、果してそれにふさはしき確乎たる方策を有せられてゐたか否かを第一に伺ひ度いのである。即ち、昨年〔1945〕十月、松本〔烝治〕国務相を委員長とする憲法問題調査委員会を設けられたが、何故か同国務相の一試案として取扱ひ、且つ内容に於ても天皇統治権の大原則に変更を加へないことは、昨年十二月衆議院予算総会に於ける政府当局の言明、並びに越えて本年〔1946〕二月上旬新聞に発表せられた同「談話」によつても明らかである。心ある人々は、政府のかやうな態度の現状維持的にして、且つ徒ら〈イタズラ〉に荏苒〈ジンゼン〉時を過ごしつつあることを、国家のために憂ひ来つたのである。【以下、次回】
文体は、「である体」になっているが、実際の質問演説は、「であります体」でおこなわれている。表現にも若干の異同がある。
幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)は、第44代の内閣総理大臣だが、そのあとに成立した第一次吉田茂内閣に、国務大臣として入閣している。