◎美濃部達吉「テロリズム横行と政局の前途」を読む
引き続き、美濃部達吉『議会政治の検討』(日本評論社、1934)の紹介をおこないたい。
本日は、「テロリズム横行と政局の前途」(1932年5月)という文章を紹介する。
テ ロ リ ズ ム 横 行 と 政 局 の 前 途
昭和七年五月二十三日発行「帝国大学新聞」所載
陸軍及び海軍の軍服を着た現役軍人が、幾人か隊をなして、白昼公然首相官邸に闖入〈チンニュウ〉し、ピストルを乱射して〔犬養毅〕首相の生命を断ち、同じ時刻に又他の軍人が内大臣邸、警視庁、三菱銀行などを襲う爆弾を投じたといふ、驚怖すべき大事変が起つて、それがために臨時議会の開会を目の前に控へながら、突如として内閣の総辞職を来し、例によつて西園寺〔公望〕公爵に後任首相の推薦に付いての御下問が有つたけれども、この稿を草する五月二十一日の午後までは、いまだ奉答を見るに至らず、政局の前途尚甚だ不安の状態にある。
斯ういふ驚くべき事変の起つたのは、もとより突然の出来事ではなく、大正の中頃から多年積りに積つた種々の原因が欝葱〈ウッソウ〉して、遂に爆発するに至つたもので浜口〔雄幸〕、井上〔準之助〕、團〔琢磨〕諸氏の凶変もやはり同じ原因に基いて居ることは疑ひない。唯今回の事変に特有な事柄は、軍人がその首班者であることで、この点に殊にその重要性がある。経済上の世界的恐慌に基く、国内産業の窮迫、殊に地方農村の悲惨を極めた状態とこれに対する政党政府の無能力さは、政党政治に対する不信用、憤懣の念を広く一般国民の間に拡がらしめ、しかして左右両翼(特に右翼)から来る不謹慎な議会否認、政党呪詛の叫びは一層この勢ひを煽動した。この国民的な憤慨の感情が軍人の間にも及んで居ることは、固より怪しむに足らぬところで、これが遂に今回の事変をひき起すに至つたものと思はれる。現役軍人の中から斯ういふ怖るべき犯罪者を出だすに至つたのは、固より許すべからざる軍紀の弛緩であるが、しかしそれは深刻な原因に基いて居るもので、われわれはその犯行を憤ると同時に、如何にして斯かる狂暴な犯罪の跡を絶ち、将来に向つて国家及び社会の安定を保ち得べきかを、慎重に考慮せねばならぬ。西園寺公爵が御下問に対し、老体を提げて自ら出京してより以来、数日にわたつて考慮を重ねてをられるのも、実に日本が今や政治上にも経済上にも、外交上にも極めて重大な危機に頻して居るためであることは、いふまでもない。【以下、次回】
言うまでもなく、ここでいう「大事変」とは、いわゆる「五・一五事件」のことである。
文中、「内大臣邸」とは、内大臣官邸。内大臣・牧野伸顕(のぶあき)は、このとき官邸にいたが、無事だった。
西園寺公望(さいおんじ・きんもち、1849~1940)は、この事件の際、ただひとりの元老で、「最後の元老」と呼ばれていた。