◎九月一日忘られず(大正震災かるた)
このブログを始めたのは、2012年5月23日のことだった。同年の6月15日に〝「大正震災かるた」に学ぶ〟という記事を載せた。本日は、関東大震災(大正震災)が起きた日なので、その記事を再掲してみたいと思う。以下、すべて、同記事の引用。
◎「大正震災かるた」に学ぶ
昨年〔2011〕の四月九日の読売新聞「編集手帳」は、関東大震災のあとに出た『震災かるた』について紹介している。この日の同欄は、【い】【お】【な】【よ】などの句を紹介したあと、次のように結んでいる。
【く】〈九月一日忘られず〉。九・一の関東、一・一七の阪神・淡路につづき、「大震災」の歴史に忘れることのできぬ日付を刻んだ三・一一からまもなく一か月――なお、災害のただなかにある。
ここでいう『震災かるた』とは、関東大震災の翌年、一九二四年の正月に発売された『大正震災かるた』のことであろう。この『大正震災かるた』については、作家の戸板康二が、その著『いろはかるた随筆』(丸ノ内出版、一九七二)の中で、紹介している。
戸板によれば、四十八枚の読み札は、次の通り(用字と仮名づかいは、戸板による紹介の通り)。
【い】いのちからがら故郷〈フルサト〉へ
【ろ】蝋燭欠乏月明り
【は】梁〈ハリ〉の下から人の声
【に】荷物に火がつき身もやかれ
【ほ】保険は生命火災だめ
【へ】平気でお堀で行水し
【と】戸板〈トイタ〉の寝床も五日間
【ち】地震でおひるを食べそこね
【り】罹災民に御下賜金〈ゴカシキン〉
【ぬ】抜刃〈ヌキミ〉を光らす自警団
【る】留守のあいだに無財産
【を】惜しくもないもの持って逃げ
【わ】われた道路に水を吹き
【か】戒厳令下の震災地
【よ】余震たくさんびくびくと
【た】誰も焼けるを考へず
【れ】列を作って米もらひ
【そ】損害の書画惜しい事
【つ】海嘯〈ツナミ〉で二度の肝つぶし
【ね】寝床にゑらんだうらの藪
【な】涙ではなすその当時
【ら】来年は運がよし
【む】無電のしらせが世界中
【う】上野の大仏首が落ち
【ゐ】位牌背中に土左衛門〈ドザエモン〉
【の】野天の床屋は十五銭
【お】親子兄弟ちりぢりに
【く】九月一日忘られず
【や】屋根まで乗った避難汽車
【ま】丸の内にはテント村
【け】玄米くはねばはなせない
【ふ】船で逃げたは七分だめ
【こ】此際〈コノサイ〉といふ新熟語
【ゑ】衛生注意が第一歩
【て】電信電話は皆不通
【あ】浅草観音焼けのこり
【さ】寒さに震へるバラック街
【き】銀座通りに追ひおどし
【ゆ】ゆめにも思はぬ此の悲惨
【め】目貫の場所の灰の原
【み】水くれ水くれすごい声
【し】自動車自転車大活動
【え】縁ない家でもころげ込み
【ひ】飛行通信真先〈マッサキ〉に
【も】モラトリームで息をつき
【せ】線香と花の被服廠〈ヒフクショウ〉
【す】水道破裂し井戸で生き
【京】京都まで避難をし
いろいろな意味で、学ぶことの多いカルタではないかと思う。戸板康二によれば、このカルタの句は「月の屋」が作り、取り札は画家の川端龍子〈リュウシ〉が描いているという。ひょっとしてと思って、平凡社の別冊太陽『いろはかるた』(一九七四)を見たところ、取り札四十八枚がカラーで載っていた。
どの句も、だいたい意味が通じるが、「玄米くはねばはなせない」がわかりにくい。「玄米を食わないことには話にならない」という意味か。
関東大震災のあと、「この際」という言い方が流行したことは、比較的よく知られている(【こ】)。「追ひおどし」は、「追いはぎ」の意味(【き】)。
「モラトリーム」とあるのは、金融モラトリアムのことで、これで息をついたのは銀行などの金融機関である(【も】)。
「被服廠」というのは、陸軍被服本廠跡を指す。両国駅近くにあったこの空地には、四万人もの人が避難していたが、火災旋風に襲われ、そのほとんどが焼死したという(【ひ】)。
今日の名言 2012・6・15
◎【け】の句に「原発」の文字はなく、【ほ】の句に「放射能」の文字はない
2011年4月9日の読売新聞「編集手帳」がおこなった、『大正震災かるた』へのコメント。日本の原発政策をリードしてきたと言われる読売新聞だが、事故直後だけに、重いコメントになっている。