礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

何故か「主権在国民」を明文化するの修正となつた

2023-09-26 01:42:55 | コラムと名言

◎何故か「主権在国民」を明文化するの修正となつた

 南原繁著『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)中の「憲法改正」という文章のうち、「二」を紹介している。本日は、その二回目。

(二)政治的基本性格に関する第二の点は「主権論」であり、謂はゆる「國體」と関連を有する問題である。即ち、草案の前文並びに第一条に亘り、繰返し強調されてあるところの『国民の総意が至高である』こと、『国政は国民の崇高なる信託によるものであり、その権威は国民に由来する』云々、及び『天皇の地位は日本国民の総意に基づく』とある点である。これは紛ふ〈マギラウ〉べくもなく「君主主権」に対する「人民主権」或は「国民主権」の理論である。かく評するときに草案に於て前述の如き日本の政治的法的秩序との本質的関係から天皇を除外したところの新しい国家形態の基礎づけとして極めて明瞭なる徹底した立場と謂ふべきである。
 これを現行憲法について見るに、その上諭に於て『国家統治ノ大権ハ朕ガ之ヲ祖通宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フルトコロナリ』云々、及びこれを受けた第一条に『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』とあるのとは、根本の相違あることを認識しなければならぬ。ここにも我が国の政治的基本性格は根本に於て変革されるのである。何故、政府は卒直にこれを承認し明言しないのであるか。我が憲法上の一般の解釈は斯る〈カカル〉現行憲法の条章に則して國體を説明し来つたのである。また政府当局の強弁にも拘らず、わが国民が一般に「國體」として考へ来つたのも、かやうな従来の政治的基本性格と離れて存するものではなく、これと深く内的連関を有するところである。現に教育勅語に於て「國體の精華」と宣せられてあるところも、これ以外ではないのである。この意味に於ては我が國體観念も草案に於ては明らかに変更されてゐるのである。
 政府はさすがにこの変化を覆はんがため、これを緩和して、「国民」のうちには天皇をも含むといふ極めて奇怪な解釈を案出したのでわる。加之〈シカノミナラズ〉、『国民の創意が至高である』とは主権の所在を規定するものでないと最初は説明し来つたのである。しかし「国民」についてのかやうな解釈と慣用は我が国従来の国語並びに法律用語に於て嘗てないところである。且つ、英訳(これは内閣の有権的翻訳と見做していい)に於ては明白に〝Sovereignity of the people's will〟又は〝Sovereign will the peopled〟とせられてある。殊に他ならぬ三月六日連合軍最高司令官の声明に於ては『主権は卒直に人民の手に置いてある」と確言せられてある。かくまで明瞭なる事実を押し切つて、敢て人民主権でないと主張する当局の態度は、恰も〈アタカモ〉『耳を掩うて鈴を盜む』の類〈タグイ〉ではないであらうか。
 現に此度〈コノタビ〉、衆議院憲法委員会の審議に於て、種々の経緯はあつたが、最後に至つて何故か反つて政府与党側からの提議により、「主権在国民」を明文化するの修正となつたものと了解するが、政府がこれに同意した理由は何処にあるのか。吾々はこれを以て寧ろ草案の論理が徹底せしめられて完全なる「人民主権」を表はすもの、寧ろ英訳の精神に忠実になつたものと思ふが、政府の見解はどうか。只その場合に、依然「国民」といふ語に天皇を含むとの解釈を残すことにより、一方にこれまで「主権在君説」であつた政党がこれに転換すると同時に、他方に或る政党は新しく「人民主権」を規定せしめたものとして、これに賛同するといふ奇現象が生じたのである。しかし、議会と政府とに於ていかに妥協し解釈したとしても、「国民主権」或はその同義語である「人民主権」といふ世界共通の政治学上の概念の持つ真理性は、これを打消すことはできないであらう。もし、これを以てわが在来の政治の根本性格乃至は國體観念が変更されないものと云ふならば、それは自己満足、自己慰安、敢て申せば、自己欺瞞に外ならないであらう。
 今回の憲法改正により、天皇制と主権論を繞つて、政府の否定的答弁にも拘らず、純客観的に解釈して肇国〈チョウコク〉以来の大革命が国民の識らざる間にいま成されつつあるのである。吾々はかやうな革命を必ずしも避くるものではない。唯問題は国民自身がそれを意識し要求せるかといふことである。政府はこの問題をどう見らるるか。総理大臣並びに金森〔徳次郎〕国務相の弁明によれば、今回改正の一つの理由は、国内情勢の変化をも考へてゐるといふことであるが、然らば一体、この草案作製に至るまで、各政党並びに各種研究団体が公表した憲法改正案は、果してさういうものを要求したかどうか。況んや健全なる国民の大多数は沈黙を守つてゐるのである。いつでも時代の勢力に迎合する少数の意見が前面に出るのが我が国の実情である。私はかくの如き状態を以ては、他日――十年、二十年後に、国民の間に大なる反動の起る口実、否、名分を与へはしないかを憂ふる者である。この点に関し総理大臣はいかなる認識を持つてゐられるか、先きに触れた新憲法の安定性の問題と関連して答弁を煩はし度いのである。【以下、次回】

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