◎美濃部達吉「井上準之助君の遭難」を読む
必要があって、美濃部達吉の『議会政治の検討』(日本評論社、1934)を読んでいる。初めて読む本だが、非常に興味深かった。美濃部達吉が、時局に関して、積極的かつ大胆に発言していたからである。
紹介してみたい文章は、たくさんあるが、本日は、「井上準之助君の遭難」(1932年3月)という文章を紹介してみたい。
井 上 準 之 助 君 の 遭 難
昭和七年三月号「中央公論」所載
井上準之助君が突然一凶漢の狙撃を受けて遽に〈ニワカニ〉此の世を去られたことは、満天下を震撼したと共に、同君の一家の為には謂ふに及ばず、民政党の為にも、進んでは我が日本帝国の為にも償ふ〈ツグナウ〉能はざる大損失を与へたもので、まことに哀悼に堪へない所である。殊に民政党は浜口〔雄幸〕君を失つて未だ半歳ならざるに、今又其の中心勢力を為し〈ナシ〉、近き将来の総裁を以て期待せられて居た井上君をも失つたことは、安達〔謙蔵〕君去り、江木〔翼〕君病む今日に於いて重ね重ねの打撃で、正に民政党受難の時期とも謂ふべく、吾々局外者も同党の為に深く同情に堪へない。
井上君が此の不幸なる凶変に遭はれたのは、謂ふまでもなく同君の強硬な金本位維持の政策と其の主張とが禍〈ワザワイ〉を為したものと思はれる。其の政策と主張との是非曲直〈ゼヒキョクチョク〉は茲に論ぜんとする所ではないが、兎に角〈トニカク〉同君が強き信念を以て之を主持せられて居たことは疑〈ウタガイ〉の無い所で、而して若し政治家として自分の信念を強く主張することが、即ち生命の危険を意味するものとすれば、力ある政治を望むことは全く不可能で国家の禍之より甚しきは無い。曩に〈サキニ〉原敬〈ハラ・タカシ〉君が不幸凶刃に倒れられてから後、浜口君と謂ひ、井上君と謂ひ、国家の重責に任ずべき強き信念ある偉大なる政治家が、最近一両年の内に相次いで同じ禍に罹られたことは、実に忌み且つ恐るべき風潮であつて、斯ういふ傾向が除かれない限りは、日本の立憲政治の前途は暗黒の感なきを得ない。【以下、次回】
井上準之助(1869~1932)は、日本の政治家、財政家。第二次山本権兵衛内閣、浜口雄幸内閣、第二次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めた。死亡時は貴族院議員、立憲民政党総務。
1932年(昭和7)2月9日、血盟団の小沼正(おぬま・しょう)に狙撃され、死亡した。