◎新憲法は「外より」与へられた印象を感ぜしめる(南原繁)
南原繁『人間革命』(東京大学新聞社出版部、1948)から、「憲法改正」という文章を紹介している。本日は、その三回目。
文中、傍点が施されていたところは、太字で代用した。
(四)更に第四の私の質疑は、三月六日、憲法草案要綱発表の際、幣原首相が「謹話」に於て『連合軍司令部との緊密なる連絡の下に』それが作製された旨、特に宣明されたことに関してである。これは恰も時を同う〈オナジウ〉して発展せられた最高司令官の声明によつて『連合軍最高司令部関係当局との苦心にみちた研究と幾回となき会談』によつて成つたものと了解せられるのである。我が国の運命を決する憲法改正案の起草が最後の段階に於て、かくの如き結果に陥つたことについて、政府はいかに考へられるのであるか。その間における政府の苦心については察するも、吾々は日本政府が自主自律的に責任を以て、遂に自らの手によつて作製し得なかつたことを頗る〈スコブル〉遺憾とし、これを日本国の不幸、国民の恥辱とさへ感ずる者である。かくては新憲法は上より与へられたといふ丈でなく、これはまた外より与へられたとの印象を国民に感ぜしめる惧れ〈オソレ〉はないであらうか。現に巷間さやうな臆惻の行はれつつあるは覆ふべくもない事実である。若し、これが国民の相当範囲に滲透するに到らば、新憲法の安定性から見て甚だ憂慮すべきことと思ふが、政府の所見はどうか。また政府はかかる印象と臆惻を払拭するために果していかなる確信を持ち、いかなる方策を講ぜられつつあるか吉田総理大臣より承り度い。
吾々はポツダム宣言の関係文書により、『わが国の統治権は、連合軍が占領中、その最高司令官の下に置かれてある』ことを知つてゐる。また実際これによつて、本来自らの手により為すべき我国の多くの善き改革が、最高司令部の指示により為されつつあるところである。併し、同じ文書により『日本国の最終の政治形態は自由に表明された日本国民の意志によつて決定せられねばならね』ことを吾々は知つてゐる。随つて少くともこの問題に関しては、政府草案作製に当つても、右の精神と趣旨に従ひ、たとひ国際の状勢がいかに変化しようとも、一々それによつて左右されることなく、わが国としては飽くまで根本のポツダム宣言に要求せられたところを忠実に、初めから確乎たる方針に立ち、政府の運命を賭けても、自主自律的に改革を断行すべきであつたと思ふ。このポツダム宣言附属文書との関係を政府はいかやうに解釈されるのであるか、吉田総理に伺ひ度いのである。【以下、次回】
憲法草案要綱が発表された1946年3月6日の時点では、幣原喜重郎が首相だったが、同年4月22日、幣原内閣は総辞職。同年5月22日に、第一次吉田茂内閣が成立した。