礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

最小限の自律的防衛をさへ抛棄するのか

2023-09-28 00:37:15 | コラムと名言

◎最小限の自律的防衛をさへ抛棄するのか

 南原繁著『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)中の「憲法改正」という文章のうち、「二」を紹介している。本日は、その四回目。
文中、傍点が施されていたところは、太字で代用した。

(四)憲法内容について以上の政治的基本性格の次に私の質疑致し度い第二項目は「戦争放棄」に関する条章である。これは新に甦生〈ソセイ〉したる民主日本が、今次の不法戦争に対する贖罪としてのみならず、更に進んで世界恒久平和への我が国民の理想的努力の決意を表明するものとして、その精神に於て吾々の大に賛同するところである。このことは古来幾多の哲学者・思想家の考案し来つた理想が、一国の憲法に於て採択実現されたものとして、世界人類史上特筆すべき事柄である。それだけに大なる問題が存しないであらうか。理想は高けれは高い丈、現実の状勢を深く考慮するところがなければならぬ。それを考慮するのでなければ、単なる空想に止まるであらう。本案が発表せられたとき米国の新聞に一箇のユートピアとして批評するもののあつたことは、深く吾々の反省すべき点であらう。『戦争はあつてはならない』とは洵に〈マコトニ〉政治道徳の普遍的原理であるが、人類種族の存する限り、『戦争はある』といふのが遺憾ながら歴史の現実である。故にこの現実を直視し、少くとも国家としての自衛権と、随つてそれに必要なる最小限度の兵力を備ふるところがなければならぬ筈である。
 吉田首相は、従来自衛権の名の下に多くの侵略戦争が行はれ来つた故を以て、寧ろこれをも抛棄せんとしてゐるが如きも、客観的にその正当性を認められる場合に於ても尚且つこれを主張しないのであるのか。即ち、本条章は我が国が、将来「国際連合」への加入を許容せられることを予想したものと思ふが、現に同憲章は各国家の自衛権を承認してゐる。且つ、国際連合における兵力の組織は各加盟国がそれぞれ兵力を提供するの義務を負ふのである。日本が将来それに加盟するに際して、これらの権利と同時に義務をも抛棄せんとするのであらうかを伺ひ度い。かくては日本は永久に唯他国の善意と信義に依頼して生き延びんとする寧ろ東洋的諦念主義に陥る惧れ〈オソレ〉はないか。進んで人類の自由と正義を擁護するがために互に血と汗の犠牲を払つて世界平和の確立に協力貢献するといふ積極的理想は却つて抛棄せられるのではないか。
 加之〈シカノミナラズ〉、凡そ現在の国際政治秩序に於ては、米国の或る評論家の批評したやうに、苟も国家である以上、少くとも国民を防衛する用意を持つてをらねばならぬといふのが普遍的な原理であつて、いかなる国家も憲法によりこれを抛棄し、国家として無抵抗主義を採用する道徳的義務はないのである。またいづれの国家も国内の秩序を維持するがために警察力を以ては到底不可能り、凡そ国家兵備の目的の一半はそこに置かれてゐるのである。殊に日本の如き将来国内の状勢複雑深刻なるを予想しなければならぬ国家に於てさうである。政府は近く来らんとする講和会議に於て既に、これら内外よりの秩序破壊に対する最小限の自律的防衛をさへ抛棄する意志であるのかを承り度い。もしさうであるならば国家としての自由と独立を自ら抛棄すると択ぶところはないであらう。国際連合は各国家のかやうな自主独立権を決して否定するものでなく、寧ろそれを完全なものにするがために互に連合して、世界共同の普遍的政治秩序を樹立せんとするものである。
 凡そこれらの国際運動は究極に於て「世界は一つ」――即ち、各々の民族共同体を超えたところの世界人類共同体を理念とするものと吾々は理解する。然るにこの世界共同体の理想に於ては、単に所与の国際の平和と安全を保持するといふのみではなく、人種・言語の差別を超え、進んで世界に普遍的な正義――「国際的正義」を実現するために各国民の協力が要請せられなけれはならぬ。そのためには単に功利主義的なる現状の維持ではなく、政治上経済上のより正しき秩序の建設に向つて、しかも強力によつてでなく、飽くまで人類の理性と良心に訴へ、平和的方法によつて努力しなければならぬのである。日本が自らの過誤を清算する以上は、ひとり世界に向つて戦争抛棄を宣言するのみでなく、この方面に於て将来諸国家の間に実現せらるべき理想目的を自覚することが更に必要であると思ふ。否、既に近く来る〈キタル〉べき講和会議に対し、その準備が必要と考へる。
 今回、衆議院の修正に於て『日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し』といふ一句が当該条項に加へられたが、これは以上の意味に解して極めて意義ある修正と思ふ。即ち、それは戦争否認の外に、民族の平和理想を宣言したといふ丈でなく、重要なのはその平和が単なる現状の平和でなく、国際正義に基づいた平和であるといふ点である。政府は右修正に対し、この問題をいかに考へられたか。又その方面にいかなる用意があるかを吉田外務大臣にお尋ねし度いのである。【以下、次回】

 最後に、「吉田外務大臣にお尋ねし度い」とある。第一次吉田内閣では、首相の吉田茂が外務大臣を兼任していたのである。

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