◎遺憾ながら人類種族が絶えない限り戦争がある
南原繁著『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)中の「憲法改正」という文章を紹介している途中だが、少しだけ、話を転じる。
この文章は、敗戦直後、貴族院議員であった南原繁が、1946年8月27日に、貴族院本会議でおこなった「質問演説」の内容を文章化したものである。その「質問演説」のために作成した「原稿」が、この文章だったという可能性もある。
いずれにせよ、この「憲法改正」という文章と、実際におこなわれ、速記によって記録された「質問演説」との間には、文体や表現において差異があることは間違いない。
ここで、「文章」のうち、昨日、紹介した部分の一部と、それに対応する「速記録」とを比較してみたいと思う。
【文章】 『戦争はあつてはならない』とは洵に政治道徳の普遍的原理であるが、人類種族の存する限り、『戦争はある』といふのが遺憾ながら歴史の現実である。故にこの現実を直視し、少くとも国家としての自衛権と、随つてそれに必要なる最小限度の兵力を備ふるところがなければならぬ筈である。/吉田首相は、従来自衛権の名の下に多くの侵略戦争が行はれ来つた故を以て、寧ろこれをも抛棄せんとしてゐるが如きも、客観的にその正当性を認められる場合に於ても尚且つこれを主張しないのであるのか。
【速記録】 戦争あつてはならぬ、是は誠に普遍的なる政治道徳の原理でありますけれども、遺憾ながら人類種族が絶えない限り戦争があると云ふのは歴史の現実であります、従つて私共は此の歴史の現実を直視して、少くとも国家としての自衛権と、それに必要なる最小限度の兵備を考へると云ふことは、是は当然のことでございます、吉田総理大臣は衆議院に於ける御説明に於きまして、是迄自衛権と云ふ名の下に多くの侵略戦争が行はれて来た、故に之を一擲するに如かずと云ふ御説明であるやうでありますが、是は客観的に其の正当性が認められた場合でも、尚且斯かる国家の自衛権を抛棄せむとせられる御意思であるのか、
文章のほうは、「である体」が使われているが、実際におこなわれた演説では、「であります体」が使われている。たぶん、南原繁は、原稿を「である体」で書き、それを壇上で、「であります体」に変換しながら、演説したのではあるまいか。
ただし、「憲法改正」という文章は、当日の「原稿」そのままではなく、発表に際して、適宜、訂正を加えていると思われる。そして、その訂正にあたって南原は、「速記録」に目を通していた可能性もあろう。
なお、この日の南原演説の速記録は、『貴族院議事速記録』第24号に載っている。今日、この文献の内容は、インターネット上にアップされており、容易に参照できる。便利な時代になったものである。